【Netflixネタバレあり考察】『トールガール』ネットフリックスが目指した多様性の頂点

トールガール(2019)
Tall Girl

監督:ンジンガ・スチュワート
出演:エヴァ・ミッシェル、グリフィン・グラック、サブリナ・カーペンターetc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

Netflixで面白そうな映画が昨日から配信された。その名は『トールガール(Tall Girl)』

身長187cmある女子高生が、長身イケメンの転校生に恋をしたことから自分のコンプレックスを乗り越えようとする話だ。このあらすじを聞いた時、まるで日本の少女漫画、あるいは高身長女子を扱った漫画のような世界観だなと感じた。日本では中原アヤの『ラブ★コン』がブレイクし、実写映画化された成功をきっかけに『富士山さんは思春期』、『Stand Up!』等と密かに高身長女子の葛藤を描いた作品が1つの牙城を築き上げていった。『見上げると君は』や『羽柴くんは152センチ』の登場を観察すると、ここ数年「高身長女子の苦悩と克己」をテーマにした作品に熱が入ったように思える。これはアイドル史上最高の身長を誇る、熊井友理奈(181cm)がBerryz工房引退後、自分のコンプレックスを克服し、王様のブランチのレポーターからモデルへと手広く羽ばたいてみせた成功例により、高身長女子が社会的地位を得たからであろう。

さて、話を戻そう。

Netflix制作の新作『トールガール』はまるで『ハル×キヨ』のような話だ。規格外に高身長な少女。しかし、彼女はモデルのような美貌とカリスマ性を持ち合わせていない。そして、バスケットボールやバレーボールをしない。幼少期から散々傷つき、暗く鈍臭い少女が恋をきっかけに、コンプレックスを克服・克己して美しく羽ばたく話だ。『ハル×キヨ』において1巻ではほとんど素顔をみせず、猫背で、負のオーラしか放っていなかった身長180cmの主人公・宮本小春が150cm代のSキャラ峯田清志郎に振り回されていくうちに恋が芽生え、最終巻では美しい姿に進化を遂げる。その演出技法に唸らされた。そして実際に、本作を観てみると、これが想像以上に映画というメディアが作り上げてしまった恋愛像を蹴散らした快作であった。

監督を務めたンジンガ・スチュワートは、ニューヨーク大学卒業後にカニエ・ウェストや50セント、コモン、キーシャ・コールなどのミュージックビデオを手がけ女性ミュージックビデオクリエーターとして注目される。そんな彼女は2010年にタイラー・ペリー『For Colored Girls』のエグゼクティブプロデューサーに就任したことで本格的に映画やテレビシリーズに進出する。『プリティ・リトル・ライアーズ』や『グレイズ・アナトミー 恋の解剖学』などのエピソードを手がける中、Netflixの目にとまり今回『トールガール』を手がけるに至ったとのこと。なので全体的に海外ドラマ感があるのは彼女がシリーズ物の経験を活かしたことによる影響だと考えることができる。
そしてオーディションの中から選ばれた身長187センチを誇るエヴァ・ミッシェルは本作が長編映画初出演にして主演となっている。彼女は元々アヴァ・コタという芸名で活躍するダンサーである。海外のインタビュー記事によれば2歳の時からダンスをやり始め、8歳の時にはプロを目指そうとしていた彼女は、その大きすぎる身長が原因でオンラインいじめと対峙することとなります。周りは「そんな暴言ブロックしちゃえ」と簡単に言うけれども、彼女はなかなかその暴言から目を背けることができなかったそうです。そんな彼女は自分を愛することでいじめを乗り越えていきました。彼女は臆することなくダンスに没頭したのです。この『トールガール』は彼女の人生が反映されている作品と言えます。

さてそんな『トールガール』をネタバレありでじっくりと考察していきます。

『トールガール』あらすじ


187センチの高身長に悩み、目立たないようにいつも背筋を丸めているジョディ。交換留学生に恋したことをきっかけにコンプレックスを克服する決意をしたけど…。
Netflixより引用

