【ネタバレ考察】『TOURISM』旅はスタンプラリーでもインスタ映えスポットでもない!

【ネタバレ考察】『TOURISM』旅はスタンプラリーでもインスタ映えスポットでもない!

ユーロスペースで先日観た映画『TOURISM』。本作は、たった77分、二人の女性がなんとなくシンガポールを旅する、テレビ番組の延長のように見える作品でありながら、ブンブンシネマランキング2019暫定ベスト1に躍り出ました。本作は、非常に短い時間でもって現代日本人の旅行感覚というものを痛烈に批判してみせたのだ。それも説教臭さが全くなく、思わぬ気づきという形で提示していく心地よさに満たされていたのだ。これが120分の映画だったら駄作になっていただろう、ひょっとすると90分でもキツイものがあったと思う。77分という黄金比に旅の哲学を凝縮したことで、後光が差し込む作品となったのだ。そんな『TOURISM』の面白さについてネタバレありで当記事は語っていきます。未見の方は、是非ユーロスペースに行ってみて下さい。特に、海外旅行好きにはグサグサ刺さる作品ですよ。

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海外旅行のディズニーランド化

『TOURISM』は地方都市に住む3人の若者の日常を映し出すところから始まる。未来なんか漠然としていて、自分の未来を掴めそうになく、ただ地方でくすぶっている男女の日常が紡がれるのだが、空族の映画、例えば『国道20号線』なんかと比べるともっとマイルドだ。それが残酷な程に。彼女たちにとって社会は空気でしかない。日本の政治が汚職にまみれ、世界的地位を失おうとも、消費税が上がり、貧富の差が広がり、国民の生活がドンドン地に墜ち、生活に息苦しさを薄々感じているように見えるが、もはや自分達にはどうすることもできないと、フワフワした理想に手をやんわり差し伸べるだけでもはや悟りをひらいてしまっている。無関心に包まれ、辛うじて興味を示すものや「やばいね」程度の言葉に集約されてしまっている。何となく、先日の選挙で国民が政治に無関心で、投票率が凄惨なこととなっている現状の空気感を捉えているように見える。

まあ、それは映画の外にある世界をブンブンが妄想しただけなので本題に戻そう。この男女のダラダラした世間話が冒頭展開される。

幽霊が見えるんだけど、いやあれはご近所さんだ。優しいよ。

フムスでイスラエルとレバノンが戦争起こしたんだって。えっ食べ物で戦争?ヤバイね。みたいな会話が延々と続くのだ。

そんな彼女たちに「世界どこでも旅行できる権利」といういかにも怪しい当選メールがやってきます。男の子ケンジは遠慮して、お前ら二人で行ってこいよ。とニーナとスーに旅を勧める。トラベルジャンキーなら千載一遇のチャンスだ。そうじゃなくても、パリ、ロンドン、グランドキャニオンetc色々旅のアイデアが浮かぶことでしょう。ブンブンだったら、ラリベラの岩窟教会群をみるためにエチオピアに飛びたい、あるいはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼に行きたいと思う程羨ましい権利だ。しかしながら、彼女たちはダーツの旅かと思う程、テキトーにGoogleMapをタッチして旅先を決めるのだ。そしてこれは脚本なのか、即興なのかわからないが、抱腹絶倒の旅先が選ばれてしまうのだ。

まず最初に選ばれるのは、イエメンだ。試しに外務省の危険・スポット・広域情報をみていただきたい。紅に染まっているではありませんか。外務省によると、イエメン全土で政府と反政府勢力(ホーシー派)との戦闘が勃発しており、イスラム過激派組織によるテロ,誘拐事件も発生しているとのこと。あまりの危険さからイエメンの大使館も2015年に閉鎖しているとのこと。海外旅行未経験の彼女が気軽にいく場所ではありません。例え世界遺産のサナア旧市街に行きたくてもやめておいたほうがいい場所です。

