【ブンブンシネマランキング2019】新作部門1位はペドロ・コスタ渾身の『ヴィタリナ』

【ブンブンシネマランキング2019】新作部門1位

今年は劇場で172本映画を観賞しました。

しかしながら、今年は映画厄年であり、数回に一回は劇場内で喧嘩や、イビキ、迷惑な観客と遭遇してしまい、またTOHOシネマズフリーパスの廃止に増税による値上げ、本業で昇進し管理職となった為映画館に行く時間が取れなくなるといった哀しい出来事が相次いだため、割と米国iTunesやmubi、輸入といった形で新作を自宅で観ることが多くなった年です。しかし、やっぱり映画は映画館で観たいもの。今回のランキングは、比較的日本未公開作、あるいは特別上映作品が多いものとなっていますが、それは半ば日本劇場公開してほしいという想いが込められています。故に、ブンブンの口からしか聞けない尖ったランキングとなっていますのでご了承ください。

それでは発表していきます。

1.ヴィタリナ(Vitalina Varela)

監督:ペドロ・コスタ
出演:ヴィタリナ・ヴァレナ、ヴェントゥーラetc

ホース・マネー』では、静なる存在である写真や絵画と、動なる存在の映画との境界線を曖昧にすることで、カーボヴェルデからリスボンに流れ着き、名もなき移民としてその地に沈んでいく魂の放浪を描いてきたペドロ・コスタが今回は、閉塞感を現す境界線の曖昧化でもってパワーアップした魂の流浪を紡ぎ出した。

亡き恋人の面影を追い、リスボンに降り立ったヴィタリナはその土地から男の匂いを受け取ろうとする。閉塞感に満ち溢れたスタンダードサイズの画面は、強烈な陰影によってさらに狭められていく。映画はその特性上、はっきりとした輪郭を持っているのだが、そもそも《閉塞感》という単語は抽象的で境界線なんかないはずである。ペドロ・コスタは、影により限りなくフレーム内外の境界線を消し去る映画史にとって前代未聞の手法で持って、《閉塞感》を描いてみせた。

闇の奥から仄かに光る明かりの中で突然起きる、霊的な現象。もはや生きているのか死んでいるのか分からない他者との対話の末に彼女の心は浄化されていき、その道中の果てに映し出される光の景色に涙した。

これぞ、陰翳礼讃だ!

2.アド・アストラ(Ad Astra)

監督:ジェームズ・グレイ
出演:ブラッド・ピットトミー・リー・ジョーンズルース・ネッガリヴ・タイラーetc

今年は、『運び屋』に始まり『さらば愛しきアウトロー』といった、何かに熱中し生涯を駆け抜けていった男が人生に決着つける傑作が沢山公開されました。その中の一つがこれだ。トミー・リー・ジョーンズ演じる、海王星で宇宙人との邂逅を追い求める男が、地球からはるばるやってきた息子との再会で決着をつける話だ。ジェームズ・グレイお得意のミニマムな心理劇がブラッド・ピットの手によって、2010年代の『2001年宇宙の旅』として超絶壮大になって描かれた。

『2001年宇宙の旅』では、人類には早すぎた未知が描かれているが、ジェームズ・グレイの場合、ひたすらに宇宙をリアリズムで描いてみせる。結局人類は宇宙にいったところで資源を巡る抗争は繰り広げられてしまうし、惑星ごとには税関が存在する。歴史が始まって、人類は少しずつ技術を発展させ、地球全体を自由に行き来できるようになったが、人の行き来は監視される。不審な人物が入り込まないように。それは恐らく宇宙に行っても変わらないだろうというジェームズ・グレイのドライな感情が、『2001年宇宙の旅』をすぐそばの世界にして魅せるのだ。

ジェームズ・グレイはブラッド・ピット演じる、宇宙飛行士をHAL 9000さながらのドライさで描くことで、超人の厭世を強調させて魅せた。そして、超人を超えた父との邂逅を通じて、超人の外側との和解が映画全体に行き渡り、悟りの境地をこの映画に見出しました。

