【ネタバレ酷評】『菊とギロチン』もう一つの実写版『この世界の片隅に』が空中分解していた件

菊とギロチン(2018)

監督:瀬々敬久
出演:木竜麻生、韓英恵、東出昌大、渋川清彦etc

評価:15点

瀬々敬久と言う監督をご存知だろうか?ピンク映画出身で、『ヘヴンズ ストーリー』では第61回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞している監督でだ。しかし、彼のキャリアは、スティーヴン・ソダーバーグのように多作且つ多様で『64-ロクヨン- 前編/後編』のような社会派から、『ストレイヤーズ・クロニクル』のような和製X-MENのような作品、さらには『8年越しの花嫁 奇跡の実話』のような大衆向け実話感動映画なんか撮ったりする作家論なんか、書けるもんなら書いてみろ!と言わんばかりの存在だ。
さて、そんな彼が数年前から、クラウドファンディングを実施し制作した新作『菊とギロチン』が一昨日お披露目となった。日本史の授業で習った方も多いだろう、甘粕事件や大逆事件。本作は、その後のアナーキストたちの生き様と知られざる《女相撲》の歴史との関係について描いた作品で、脚本には空族映画『サウダーヂ』の相澤虎之助も参加した意欲作だ。
昨年から期待していてようやく陽の目を浴びた。この日を待っていた。この前公開された瀬々敬久監督作『友罪』は今年ぶっちぎりのワーストだったが、これは本作の宣伝資金とかを集める副業だったに違いない。『菊とギロチン』は傑作のはずだ。試写会評判もいいぞ!と期待、期待で行ったのだが、目の前でに広がっていたのは…空中分解したギロチンの残骸が積み重なる荒野だった…

※ネタバレ記事です。またかなり激しい酷評です。要注意!

↑テアトル新宿では、本作の公開記念で《花菊黒茶》たるものがが300円で販売されてました。黒糖の味がほんのりと口に広がる飲み物でした。劇場内比較的暑かったので、買って正解でした。おまけとして飴ちゃんもくれましたwただ、飴の袋は、結構カサカサ音が出るので、上映前に舐め始めるか、家に持ち帰った方がいいです。

『菊とギロチン』あらすじ

関東大震災直後、大杉栄が殺害された後の日本。アナーキスト集団《ギロチン社》は中濱鐵と古田大次郎を中心に、大杉栄の仇を取る準備を企てていた。そんな彼らが暗躍する中、東京近郊に女相撲の一座《玉岩興行》がやってくる。この二つが邂逅した時、運命の歯車が狂い始める…

もう一つの実写版『この世界の片隅に』

本作を観て、妙な残像が脳裏を駆け巡った。それは『この世界の片隅に』である。こうの史代の同名漫画であり、2016年には片渕須直の手で映画化され話題になった作品。今週末7/15(日)には実写版ドラマが放送される。『菊とギロチン』で、訳あり女相撲団員・花菊ともよを演じた木竜麻生がどうも、のんと似ている。話し方、オーラ含め《すずさん》そのものだった。ドラマ版ですずさんを演じている松本穂香と比べても、「今からでも遅くない。木竜麻生に変えた方がいいのでは?」と思う程だ。終盤、とある事件により、ほんわかしていたすずさんから笑顔が消え、強く強く生きようとする様。本作は、その終盤のすずさんの面影を189分感じることができる作品と言えよう。

ギロチン台は木っ端微塵に空中分解した

さて、話は逸れたが本題について語ろう。ヒット祈願のため、テアトル新宿最大規模の30人登壇舞台挨拶が行われている中、本当に申し訳ない。今年のワーストテン当確レベルにダメダメな作品であった。瀬々敬久監督が、相当本作のテーマに惹きこまれ、力を入れていることはよく分かる。知られざる日本史、「格差のない平等な社会」をスローガンに、社会主義、貧困と戦った不屈の者たちを全力で描き切ろうとしているその意欲はビンビンと伝わってくる作品だったのは確か。しかしながら、あまりに思い入れが強かったせいか、映画として空中分解しているようにしか見えなかった。非常に欠陥が目立つ作品であった。今回、3つの側面から、本作のダメダメな部分について語っていく。