しかし、彼女はイエメンなんて全く知らない。ケンジが「内戦起きてるらしいよヤバイよヤバイよ。」と忠告し、「へーヤバイんだー。」と受け流してしまうのだ。彼女たちにとってどこへいくも何しにいくもどうでもいいのだ。とりあえず行くが目的となっているのだ。そんな彼女たちが次に引き当てるのは、ホンジュラス。渋すぎます。一応、渡航危険度はイエメンほどではないにしろ、よほどマヤ文明に興味なければ旅行難易度・危険度共に高いのでやめておいたほうがいい場所だ。ここで、危険な国としてベネズエラを出すのではなく、少し外してホンジュラスを引き当てるこの脚本に力強さを感じる。

こうして彼女は三度目のチャンスでシンガポールを引き当てる。ケンジが英語が話せなくてもわかるよ。ディズニーランドのような場所だねという。なんて的確な表現なんだ。しかもハワイやグアムといった日本語もガンガン通じる場所を少し外してくるあたりも素晴らしい。結局彼女たちの旅は、異文化交流なんてものは念頭になく、ただ日本を離れる存在でしかなかったのだ。

それが顕著に現れるのは、シンガポールに降り立った後の彼女たちの行動である。彼女は、ほとんど現地人と会話していないのだ。軽く英語は使えど、常に二人はぴったりくっついて、インスタ映えするポイントを探す。そしてご飯を食べる時も、ビデオチャットで日本人と会話しながらワイワイしている。そしてシンガポールに何があるのかすら把握しておらず、Siriにオススメを訊いて、マーライオンのところに行って「えーなんかがっかりだね」と言う。

そんな彼女のフーテンダラダラ旅に突然監督の鋭い眼差しが差し込まれる。彼女たちが日本占領時期死難人民記念碑の前で、「でっかいねー」とキャッキャしていると、画面が突然白黒になり、爆撃音が挿入されるのだ。これは、彼女たちが何気なく見ているものの裏には日本人がシンガポール人を殺戮してしまった過去が眠っていることを痛烈に皮肉っているのです。実は、意外と歴史に消されてしまっているのですが、日本が真珠湾攻撃する少し前に、シンガポールでも大規模な爆撃作戦が展開されていたのです。そして抗日である華僑住民を片っ端から殺害していったことを忘れないようにとこの塔は建てられたのです。日本では《日本占領時期死難人民記念碑》という名前で呼ばれていますが、《血債の塔》と「人を殺害した罪の塔」という意味が込められた別名を持っています。ここで彼女たちの無知と、シンガポールに来てもディズニーランド感覚で何も知ろうとしない無関心が抉られていくのです。

これは極端な例、カリカチュアであるのだが、日本の旅行スタイルでもあります。ブンブン、旅行が大好きでひとり旅、ツアーいろんな形態で世界を見て回ったのですが、日本人は、それこそかつてのブンブンもそうだったのですが、海外旅行をスタンプラリーとしか思っていないのです。映えるスポットをパシャパシャ写真に撮る。現地人との交流はなるべく避ける。例え、英語でコミュニケーションできる機会があったとしても会話をしようとせず、一方的に自分が知りたいことを訊き出して終わりだ。

モロッコにツアーで旅行した際、マラケシュのマーケットをブンブンのツアー集団が写真で撮りまくっていました。その時、ブンブンはあることに気づいてしまいました。現地人は蔑視の目でブンブンのツアー集団を見ていたのです。そう、見世物小屋のように土足でモロッコの文化に入り見下していたのです。無意識に。これ以来、旅先での写真には気をつけるようにしているのですが、日本人の旅ってディスプレイ越しのただのスタンプラリーなのではと思ってしまう。これはディズニーランドで開園早々ファストパスを取りに行き、時間に追われるようにアトラクションとアトラクションを渡り歩いているのと等しいのではないか。

こういった旅に対する批判的な目線が本作では鋭く注がれ続けている。

スマホを捨てた時、交流が始まる

物語中盤、ニーナはスーと離れ離れになってしまう。最悪なことに、彼女はスマホも落としてしまい絶体絶命の危機となる。異国の地で迷子になった彼女ではあるが、英語は得意ではない。かといって、『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』の寅さんのや出川哲朗のようにパワープレイの日本語トークで押し切る勇気もない。こうして前田敦子の『旅のおわり世界のはじまり』以上にリアルで生々しいホテル探しの旅が幕を開けるのだ。アイスランドやパリ、ウィーンでホテルの場所が分からなくなり泣きそうになりながら街を彷徨ったことのあるブンブンにとって、これ程リアルな迷子シーンは背筋が凍ります。