こう高尚に語ってはいますが、午後のロードショーで放送される脳筋SF映画的展開を突然魅せつけるギャグ場面もあるので、ジェームズ・グレイのバランス感覚には脱帽するあまりであります。

3.TOURISM

監督:宮崎大祐
出演:遠藤新菜、SUMIRE、柳喬之etc

ロードムービーは定期的に作られて旅好きに大きな影響を与えているのだが、現代旅行とスマホの関係性について鋭く切り込んだロードムービーはこれが初めてであろう。地方都市で退屈そうに未来も見えずに暮らす少女は、とある幸運からシンガポールに旅行する資格を得る。彼女は初海外旅行として、シンガポールに降り立つ。旅というのは、本来不条理を楽しむものである。旅行でしか経験できない一期一会や、一回性の体験に身を投じるものなのだが、彼女たちは常にスマホを片手に、オススメされた場所に行き、SNSのライブ配信で報告して行く。彼女たちは、小さなディスプレイの外側に広がる本物の文化とまともに取り合っていないのだ。なんとなく微笑み、インスタ映えする場所に行き、写真や動画を撮ることで満足してしまっているのだ。

それがスマホを失うことで、「るるぶ」や「ことりっぷ」になんぞ載っていない本物の異文化と触れることができる。言葉は通じなくとも、ソウル・トゥ・ソウルで文化を共有し、ホーカーズ(シンガポールの屋台)にすらないような家庭料理を体験する。屋上では、住人たちがライブをしている。

今の《旅行》が忘れてしまった醍醐味というものをゆるーく、でも鋭く描いていく宮崎大祐監督の技量に感銘を受けました。

4.Mektoub, My Love: Canto Uno

監督:アブデラティフ・ケシシュ
出演:Shaïn Boumedine、Ophélie Bau、Salim Kechiouche、Lou Luttiau etc

今年のカンヌ国際映画祭で続編が公開されたものの、3時間半の大半がお尻しか映っていなかったようで大炎上、他国では一切公開されないし、予告編もないという大惨事となった。そんな『Mektoub My Love』1作目はアブデラティフ・ケシシュがどんなにクソ野郎だとしても、大傑作には変わりないので入れざる得なかった。映画の脚本を書き終え、ヴァカンスに故郷へ帰ってきた男が待ち受けるのはパリピのパーティ。四方八方、男がナンパし女がそれに乗る祭が繰り広げられていた。主人公の男もそのビッグウェーブに乗ろうとするのだが、陰キャラ過ぎて全くもって縁が結ばれない。

原題の《Mektoub》とはアラビア語で、「書かれた」という意味と「運命付けられた」という意味を持っている。脚本家である彼は、運命の赤い糸を感じ「運命付けられた」恋を信じているが、アブデラティフ・ケシシュによって「書かれた」本作は残酷にその恋情を裏切っていく。

眩いほどのヴァカンスを舞台に繰り広げられる、気持ち悪い恋の残酷さに痺れました。

続編、観たいなー

本作は映画関係者曰く、配給権を買っていたのだが、#MeToo運動により監督のセクハラが明らかになって公開がなくなってしまった作品。よって続編含めて日本公開が絶望的なのですがNISHI THE WILD(@ryuugo0420)さんあたりが本気を出せばワンチャン観られるかもしれない…

5.パラサイト 半地下の家族(Parasite)

監督:ポン・ジュノ
出演:ソン・ガンホ、イ・ソンギュン、チョ・ヨジョン、チェ・ウシクetc

2010年代のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作品は社会的弱者を真面目に描いた作品ばかりだった。アカデミー賞のように大勢の票によって決まる祭典であれば、妥当であるが、カンヌ国際映画祭のように少数の審査員が受賞作品を決めるものでは、如何にして芸術性と他の要素の結合の鋭さを評価していくところに重点を置くべきだと考えている。そして、韓国から彗星のように現れ、韓国映画史上初、国際映画賞(旧・外国語映画賞)ノミネートに大手をかけた『パラサイト 半地下の家族』は、カンヌ国際映画祭の傾向を完全に把握し、勝てる映画にしつつも徹底的にエンタメ性と芸術性を両立させていった最強の魔物であった。