そこに映るのは日本の少女漫画もの(通称・キラキラ青春もの)そのものであった

まず、驚かされたのは鑑賞前に想像していた『ハル×キヨ』的物語をはるかに超えて、少女漫画、あるいは青春キラキラ映画あるあるが凝縮されたような作品であったことだ。まず、教室の隅っこで、空想の恋にふけっているヒロイン・ジョディ(エヴァ・ミッシェル)と陽気な友人Fareeda(アンジェリカ・ワシントン)のベタなコントから幕が開く。高身長が理由に、一目惚れしてきた男子がドン引きする一幕を慰める高身長女子もの漫画に冒頭5ページにありがちな展開も見せつつ、軽妙にFareedaは彼女を慰め「陽気に行こうぜ」と鼓舞していく。そんな彼女の前に海外からイケメン転校生が出現。彼女はホの字となる。

そして、恋のために自分のコンプレックスや闇、変わりゆく人間関係を乗り越えながら美しく変わっていくのだ。

そしてこの手の恋愛ものでお互いの距離感が試される展開、それも複雑な三角、四角関係を映えさせるためによく遊園地でWデートという挿話が埋め込まれるわけだが、なんということでしょう『トールガール』ではリアル脱出ゲームがギミックとして使われるのです。あまり日本の青春キラキラ映画で見かけることはないのですが、日本のレジャー情勢においてリアル脱出ゲームは一大ブームを巻き起こしているだけに、「なんで日本の青春キラキラ映画が今後使いそうなギミックをここで先取りしているんだ?」と思うところがあります。

そしてクライマックスには、日本でいうところの文化祭に値する高校生最大イベントホームカミングが用意されているのです。そこで彼女の複雑怪奇、紆余曲折した道中の末に待つ恋の成功が決まる訳です。

そして、映画を盛上げるべく俳優陣には日本のアイドルに相当するディズニー・チャンネル出身(『ガール・ミーツ・ワールド』)のサブリナ・カーペンターが配置されているのだ。

残念なことに、ジャパニーズ青春キラキラ映画あるあるである「感情が高まると走り出す」描写こそないが、ジャンル映画としての完璧な立ち振る舞い、様式美に感銘を受けました。

隠された恋愛観

さて、本作はNetflixが掲げていたテレビや大手映画会社ができない自由さ、多様性の極値をいく作品である。それは『ROMA/ローマ』における極私的映画を完璧な映像美に落とし込む様や狂った脚本と緻密なストップモーションアニメの世界で綴られる『リラックマとカオルさん』、『ブラック・ミラー:バンダースナッチ』の選択式映画のような技術的な多様性ではなく、中身においての多様性という意味で素晴らしいものがある。

映画やテレビ番組における恋愛は長らく、華奢な美女と長身なイケメンという組み合わせがメインストリームを駆け抜けていった。それは、社会にイケメン美女至上主義をもたらすこととなった。それが2000年代、2010年代に入り少しずつ変わっていった。LGBTQに対する認識が広がったおかげで、いい意味でも悪い意味でもLGBTQ映画というカテゴライズが行われ、性的マイノリティの恋が市民権を得た。しかし一方で、LGBTQ以外のマイノリティという存在は隠されてきたように思える。顔に恵まれていなかったり、ぽっちゃりだったりする人はどうなのか?多国籍同士の恋愛はどうなのか?もちろん、そういった問題に切り込んだ作品はある。

ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』はパキスタンの移民とアメリカ人の恋と障壁を描いている。『ボーダー 二つの世界』は、顔がぐちゃぐちゃな人同士の歪な恋愛を通じて、誰しもが第一印象や本能によってボーダー(=境界)を引いてしまう問題を風刺してみせている。しかし、これらの恋の形がLGBTQと同等の市民権を得るところまできていない。
そんな隠されたマイノリティの一つに逆身長差カップルがある。文字通り、高身長と低身長の恋愛だ。アルゼンチン映画『ライオンハート』とそのリメイク『大人の恋の測り方』で確かにそのコンプレックスは扱われているが日本漫画界ほど熱く取り上げられていない気がします。それは、映画において高身長女子となるとエル・ファニングやティルダ・スウィントンのようにモデルのような、人智の超えた存在になってしまうからか?あるいはユマ・サーマンやシガニー・ウィーバーのようなコンプレックスを粉砕していくようなアクションスターになってしまうせいなのだろうか?全く見かけないシチュエーションである。

そして日本の漫画では、高身長女子と低身長男子がそれぞれのコンプレックスを埋め合わせる為に双方を結びつける物語となっているケースが多いのだが、『トールガール』が面白いのは、中盤まで高身長女子が高身長男子と結ばれるまでをしっかり描いていることにあります。安易な高身長女子と低身長男子の結びつきは、マイノリティはマイノリティ同士で問題を解決しろと示唆しているのではという批判的目線を感じる。ここで真剣に高身長イケメンを巡って、学内の女子たちと闘う。本気で自分磨きを入れるプロセスによる成功エピソードを挿入することで高身長女子の恋をより一層肯定することに成功しているのだ。これは新鮮と言えよう。

