チェド(1976)
CEDDO
監督:センベーヌ・ウスマン
出演:タバラ・ヌディアイユ、アリウンヌ・ファル、ママドゥ・ヌディアイユ・ディアニュetc
評価:40点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
「死ぬまでに観たい映画1001本」アフリカ映画枠としてセンベーヌ・ウスマンの『チェド』が掲載されている。本作はセネガル映画し、もといセンベーヌ・ウスマン論を語る上で最重要作品となっている。汚職とセクハラにまみれた官僚が、女の呪いで不能となり地位が失墜していくブラックコメディ『XALA』で政府に目をつけられてしまったセンベーヌ・ウスマンは本作でセネガル政府からタイトルのスペルが間違っている。Dがひとつ多いという謎の理屈で上映禁止処分となった作品だ。意外と未観だったので挑戦してみました。
『チェド』あらすじ
In protest of forced conversion to Islam, the Ceddo (outsiders) kidnap King Demba War’s daughter Princess Dior Yacine and hold her hostage.
訳:イスラム教への改宗を強要されたことに抗議して、セド(部外者)がデンバ・ウォー王の娘であるディオール・ヤシーヌ王女を誘拐し、人質にした。
セネガル政府「Dがひとつ多いから上映禁止ね」
『黒人女…』、『MANDABI』、『エミタイ』と作品を重ねるごとにドンドンセネガルの部族間問題に近づいていった彼の集大成的な作品である。センベーヌ・ウスマンは識字率の低いセネガルにおいて、視覚メディアである映画の方が効果的であると、小説家から映画監督へキャリアを切り替えた。それ故に、この部族間闘争の話ではサイレント映画に近い技法が使われている。冒頭の、奴隷の行進や、男が呼び寄せると女が近づいていく描写はカットを繋ぐことでアクションが生まれる映画の特性を引き出している。静と動の間を使うことで、アフリカの生活を肖像画にしようと試みており、ひざまづく女からひょうたん型の水筒を奪う場面では、原始的服装である女と現代的な服装を着る男の高低差を強調することで搾取を捉えている。
劇中に白人を介在させることで、女<男<白人といった力関係を表しており、終盤銃を持った女が男を射殺することがトリガーとなる殺戮場面をマカロニウエスタン的アクションを用いることである種のエクスプロイテーション映画となっている。
しかしながら、『MANDABI』や『XALA』のユーモアを先に知ってしまっていると、本作はどうもスノッブな感じがして好きになれない。敢えて非セネガルの音楽を強調表現として使ったり、サイレント映画的場面と政治論争の場面が一貫性なく行き来するところなんかを観ると、どうも欧州の意識高い系を満足させるだけの映画に見えてしまう。こうしたどこか鼻につく感じは、『母たちの村』でようやく解消されたと思う。少なくてもこの時点では、セネガルでは宗教やらで軋轢が生まれているんだぜとドヤ顔しているような厭らしさを感じてしまった。
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※imdbより画像引用