韓国映画史上伝説的な作品『下女』における階段の構図を引用し、階段や歪な段差が生み出す死角でもって領域の断絶を描き出していく。それは普遍性の極みに到達し、貧富の格差に始まり、難民問題、日本においては就活の面接(例えば、プログラミングなんか嫌いなのに、面接でできるように偽って就職し、ミスマッチが起きてしまう状況とか)等いくらでも置き換え可能な話に化けます。世界中で大ヒットしているのも納得である。

そして、毎分修羅場となってくる後半のスリルはエンターテイメントとして最高のものであり、つまらないことで悪名高い最近のパルムドール作品の中で屈指の娯楽作となっているところも痺れました。ポン・ジュノ大先生、流石です。

6.KNIFE + HEART

監督:ヤン・ゴンザレス
出演:ヴェネッサ・パラディ、Kate Moran etc

日本ではNetflixで『全裸監督』なる、AV事情を描いた作品が話題となったが、フランスでも同様にピンク映画界について描いた作品があった。ヤン・ゴンザレス監督は《a figure de la femme dans le porxx amateur(アマチュアピンク映画の女性像)》というテーマで修士論文を描いているだけに、一見ナンセンスな映画に見えて鋭い理論に満ち溢れた作品であった。

本作は、多層的な弱者の居場所と、好奇の目の関係性を描いている。

1979年フランスはまだ、今ほど同性愛者に対する理解はなかった。官能映画の持つ背徳性は、同性愛者に居場所を与える。ゲイにとって官能映画を作ることは、居場所を作ることでもある。それを好奇な目で役者を雇い、自らもガンガンカメラの前に入り撮影に参戦してくるレズビアンは、コミュニティが他のコミュニティを見下す様を表しているように見える。そして、それは官能映画を観るという行為が払拭できない《好奇の目》そのものを鋭く批判していると言えよう。そして、不気味に迫り寄る仮面の男と殺人は、マイノリティに不寛容な社会を象徴しており、闇から現れ唐突に殺されていく描写でもって象徴させている。

視覚的面白さと、ヤン・ゴンザレスの弟にあたるアンソニー・ゴンザレスが務めるバンドM83が手がけるサントラのカッコ良さが映画的興奮も作り出し、凄まじい傑作に化けていました。

どうやら日本配給がついているようなのですが、果たして公開されるのでしょうか?
(映倫と揉めそう…)

7.イサドラの子どもたち(Les enfants d’Isadora)

監督:ダミアン・マニヴェル
出演:アガト・ボニツェール、マノン・カルパンティエ、マリカ・リッツィ、エルザ・ウォリアストンetc

踊りが継承されるとはどういったことなのだろうか?

映像が残っておらず、楽譜を読み込んで再現するしかないイサドラ・ダンカンの《母》を継承する3人の女性の話は、驚くべきことに観客も継承者の一人としてカウントしていた。楽譜を読んで、それを再現する女性。先生から教えられて、会得するダウン症の女の子。そしてその演劇を観て徐に家で再現する黒人の女性。踊りがどのように人々に伝わってきたのかといった歴史を超絶ミニマムな空間で、繊細な動きによってバトンが渡されていく様の美しさに惚れ込んだ。ダミアン・マニヴェルは『パーク』もそうだが、ミニマムながらも広い時間の流れを捉えるのに長けている今注目の監督。元々ダンサーだった彼が、長年撮りたかったダンサー映画として放たれた本作は、観客にまで踊りの哲学のバトンを渡してくれる素敵な作品でした。

