【ネタバレ考察】『TAR/ター』巨匠は闇の奥に怯え、闇の奥に逃避する

TAR/ター(2022)
TAR

監督:トッド・フィールド
出演:ケイト・ブランシェット、ノエミ・メルラン、ニーナ・ホス、ジュリアン・グローヴァー、マーク・ストロングetc

評価:85点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

第95回アカデミー賞6部門にノミネートされた『TAR/ター』が公開された。パワハラを扱った作品と聞いていたのだが、狡猾なほどにグレーゾーンのパワハラを158分に渡って扱っている作品であった。ケイト・ブランシェットの演技とトリッキーなギミックがこのテーマを深く掘り下げていた。今回はネタバレありで考察していく。

『TAR/ター』あらすじ

「イン・ザ・ベッドルーム」「リトル・チルドレン」のトッド・フィールド監督が16年ぶりに手がけた長編作品で、ケイト・ブランシェットを主演に、天才的な才能を持った女性指揮者の苦悩を描いたドラマ。

ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命されたリディア・ター。天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、いまはマーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは追い詰められていく。

「アビエイター」「ブルージャスミン」でアカデミー賞を2度受賞しているケイト・ブランシェットが主人公リディア・ターを熱演。2022年・第79回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に出品され、ブランシェットが「アイム・ノット・ゼア」に続き自身2度目のポルピ杯(最優秀女優賞)を受賞。また、第80回ゴールデングローブ賞でも主演女優賞(ドラマ部門)を受賞し、ブランシェットにとってはゴールデングローブ賞通算4度目の受賞となった第95回アカデミー賞では作品、監督、脚本、主演女優ほか計6部門でノミネート。

映画.comより引用

巨匠は闇の奥に怯え、闇の奥に逃避する

天才的な指揮者で「マエストロ」と呼ばれるリディア・ター(ケイト・ブランシェット)。彼女は膨大な知識を有しているため、論戦で負けることはない。トークショーでは際どい話題でも、観客の笑いを引き出しながら華麗に持論を展開する。このスキルはグレーゾーンのパワハラを誘発する。例えば、講義にて若き指揮者が「バッハは私生活が酷かったので好きになれない。まだ触れる勇気がない。」と語る。それに対して、彼女は作品と私生活は別物であることを知識総動員で彼に投げつける。そして、ピアノの横に座らせ、バッハの曲を理解させようとする。罵声ではないが、重く空気を張り詰める声。その重圧から、彼は震えが止まらなくなるが、それを「やめなさい」と静止する。侮辱的な言葉は使っていない、また『セッション』のようにモノを投げる、痛めつけるように練習させているわけではない。そのためパワハラだと訴えても棄却されそうな状況といえる。

別の場面では、コンサートでソロパートを選出する。適任者が既におり、本人もソロパートを担当する気持ちでいた。しかし、ターには贔屓にしている女がおり、彼女を抜擢しようとする。ただ、独断の要素を薄めるために、メンバー全員がいる前で、元適任者に「君はタスクを抱えすぎているからオーディションでソロパートを決めてもいいよね?」と承諾を取る。これは会社でもよくある話だ。選択肢があるように見せかけて、一つの選択を迫り、「選んだ」という既成事実から責任を押し付ける手法だ。

このようにして、彼女はマエストロの地を乱用し自分の世界を作り上げていく。映画は、息苦しくなるほどに洗練された空間構図と肉体を抑圧し、絞り出すように爆発的な動きをするケイト・ブランシェットによってこの世界をより異様なものへと昇華させていく。


そんな彼女の周りで不可解な出来事が起こる。パワハラで訴えられる危険性が高まっていくにつれて、出来事は強烈なものへと変わっていく。突発的な異音、トイレにヌルッと入る者、ランニング中に聴こえる悲鳴、廃墟に野犬の気配、ついには、自分が森の中に置いたベッドの上で燃える悪夢までみるのだ。この悪夢は、恐らくアピチャッポン・ウィーラセタクンの短編『BLUE』からの引用だろう。眠れない女の悪夢を描いた短編を本作は引用し、炎上に怯える深層心理を炙り出した表現と言える。

ここまで来ると、察しの良い方なら、冒頭に突然流れるエンドロール、その暗闇に響く歌声のようなものは、ターの公演が大惨事になった直後に繋がると思うであろう。しかし、その予想を裏切るところが面白い。もちろん、公演はターの発狂と共に失敗に終わるのだが、なぜか彼女はアジア(中国?)へと逃避し、そこで新生活を始めるのだ。相変わらず、心の不安のようなものは現出するも、それに耐えて、伝統的衣装を着た現地人を前に公演を行うところで映画は終わる。このエンディングは一見すると、謎展開に見えるのだが、実は丁寧な補助線が引かれている。ボートにて移動する場面で、『地獄の黙示録』が言及される。つまり、『地獄の黙示録』の骨格を適用し、問題を洗い出そうとしていると読める。『地獄の黙示録』はジャングルの奥地で、カーツ大佐が神のように崇め立てられている様子を描いていた。ターは、SNSという神によって地に堕ちた。しかし、アジアの深淵に逃避することによって再び神となったのだ。パワハラが再生産されてしまう状況や社会の脆弱性を指摘したエンディングまで用意されている本作は2023年重要な一本と言えるだろう。

追記

ラストについてVarietyの記事を調べたら、人気ゲーム『モンスターハンター』の楽曲だったことが判明。クラシックの舞台からゲーム音楽の世界に転身して身を眩ませる要素を『地獄の黙示録』的、異界で返り咲く様子と重ね合わせていると考えるとトッド・フィールド凄いことしているなと改めて思う。確かに、ターはYouTubeで音楽を聴いていると語る若者に対してその場で否定するのではなく、一旦受容しようとしていた。意外にも柔軟性を持った方なので、この転身は納得がいくものといえる。

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※映画.comより画像引用