【東京国際映画祭】『カリフォルニエ』自分のモノがないこと、自分のジカンがないこと

カリフォルニエ(2021)
Californie

監督:アレッサンドロ・カッシゴリ、ケイシー・カウフマン
出演:ハディージャ・ジャアファリ、イクラム・ジャアファリ、マリレーナ・アマートetc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第34回東京国際映画祭コンペティション作品『カリフォルニエ』を観ました。Twitterのフォロワーさんと食事をした際に『6才のボクが、大人になるまで。』とダルデンヌ兄弟の作品を足したような映画と聞いて不安を感じたのですが杞憂。ありがちな貧困回転寿司映画になっておらず、貧困によって起こる心理的問題を鋭く分析し、寄り添う映画となっていた。

『カリフォルニエ』あらすじ

イタリアの小さな町に暮らすモロッコ人少女の9歳から14歳までに至る5年間をドキュメンタリー・タッチの映像で描く。ドキュメンタリー監督カッシゴリ&カウフマン初の劇映画。

※第34回東京国際映画祭サイトより引用

自分のモノがないこと、自分のジカンがないこと

ジャミラは母に弁当の件について文句を言うところから始まる。叶わぬ願いに不満を抱きながら彼女はボクシングジムのゴミ箱からペットボトルを取り出し、そこに水を入れて登校する。クラスメイトはジュースを飲んでいたりするが、貧しい彼女はジュースを買い与えられないのだ。彼女は語学の授業で先生に発音を指摘され、ムッとなる。1年後の彼女は、もはや先生の指摘を受け入れられなくなってしまう。学校に居場所もなく、家も貧しいので学校をやめる。自由を得る為に、彼女はお金を稼ごうとする。

本作は、貧困における自由への渇望を鋭く捕らえている。多くの映画の場合、自由への渇望といえば、家から出て自分の人生を歩む話に持っていく。本作は、貧困における不自由とは何かを突きつけたシーンを並べるところに注力している。例えば、携帯電話は家族共有である。友達に電話するにしても家族の許可を取らないといけない。そこで邪魔が入ると消耗してしまう。また、仕事を始めると自分が自由に使える時間が少なくなってしまう。だから彼女は携帯を欲しがったり、自由を求めたりするのだ。それを踏まえると、彼女が学校の先生に反発する理由も腑に落ちる。彼女は外国語を操る。しかし、先生に指摘されると、自分が数少ない自由に操れる言葉を奪われると思ってしまい本能的に拒絶してしまうのだ。

だから、彼女が電動バイクを手に入れたとき、嬉しそうに見せびらかすのだ。彼女が長年かけてようやく手にした自分が自由に使えるモノなのだから。これは日本公開されてほしいものです。

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※第34回東京国際映画祭サイトより画像引用