日本公開は来年。

8.THE GREEN FOG

監督:Evan Johnson,Galen Johnson,ガイ・マディン

2010年代、デヴィッド・リンチの跡を継ぐ実験映画監督ガイ・マディンは、Evan Johnsonと共にサンフランシスコを舞台にした往年の名作のフッテージから一本の映画を生み出そうとする過程で、何故かヒッチコックの『めまい』の再現に取り憑かれた。緑の濃霧の中から生み出される『めまい』は、サイレント映画狂のガイ・マディンの悪魔合体によりサイレント映画として蘇った。全く別々の作品にもかかわらず、そこには『めまい』が存在したのだ。

本来、ここにはゴダールの『イメージの本』がランクインするはずだったのだが、引用でしか映画が語れないゴダールの厭世が肥大化し、遂には物語らないことをシネフィル/映画評論家がよしとすることに甘んじている(いや、ゴダールはわかっているだろう。シネフィル/映画評論家が勝手に自分の不出来を盲目的に賞賛していることに)ことが本作で見えてしまったので外した。2010年代は情報過多社会となった。それは、ゴダール的論文引用としてのオマージュに始まり、タランティーノ的ヒップホップ的オマージュとなった映画引用の歴史において新たな一歩を促した。パールフィ・ジョルジが様々の映画のワンシーンを組み合わせて一つの映画を作る『ファイナル・カット』で例を示し、それに続くように映画内の星空だけを集めた『★』、監視カメラの映像だけで物語を作り出す『とんぼの眼』といった作品が生まれた。そうです、ゴダール映画は好きだが、彼のスタイルは時代遅れになろうとしているのです。今や、サンプリングで物語れることが重要なのです。

『THE GREEN FOG』はそんな2010年代引用映画の淵に立つべき作品として選出しました。

9.LETO

監督:キリル・セレブレンニコフ
出演:イリーナ・ストラシェンバウ、ユ・テオ、Roman Bilyk etc

ソ連時代のアングラバンドキノー(Кино)のヴォーカルことヴィクトル・ツォイの歴史を追った音楽映画なのだが、面白いことに彼らの音楽はエンドロールの《Кончится Лето(夏が終わる)》ぐらいでほとんど使われず、楽曲《Лето(夏)》も全く雰囲気が違った曲調になっているのだ。そしてトーキング・ヘッズの《Psycho Killer》やイギー・ポップの《The Passenger》など、別のバンドの楽曲を使ってミュージカルを展開していくのだ。

これはキノー(Кино)ファンブチギレの映画だが、本作は普遍的な青春と音楽の本質を捉えた作品であり演出のキレが凄まじいこととなっていた。《Psycho Killer》が歌われ始めると、画面全体に落書きが侵食し始め、画面の境界まで落書きが超えていってしまう。また、往年のロックバンドアルバムを落書きで再現したり、第四の壁を超えてきたり観たこともない自由さが画面を駆け巡っていた。それは音楽が持つ、大人や社会に対する反発を表すのに見事な表現であった。

キリル・セレブレンニコフ監督は日本未紹介監督であるが、過去作『The Student/(M)uchenik』も含めて今後注目していきたい監督である。

これも日本配給ついているようなので来年ひょっとしたら映画館で鑑賞できるかもしれません。

上映するとしたらTOHOシネマズシャンテ、あるいはヒューマントラストシネマ有楽町だと思われる。

10.春江水暖(Dwelling in the Fuchun Mountains)

監督:グー・シャオガン

2020年代に希望の光を灯したいということで、傑作なのはわかりきっているフレデリック・ワイズマンには立ち退いてもらい10位へ組み込みました。東京フィルメックスで審査員特別賞を受賞したこの中国作品は監督デビュー作でありながら巨匠・晩年の作品のような力強さを感じた。何と言っても、長回しにこれだけの手数があるのかと思うほどに、2時間半あらゆる長回しを魅せてくる。絵巻物のように横移動しながら、中華料理店がヤクザに襲撃されて去っていく様子。川を泳いで、岸に着くまでのプロセス。肖像画のように映し出される食卓風景etc。

