【カンヌ国際映画祭特集】『それでも私は生きていく』他人の人生を生きる

それでも私は生きていく(2022)
原題:Un beau matin
英題:One Fine Morning

監督:ミア・ハンセン=ラヴ
出演:レア・セドゥ、パスカル・グレゴリー、メルヴィル・プポーetc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

シネスイッチ銀座では今、「人生とは何か?」を語る作品が多数上映されている。今回はミア・ハンセン=ラヴの自伝的作品『それでも私は生きていく』の感想を書いていく。

『それでも私は生きていく』あらすじ

「未来よ こんにちは」のミア・ハンセン=ラブ監督が、父の病への悲しみと新たな恋への喜びという相反する感情に直面したシングルマザーの心の機微を、自身の経験を基に描いたヒューマンドラマ。

シングルマザーのサンドラは、通訳の仕事をしながら8歳の娘とパリの小さなアパートで暮らしている。サンドラの父ゲオルグは以前は哲学教師として生徒たちから尊敬されていたが、現在は病によって視力と記憶を失いつつあった。サンドラは母フランソワーズと共に父のもとを頻繁に訪ねては、父の変化を目の当たりにして無力感にさいなまれていた。仕事と子育てと介護に追われて自分のことはずっと後回しにしてきた彼女だったが、ある日、旧友クレマンと再会し恋に落ちる。

「アデル、ブルーは熱い色」のレア・セドゥが主演を務め、「王妃マルゴ」のパスカル・グレゴリーが父ゲオルグ、「わたしはロランス」のメルビル・プポーが恋人クレマンを演じた。

映画.comより引用

他人の人生を生きる

シングルマザーのサンドラ(レア・セドゥ)は仕事、育児、介護に追われる生活を送っていた。自分の人生を歩んでいるというよりか、他人の人生を生きているように感じる彼女は、旧友のクレマン(メルヴィル・プポー)と付き合うようになる。他者に捧げて、抑圧してきた欲望を注ぎ込むかのように、密会を重ね、肉体関係を持っていく。しかし、クレマンには家庭があった。


『EDEN/エデン』では、自分の人生を歩んできたと思う者が徐々に道を失っていく痛ましさを描いたミア・ハンセン=ラヴ。本作では、全編通して自分の人生を歩めない者の渇望を捉えていく。その手法は辛辣だ。娘が、本で人間性が分かる論に「他人が書いたものじゃん」とツッコミをいれる。対して「でも、本を選ぶのは誰かな」と返す。選択による人格形成を語るが、そんな父(哲学教師)は認知症で選択できなくなる。空虚な父親がサンドラの状況を映し出す鏡として機能しているのだが、サンドラ自身は街中で「先生の娘」として彼の教え子から呼ばれる。社会の陰日向で生きる者として強調されていくのだ。クレマンによるナレーション、そしてカフカ「変身」からの引用、クリスマスに家族がサンタクロースのモノマネをする様子、異なるアプローチから役割を与えられるものの表に出られない状況に輪郭を与え、その中で前進するしかない痛ましさに寄り添う。

確かにタイトル通り、美しい朝(=Un beau matin)はやってくるが、その朝は諦めの朝のように見え切なく涙溢れる一本となった。

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※映画.comより画像引用

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