なんとかニーナは、女学生と思しき方にホテルのある駅まで連れていってもらうことに成功する。スマホを失い、友を失い、初めてする異文化交流だ。ニーナは英語ができない。相手も日本語は話せない。しかし、『NARUTO』や『Perfume』、『きゃりーぱみゅぱみゅ』といった単語の断片で気持ちが通じるのだ。魂の交流ができると、自ずと相手の言葉が分からなくても意思疎通ができる異文化交流あるあるを象徴している場面である。と同時に意地悪なことに、ニーナの外国人に対する精神的拒絶も表現していたりする。相手は「こんな童謡知っている。日本語なんだけれど。」と「ムカシ、ムカシ、フフフフフー」と歌い始めるのだ。これは有名な童謡だ。浦島太郎の曲なのだ。しかし、ニーナはヘラヘラ笑っているだけだ。その曲の正体を知ろうとすらしないのだ。彼女にとって、ホテルに行くこと、スーと再会することが目的となっているのだから。日本人にありがちな(ブンブンも反省しなければならないのだが)、分からなかったらヘラヘラ笑って誤魔化す仕草が皮肉となって利いている場面である。

そして、そんな彼女は十分に意思疎通を図れなかった結果、これまた変な場所に連れてかれ、完全に迷子となってしまう。ディズニーランドとは違い、手頃な迷子センターなんてありません。彼女は現地人を信頼できなくなり、スマホを借りようとも道を訊こうともせず、ただ街を何時間も徘徊し、遂にはあたり一面真っ暗となってしまいます。彼女たちは日本に帰れるだろうとは思いつつも、果たして彼女はどうなっちゃうの?という不安で胸が締め付けられます。

そんな彼女に、とあるシンガポール一家が手を差し伸べ、家に招くのだ。そこでは、ホーカーズですら味わえない本場の家庭料理が振る舞われる。そして、手でご飯を食べる文化と邂逅するのだ。ここで初めて本当のシンガポールを彼女は知る。そして心と心が通った対話が実現される。屋上では、バンドマンが独特な音楽を披露し、人々は和気藹々と楽しむ。地球の歩き方になんか載っていない経験をするのだ。

スマホを捨てた時に訪れる旅の魅力の爆発にブンブンは涙しました。これだよ、旅の楽しさは。分単位でギチギチに、「行くべきところベスト〇〇」に載っているところを渡り歩くレベルでは得ることのできない一期一会の面白さがここに凝縮されていました。そして、あっさりとニーナとスーは再会し、大変だったねーと笑いあって映画は終わる。彼女が成長できたかどうかは分からない。別に一期一会の出会いでもってシンガポールの歴史に興味を持ったとかそういうことはない。しかしながら、彼女は無意識にホンモノの世界を味わい、心において映えるモノを捉えたのだ。

最後に…

ブンブンはかつて、社会人になったらできないことをしようと、とにかく時間さえあれば海外へ飛んだ。30ヶ国以上旅した。それは今見るとスタンプラリーだなと思う。まあ、サラリーマンになってしまうとヨーロッパ方面になんていけなくなるのは本当だから、別に後悔はしていない。とはいえ、時間に追われ、その国の歴史や文化を軽率に疾風怒濤のごとく通り過ぎ、そして見世物小屋の猿を見るように現地人をスマホに撮ってしまったことを猛省した。

この作品の爆笑ゆるゆる旅には旅の全てがある。そして、いつか宮崎大祐監督が作るであろうニューヨーク編に対する期待が高まりました。

そしてこんな傑作に全然人が集まっていない(ブンブンが観ていた回及び、親友が観た回共に20人くらい且つFilmarksレビューも乏しい)のはなんて残念なことだろう。普段旅行しない人にとっては遠い題材なのかもしれませんが、少し悲しくなりました。

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