そんな長回しの絵巻物の中で描かれる、お金を巡った家族のいざこざ、そして都市開発から象徴される世代の分断などといった中国現代史の豊穣な語り口にすっかり魅了されました。無事配給がつき、来年日本公開されるようです。グー・シャオガン2020年代最も輝く監督の一人になれそうです。

→NEXT:11位~20位

4 件のコメント

  • さすがのランキングですね。アド・アストラのジェームズ・グレイはシネフィル評価の高い人だったんですね、知らなかった。早くパラサイト見に行かなければ。
    私も2019年で選んでみました。見てないものもたくさんあるけど・・・。
    コメントは反映されないんだなとがっかりはしたんですが、もうDMと割り切って書き込ませていただきます。不快、迷惑でしたらすみません。

    メジャーベスト5  1位:天気の子  2位:トイ・ストーリー4  3位:ブラック・クランズマン  4位:ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド  5位:アベンジャーズ/エンドゲーム  次点:ジョーカー 運び屋 アイリッシュマン

    マイナーベスト5  1位:旅のおわり世界のはじまり  2位:TOURISM  3位:象は静かに座っている  4位:岬の兄弟  5位:向こうの家  次点:ひかりの歌 よあけの焚き火 よこがお ワイルドライフ 誰もがそれを知っている ある女優の不在 帰れない二人

    1位:天気の子。新海氏の全力のメッセージに感動。所謂セカイ系と呼ばれる作風自体も、作中でツッコミが入るなど独自の深化が見え興味深い。前売り券の不売や、企業のPPなど興行面において正直嫌味を感じる部分もあるが、ストーリーテリングの剛腕ぶりは素直に認めるべき。

    2位:トイ・ストーリー4。哲学的テーマに脱帽。3で完璧に終わったと思いきや、その先が。玩具かゴミかという二者択一を脱構築し、生きるということの可能性を色鮮やかに描いてくれた。白と黒のその間に無限の色が。続編が常に最高作になるという正真正銘の化け物シリーズ。さすがにもう5はいい。

    3位:ブラック・クランズマン。黒人問題がより苛烈を極めている昨今、黒人映画もまた最大の活況を見せているのだから、世の中捨てたもんじゃない。そんな中、黒人映画の古強者である彼が堂々の傑作をものしてくれたのが非常に嬉しい。重くなりすぎない軽快な語り口。ラスト、懸案の不快事項だった差別主義者の同僚警官をやんわりと懲らしめて気持ち良くハッピーエンドと思いきや、これは昔話じゃないんだとガツンとやってくれる。伝える、怒らせる、考えさせるという事において非常に秀でた作りをしていると感じた。

    4位:ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド。正直言えば、最近のタランティーノはイデオロギーに傾きだしているせいでバイオレンス映画としての強度に不安を感じる。ジャンゴはバイオレンスとしては微妙な出来だろう。さて、今回。往時の描写の濃厚な愉快さは今までになかった要素で、中盤の牧場シーンの緊張感はお得意の要素だと言える。結末はイングロリアスで1回やっているので、そこまで驚きはないが、全編明るい作風だったことも手伝い暴力描写がややトゥーマッチに感じられた。あそこはもっと、会話を長く緊張感を持続させたのち一瞬で決めた方が良かっただろう。バイオレンス映画で重要なのは、暴力描写そのものではなくて、暴力により一瞬で人が居なくなる恐怖そのものの方なのだ。

    5位:アベンジャーズ/エンドゲーム。サノスのキャラクター描写の深さと説得力は、勧善懲悪ものの悪役として今までになかった革新性がある。そしてまた全てのキャラクター達が深い理解と愛情の基に描かれていることが伺える。これが、そのまま物語の強度に繋がり、荒唐無稽で複雑なお話に観客がついて来られる下地となっているのだと思う。