ダメダメポイント1:ブサイクな演出

本作は、演出面においてかなり難があった。タイトルとエンドロールで表示される『菊とギロチン』の文字を出すタイミングが中途半端だ。アヴァンタイトルで玉岩興行とギロチン社との関係が描かれる。ギロチン社の暗殺ミッションが描かれ、警察に仲間が捕まる場所でまずタイトルが表示されるのだが、そこにキレがない。警察に捕まり叫んでいるギロチン社メンバーの顔をアップにするわけでもなく、ただただ物陰から、警察に捕まる仲間を見ている構図からタイトルを映し出すのだ。まあ、これはまだいいとして、問題は終盤。古田大次郎が花菊ともよをレイプした男と決闘し、勝利したところで『菊とギロチン』の文字が画面に映し出される。非常にカッコイイ演出だ。しかし、そこでエンドロールにはならず、ダラダラと花菊ともよが地を這いつくばりながら玉岩興行に戻って息絶え、葬式シーンが繰り広げられるのだ。エンドロールと見せかけて10分近く、映画が続くのだ。だったら、あそこにタイトル文字を出してはいけない。間延び感否めない。

また、その決闘シーン。レイプ男が古田大次郎の顔面を殴りまくるのに、メガネが全然壊れていないのだ。ちょっとヒビが入り終わってしまう。街並みやロケーションにあれだけ拘って撮影しているにも関わらず、アクション演出で「逃げ」を魅せてしまったのは厳しいものを感じる。のび太が、ドラえもんに頼らずボロボロになりながらもジャイアンと戦い続けたエピソードのように、もっとドロドロぐちゃぐちゃに戦って欲しかった。いくら佐藤浩市の息子とはいえ、寛一郎の演技演出に妥協しすぎである。

ダメダメポイント2:矮小化していく物語

本作は、ギロチン社と女相撲。全く違うタイプの二つの組織。しかし、どちらも貧しく、意識に差こそあれど、資本主義に疑問を抱いている。そして、関東大震災に対する復興を考えている。貧しさ、弱さを自己の鍛錬、権力との闘いでもって乗り越えようとしている。本作は、日本人がほとんど知らない歴史的要素の交流でもってインスピレーションを掻き立てていき、個と社会の関係性についての気づきを与えるものとなっている。

そして、そのキーパーソンとして花菊ともよが配置されている。男にヤリ逃げされたのであろう女。腹に子を抱え、常にビクビク怯えている彼女。相撲も弱い。でも何故、彼女は裸を魅せる風俗としての意味合いが強かった女相撲にのめり込んだのかをしっかり描くことで、主題が強調されている。

これはある種『バトル・オブ・セクシーズ』だ。花菊ともよを媒体とした描写から、貧しさに加え男の性的目線から、「強さ」でもって自分を、社会を変えようとする物語だ。
ただ、『BPM ビート・パー・ミニット』の時同様、この大きなテーマが終盤に行くに従って通俗凡庸な小さなテーマへと矮小化して行くのだ。テーマが矮小化して残されたのは、古田大次郎と花菊ともよの恋愛。それも、革命が!とか組織が!とかそういうしがらみ云々ではなく、ただただ、「好き」「付き合う?」「レイプ男倒す」と言った浅いレベルだ。これにより、結局本作で描かれる闘いがどうでも良くなってしまう。
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』のような若気の至りによる破滅の侘しさ。社会を変えようとした者達の情熱が薄まってしまうのだ。

それこそ、ギロチン社と玉岩興行が別れるまでを2時間ぐらいで描いた方が良かった気がした。再会してグダグダとか、中途半端に満州の話を挿入するとか、そういう描写を抜いたら傑作になったと感じた。