そして、同時に高身長女子の苦悩を共有する存在である低身長男子とのシンクロも魅せてくれる。スウェーデンからの高身長イケメン転校生Stig(Luke Eisner)に惚れるジョディの横で辛酸を舐めながらアドバイスするジャック(グリフィン・グラック)は、彼女のことを想うもついには叶わぬと観念する。しかし、Stigがジョディのライバルであるキミー(Clara Wilsey)のところへ行ってしまったことを悔やみ、彼女に高い高いハイヒールをプレゼントする。当然ながらジョディは「ありがとう、でも履くことはないと思うよ。」と言う。そんな彼女に彼はこう言うのです。

じゃあ取っておいて、念のために
俺たちは3年後の未来にいる
君は大学に通っているんだ
そこで自分より背の高くていい男に出会う
そいつは君に夢中なんだ 君の優しさにね
そして彼は君をデートに誘うんだ
ハイヒールを履きたくなるだろう
店に行こうとするけれども外は大雪だ
で、君はこの会話を思い出して後悔する
ダンクルマンがくれたハイヒールを取っておけば!とね

冒頭から変わらぬロマンチストでナルシストな彼ではあるのだが、どんなに邪険に扱おうと、自分の心の傷を癒そうとする彼の彼なりな心遣いに惹かれていくのです。だたの高身長女子フェチなのでは?と思われかねない不器用すぎるプレゼントではあるのだが、彼女の恋愛騒動の横で辛酸を舐めつつ、彼に好意を持つ女子ともきっかりと関係性を明らかにした上で放つ彼最後のラブコールは、どんなに嘲笑の的にされてもそれを押しのけるだけの力強さがあります。

そして彼女がヒールを履き、Stigともきっぱり関係を立ち、トランクの上に乗ったジャックとキスして終わるハッピーエンドはベタでありながら美しいものがありました。

そうです。これは青春キラキラ映画にありがちな展開をジャンル映画だからとあぐらかくことなく完璧に演出し、尚且つ高身長女子の恋を1000%肯定してみせる素敵な作品だったのです。

彼女は才能を捨てた。注目されたくないが為に。

高身長女子の恋を肯定する映画として、もう一つ推しポイントを挙げておこう。それはジョディが決してモデルにもスポーツ選手にもさせなかったところです。折角エヴァ・ミッシェルはダンサーなのだから、ダンスで嘲笑する奴らを見返すという演出も十分考えられるし、エヴァ・ミッシェルの動画をyoutubeで観ると、美人なので姉と共にミスコンで輝くという展開も考えられた。しかし、本作では敢えて封印してあります。

その理由は、前半で明らかとなる。

ジョディは親に「なんでピアノ辞めちゃったの?」と尋ねられる。すると彼女はこう答えます。

「ただでさえ、目立っているのに、これ以上注目されたくない!」

彼女は幼少期から、クラスメイトにからかわれている過去を持っている。ピアノを演奏して、将来の夢はテイラー・スウィフトのようなシンガーソングライターになることと語ると、周りからは「トーラー(長身)・スウィフトの間違いじゃない?」と言われ傷ついています。高身長女子は常に周りからこう言われます。モデルになれば?バレーボールやバスケットボールやってないの?その発言は彼女を身長でしかみていない暴言に等しい。『トールガール』では高身長女子がやりそうなことを回避することで、モデルにもスポーツ選手にもなれない、なりたくない高身長女子に手を差し伸べる作りとなっているのです。

そして、エヴァ・ミッシェルは完璧に鈍臭くてひねくれているせいで不細工に見えてしまう状態を作り込み、そこからじっくりと美しく変わっていくプロセスを魅せてくれた。

最後に…

日本の青春キラキラ映画は、旬の華奢な美女と高身長イケメンの恋愛を1ヶ月に1本ペースで量産しているが、恋の多様性は皆無に等しい。折角、日本には『ハル×キヨ』、『見上げると君は』などといった作品があるのだから映画化してみたらいいのにと思ったりします。ようやく『おっさんずラブ』の登場で同性愛ものが市民権を得るようになったとはいえ、日本の恋愛映画の多様性はもう少し頑張って広げていったほうがいいなと感じたブンブンでした。

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