    次点。ジョーカーは確かに素晴らしかったが、冷静に振り返ると意外なまでにジョーカーは自分の苦悩をそのまま吐露していて、分かり易すぎるきらいがある。しかし、どこまでが主人公の妄想なのか分からない物語構造の魅惑で、この短所でありかつ長所の泣き所がそのまま生かされたのだろう。キリスト復活のラストなどもやりすぎな気がするが、全て妄想として片付ければ納得できるのが、ずるいような面白いような。
    運び屋、アイリッシュマンは老いのスローさが前面に出てはいるものの、往年の切れ味も健在で、これが枯淡の境地かとしみじみとさせられる。

    1位:旅のおわり世界のはじまり。レベル100のアイドル映画。ドキュメンタリーを撮るよりも前田敦子を丸裸にしたんじゃないかという恐ろしさを感じる。取調室での「すみません」の言い方は監督のディレクションがあったのでは。

    2位:TOURISM。傑作「大和(カリフォルニア)」の後でリラックスして撮ったように思える1作。前作の舞台であった「日本の都市部郊外」というものが、そのまま若者のキャラクターとして擬人化されて海外旅行をしているといった感じ。宮崎監督は、このまま伸び伸びと撮り続けアサイヤスのような大物になってくれないかなと期待。

    3位:象は静かに座っている。結局結構好きだったなと思いました。あの淡い色調とか。カメラワークと青さはやっぱり気になりますが。

    4位:岬の兄弟。過激な話なんですが、主演の2人のお芝居を丁寧に撮ってくれたから不快なものにはならなかったんだと思う。次回作も期待。

    5位:向こうの家。丁寧に作られた若手の作品。わたしたちの家といい、邦画の若手は家に注目しているのだろうか。出来れば中の間取りまで把握できるぐらい空間を追及して欲しい。その意味では「ねえ!キスしてよ」は凄かった。

    次点。普通一般のシネフィルならひかりの歌を、もっと上位に持ってこないといけないとは自分でも思うが、2章の扱いが気になった。容姿の美しい若い女性がそのことで男に求められる苦悩を描いているのだが、映画としても彼女に短パンでランニングさせセクハラまがいの歌が出てきたりと居心地が悪すぎる。観客に対する挑発とも受け止められるが、そのくせチラシでもやはり美しい彼女が一枚看板だから、ちょっと理解に苦しんだ。よあけの焚き火は、能楽、狂言の言葉の面白さがストレートに良かった。ワイルドライフは、ルビースパークスの2人がしっかりとした文芸映画を作ってくれたなと満足。もう主演の男の子の顔が2人の本当の息子のように見える。残り3作はもう世界的には巨匠の3人の間違いないクオリティの映画なので、マイナーの次点というのも失礼だとは思うのですが挙げておきたかった。特に、ある女優の不在は、ある程度予想覚悟はしていたけど、もう無茶苦茶キアロスタミで本当に驚いた。でも中途半端ではないキアロスタミ愛があってこうなっているのだから、良い後継者に恵まれたんだなとは思いますね。

    • 通りすがりさん、コメントありがとうございます。最近は、本業の方が忙しいのと、迷惑コメントが多いのであまりみれていません(申し訳ありません)。

      ただ、通りすがりさんの熱量あるこのコメントは、返信せねば!と思いました。2019年は日本のインディーズ映画に力強い作品が多かったと思います。ただ、この手のインディーズ映画は上映劇場が限られていたりするので、『ワイルドツアー』や『向こうの家』といった作品を見逃してしまいました。恐らく観たら、ベストテンに入れていたであろう『月夜釜合戦』も見逃してしまいました。

      通りすがりさんのベストテンは、非常にバランスが取れており、私の理想とするシネフィルのベストテンに近いものがあります。シネフィルになればなるほど、ベストテンがマニアックな映画だらけとなり、大衆映画を軽視しがちです。自分は、そういう嫌なシネフィルにはなりたくないなと思っており、『アベンジャーズ/エンド・ゲーム』や『シティーハンター THE MOVIE』といった娯楽作品も面白ければ積極的に評価していくことにしています。最近だと、『カイジ ファイナルゲーム』がなかなか攻めた作品で面白かったです。

      ということで、2020年もよろしくお願いします!

