【ネタバレ考察】『君たちはどう生きるか』

君たちはどう生きるか(2023)

監督:宮﨑駿

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

ジブリ最新作『君たちはどう生きるか』がいよいよ公開となった。本作は異例の完全秘匿状態での公開となっており、マスコミ試写未実施、CMなし、映倫や各種映画サイトにスタッフもあらすじも掲載させず、パンフレットも後日販売という状態となっている。最近では『THE FIRST SLAM DUNK』が非常に近い手法で成功していたが、それでもある程度の情報は展開していた。これはなんなのか、ひょっとして制作がギリギリなのか?宣伝にリソースが割けなかったのか?公開前から色々な憶測が飛び交い、直前になるとポスターに掲載されているアオサギを使った大喜利投稿が増える中当日を迎えた。宣伝は考え抜かれていたことに気付かされた。


ジブリ公式は「識の範囲内で、自由に使ってください。」とフリー素材を提供。

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のハッシュタグには本作オリジナルのアイコンを付与。公開日になって突然動き出したのだ。さて、私も人柱として観てきた。非常に驚かされた。ゴダールや大林宣彦が晩年になるとネジが吹っ飛んだような映画を作る。確かに本作もそれと同じ香りがするが、静けさがあった。しかし、非常に難解で複雑で、困惑を引き起こす、ユニークな傑作であった。全てはわからない。でも一回観た状態でどこまで書けるか挑戦してみようと思う。

つまり、本記事はネタバレ考察となる。鑑賞後に読むことをオススメする。

『君たちはどう生きるか』あらすじ

宮﨑駿が「風立ちぬ」以来10年ぶりに手がける長編アニメーション作品。

「千と千尋の神隠し」で当時の国内最高興行収入記録を樹立し、ベルリン国際映画祭でアニメーション作品で初となる金熊賞、ならびに米アカデミー賞では長編アニメーション賞を受賞。同作のほかにも「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」「ハウルの動く城」などスタジオジブリで数々の名作を世に送り出し、名実ともに日本を代表する映画監督の宮﨑駿。2013年公開の「風立ちぬ」を最後に長編作品から退くことを表明した同監督が、引退を撤回して挑んだ長編作品。

宮﨑駿が原作・脚本も務めたオリジナルストーリーとなり、タイトルは、宮﨑駿が少年時代に読み、感動したという吉野源三郎の著書「君たちはどう生きるか」から借りたものとなっている。

映画.comより引用

メフィストの誘いを超えて

アジア・太平洋戦争下、少年・眞人は業火に包まれる町を彷徨いながらなんとか生き残る。しかし、母は亡くなった。父は新しい妻・夏子を迎える。彼女はグイグイ間合いを詰めるように眞人に近寄るが、彼は母の温もりとトラウマを忘れることができない。そんな彼は移り住んだ地方の村で2つの奇怪なものを目にする。一つは廃墟の塔だ。昔、そこで神隠しにあった者がいたらしく入り口は塞がれている。もう一つは喋るアオサギだ。メフィストのように彼を誘う。この2つの要素が彼を異世界へと誘い、消えた夏子を取り戻す冒険の扉が開かれる。


本作は前半こそ『風立ちぬ』路線の話に見えるが、段々と抽象度が増していき、いつしか『レッドタートル ある島の物語』のような難解さを持った物語へと転がっていく。まず、異世界に行くまでの物語に注目してみる。廃墟へ行きたくなる感情を紐解くとこから始めよう。ここでは難波優輝が「フィルカル 分析哲学と文化をつなぐ」に寄せた論考「みえかくれする人影ー廃墟と意図の美学」を参照しながら読み解いてみる。彼は写真家の星野藍の人は死ぬと物理的に存在しなくなるが、「どこかで感じている」感覚でもって存在を感じる感覚から廃墟について論じている。その中で、廃墟の中に存在する断片的な人々の痕跡から、その人々の振る舞いを脳裏で再建、想起する状況を見出している。

この論を踏まえると、いなくなった母の存在を求めるように人がいなくなった廃墟に惹き込まれる。そして実態として存在するもうひとりの母を救うことで、彼女の喪失を自分の中で折り合いつけていく話なのではと考えることができる。実際に廃墟から導かれる異世界には様々な女性がいる。それは母親の分身としての夏子だけでなく、いろんな女性が現れ彼を翻弄したり助けたりする。元の世界から離れた人の運動を受容しながら、自分の中にある邪悪さと向き合い、どのように生きていくのかを決定していく。つまり、廃墟を通じて内なる自己の世界に没入し、その上で凄惨な社会、人生と折り合いをつけていく物語と言える。

その上で、本作がトリッキーなのは『ファウスト』と『神曲』を下敷きにしながら、絶妙に王道から逸れていくところにある。アオサギおじさんは明らかに『ファウスト』におけるメフィストで、眞人を誘惑しながら絶望に突き落とそうとしている。しかし、ひたすら彼はその誘いに最小限しか乗らず、バッドエンドを回避していく。なんなら、味方にしようとさえする。彼が辿り着く異世界は『神曲』のような地獄であり、常に死が付き纏っている。だが、これも妙なものがあり、空間自体は明るめに設定されている。天国のような空間の中で、眞人は鳥に殺されそうになるのである。物語の型を外した状態で、バチバチと炎に包まれたり、床に飲み込まれたり、空間が割けたり、群れに取り込まれたりとアニメ的演出の洪水を畳み掛けてくるので困惑と面白さが混在することとなる。これは何だろうと。

ただ、冷静に追っていくとタイトル『君たちはどう生きるか』に直結する理論が見えてくる。

眞人は戦争という暴力の中、生き延びてしまった。母は亡くなった。生き延びてしまったという感覚と母への渇望から、自傷を行う。そして武器を作り、狡猾なアオサギおじさんを殺そうとする。その意志は強く、弓矢は延々とアオサギおじさんをホーミングする。しかし、異世界の中で生きるために最小限の殺傷として動物をナイフで切り裂く。老人との対話の中で、善悪と積み木の関係を議論する。道具は人を殺めるし、人を生かすこともできることを知った眞人は、狡猾なアオサギを許し、共に脱出する。凄惨な世界であろうとも、様々な道具(知恵のメタファーとも取れる)を武器に他者と折り合いをつけて生きていくことを選択して物語は終わる。

宮﨑駿は、道具や知恵は人生を豊かにするものであり、自分や他者を傷つけるものではないと考えた上で、眞人と道具の関係性から善悪の彼岸を描いてみせたといえよう。少々ラストが駆け足になってしまい、雑な感触を受けたが、それでも凄まじい映像表現を通じた哲学に惹き込まれたのであった。

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※映画.comより画像引用