ダメダメポイント3:ギャーギャー喚きすぎ

そして、瀬々敬久監督は割と、役者に叫ばせる慟哭シーンがあるのだが、今回は最悪な形で使われていた。慟哭シーンはここぞ!という場面で使うから観客の心に刺さる。『8年越しの花嫁 奇跡の実話』で土屋太鳳が発狂するシーン、そして彼女の謎の病で結婚式を潰されてしまった佐藤健の慟哭は非常に物語を盛り上げる演出として良くできていた。

しかし、今回は、出るキャラ出るキャラみんな叫んでばかり、それも説明的に。

花菊ともよが、去って行く中濱鐵たちを見つつ、浜辺で泣きながら流産する場面。「イダイヨーーーー!」と慟哭するのだが、本当に痛いのなら、そんな言葉は言えないはずだ。うずくまって「イ」の字を発するのもやっとなレベルで、這いつくばるものだ。こういうような描写があまりに多いため、木竜麻生が演技下手に見えてしまう。

藤原竜也系ダメダメ邦画のようなシーンの連続に辟易としてしまった。

余談:お祭り騒ぎの舞台挨拶に感じた違和感



映画の評価というのもは、観る環境によっても左右されがちだ。寧ろ、映画体験全体含めて評価が決まる。実は、『菊とギロチン』、拒絶反応抱かせた部分というのは映画の外側にもあった。それは舞台挨拶だ。ブンブンの行った回では、テアトル新宿最大規模30人登壇の舞台挨拶が鑑賞後に開催された。30人も登壇し、しかも様々なサプライズを用意しているのであろう。上映30分前から、外が騒がしくなっていた。劇場内では映画を上映中なのに、劇場内に聞こえてくるほど大きな声で「あれどうするんだっけ?」「〇〇は?」みたいな会話が繰り広げられる。映画に集中できない。出口に近い席だったからブンブンが悪いのだが、この内輪の盛り上がり感に少し嫌な気分となった。準備はあれど少し、静かにして頂きたい。

そして上映終了後、舞台挨拶が始まるのだが、これが事前準備ちゃんとしていないのかグダグダ。観客やマスコミに、本作の魅力を伝えるとか、解説をするのではなく、また来場者に感謝するという感じでもない、完全に自己満足レベル。内輪の盛り上がりになってしまっているのだ。さらに日本の知られざる女相撲を描いている作品にも関わらず、女性の役者は、最初に壇上に上がらせるわけではなく、通路に太鼓を持たせて立たせているだけ。東出昌大等の男性役者メインで紹介していくのだ。

おい!これはBattle of the Sexesな作品だっただろ!

男性による性的差別も描いている作品だっただろ!

なんでこうも女優を邪険に扱うのだ(個人的に、名脇役・渋川清彦の扱いの酷さにも不満がある)。と怒りすら覚えた。

無論、いっちゃな節のパフォーマンスこそ楽しんだし、やはり紆余曲折あった企画の成功。ブンブンだって楽しみにしていただけに祝福したい気持ちはある。ただ、今回の舞台挨拶は正直やり過ぎだし、不快であった。

実は、本作を観る1週間前に、試写に行った映画友達から、「なんかねぇ、乗れなかったのよねぇー。舞台挨拶もクラウドファンディングで出資した人様様で、まるであまり親しくない人の結婚披露宴にきてしまったかのように興醒めしたんだよねぇ。」と苦言を聞かされていた。やはり、次回以降の舞台挨拶は、抑えて行ったり、しっかり演出の進行を練った状態で行った方が良い気がしました。

最後に…

この記事を書いている時点において、Filmarksでは全く酷評している人はいなかった。ブンブンも、こういうインディーズ映画はヒットしてほしいなとは思う。ただ、ここまで空回りしている様子を観ると、到底褒めることができない。弱々しい花菊ともよが荒波に飲まれて成長していく過程や、中盤、ギロチン社と玉岩興行が共同して活動していく場面等面白い場面は多いし、古田大次郎とレイプ男との死闘シーンは見応えがある。でも、残念ながら今年のワーストテンランクイン確実な作品となってしまった。あまりに勿体無すぎる作りにブンブン、頭を抱えました。

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