  • あ、良かった、返信。ありがとうございます。

    そういえば、月夜釜合戦がありましたね。不思議な雰囲気の活劇でした。

    チェ・ブンブンさんは相当若いのに、凄まじい数をご覧になっているのだろうなと頭が下がります。体感的にはほぼすべて見ているんじゃないかと思うし、日本のシネフィルはほとんどの人がブンブンさんのブログをチェックしているんじゃないかと思います。自分はだいたいブンブンさんの10歳ぐらい上なんですが、見ている数では全く比べ物にならないでしょう。であるのに老婆心から、物申したくなってしまうという厄介読者ですね、ホント。

    バランスの良いと仰っていただきましたが、個人的にもシネフィルのマイナーを擁護、発掘したいというオタク的側面は良いと思うんですが、メジャーは腐すという天邪鬼的側面はどうかと思ってしまうんですよね。今どれほどメジャーな映画も、いつかは若い人は誰も知らない作品となる。例えばカサブランカを評価するシネフィルはほとんどいないけれど、本当にそれで良いのだろうか?とか。さすがにカサブランカ級ならば、忘れ去られる事はないと思うけど、メジャーだから無視して安心というのも違うはず。どの映画も良いところがあって素晴らしいとする仏の顔も、見なくてもいい映画と見るべき映画の峻別は厳然とあるとする鬼の顔、どちらも映画評論家には必要だと思います。娯楽作品と同程度には芸術映画にも別にあっても無くても良い作品というのはある筈。むしろ娯楽映画は時間の試練により自然と篩に掛けられるのだから気にしなくても良いのだけれど、芸術映画は3大映画祭などにより偽物が祭り上げられて後世に残ってしまうというような危惧があるのではないかと思っています。カンヌは本当にハッタリに弱いから困る。柳下毅一郎は何故あんなにもC級一般娯楽邦画を叩くのか。只の弱いもの虐めにしか見えない。3大映画祭ノミニーから選んで、本当に下らないものをこそ叩くべきだ。

    また長文になってしまいました。すみません。あまりご無理はなさらずに・・・とは言っても2020年も期待しています。やっぱり殆んど見てるんだろうな、と。

    • 通りすがりさん

      おはようございます。
      中学時代から、映画に嵌りいつの間にか、ここまできました。
      最近、思うのはTSUTAYAがNetflix等のサブスクリプションに押されて、レンタルビデオ屋に行く文化がなくなってしまっていることです。これは、レンタルビデオショップに行って偶然面白そうな映画に出会う機会が激減したことを意味します。NetflixやAmazon Prime Videoは確かに、映画の本数も多いのですが、機械学習でその人が好きそうな映画しか提案してきません。また、マーケティングの観点から、古い日本映画・外国映画はあまり配信されていません。それによって、古い映画にアクセスする機会が失われつつあります。ただ、どんな映画も古い名作を下地に強いていたりする。例えば、今話題の『パラサイト 半地下の家族』はキム・ギヨンの『下女』やジョゼフ・ロージーの『召使』を下地にしています。そういった作品にアクセスできるように、魅力的な文章を書くように日々文章を鍛錬させていってます。

      通りすがりさんがおっしゃっていた3大映画祭問題は、私も強く感じています。3大映画祭は、アカデミー賞とは違いある意味少数決です。少数決だからこそ、芸術性と向かい合って欲しいのですが、最近は貧困問題さえ描いておけば最高賞が獲れてしまう状態に辟易しています。それを逆手に取り、芸術性とエンターテイメント性を両立させた貧困映画『パラサイト 半地下の家族』は別として、『わたしは、ダニエル・ブレイク』や『ディーパンの闘い』がパルムドール獲ったことは非常に問題だと感じています。

      長文になりましたが、ここまで熱狂的に応援されている方がいる以上、さらなる飛躍を目指して頑張ります!
      (来月、映画検定1級を受験するので、頑張って合格の切符掴んでいきます)

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