ホース・マネー(2014)
Cavalo Dinheiro(2014)
監督:ペドロ・コスタ
出演:ヴェントゥーラ、ビタリナ・バレラ、
ティト・フルタド、アントニオ・サントスetc
もくじ
評価:100点
有給取って国立フィルムアーカイブで開催中のEUフィルムデーズに来ました。EUフィルムデーズは毎年、ヨーロッパ各地の隠れた名作を上映する映画イベント。過去には、アカデミー賞長編アニメーション賞にノミネートされたアイルランド映画『Song of the Sea~海の歌
』、エストニアとジョージア共同制作のアブハジア紛争映画『みかんの丘
』、アカデミー賞外国語映画賞受賞の『イーダ
』などが上映されました。毎年楽しみにしているこのイベント。今回のお目当は、ペドロ・コスタの『ホース・マネー』だ。
日本公開当時、就活と教育実習に追われており、かろうじて『デッドプール
』を観るくらいしか心も時間も、金の余裕がなかった。てっきりDVD化されると思っていたのだが、全くされず、後悔が私を包んでいた。そんな私に訪れたビッグチャンス。EUフィルムデーズ上映!
これは逃したくないぞ!といざ国立フィルムアーカイブへ向かった。
※ネタバレ記事です。
『ホース・マネー』あらすじ
カーボヴェルデからポルトガル・リスボンに移り住んだ男ヴェントゥーラが今死の淵に立たされている。そんな彼の前に親戚が現れ、やがて虚実入り混じった走馬灯に誘われていく…ペドロ・コスタの空間力学
ペドロ・コスタの作品はなかなかお目にかかることがない。DVDを買おうにも、どれもプレミア価値がついており到底観ることができない。ただ、以前、彼の代表作『ヴァンダの部屋』を観たことがある。そしてこの作品で衝撃を受けた。作品の雰囲気は王兵(ワン・ビン)に似ている。彼の作品同様、朽ちゆく土地を撮っているなのだが、ペドロ・コスタの作品とはどこか違う。人々の家という空間を破壊していくのだ。家とは、人々が柱や仕切りによって区切られた場所に留まる。そして、他者を受け付けない空間というイメージが強い。しかし、『ヴァンダの部屋』で映し出される家他人の家は、ひたすらに人々が行き交うのだ。解体されるスラム街。物理的空間の破壊と共に、家という認識すら破壊されていく様に言葉を失った。そして、家の概念が失われた世界を通じて、まるで水墨画のように生と死の境界すら曖昧になっていく様子に唸った。ペドロ・コスタは空間に対する哲学を映画に込めるのが得意らしい。
ペドロ・コスタは静かに写真と映画の違いを語る…
『ホース・マネー』のペドロ・コスタは、写真と映画の差異と共通点から、ドラマとドキュメンタリーの境界線を消していく。
いきなり、移民の写真、廃墟の写真がスライドショーのように展開される。写真とは、時間を閉じ込めるメディア故、かつて悪魔の発明と呼ばれた。写真に撮られたものは、天国に行けない、死んでも魂は成仏されないと言われた。まさしく、この写真のスライドショーが織りなすモンタージュからは、死と苦の慟哭の匂いが強烈に染み込み、魂が時間に囚われてしまっていることを暗示させる。
そして、最後の一枚、黒人の肖像画を写した写真が表示される。長い長い沈黙、観客がすっかり目の前に写るものを《写真》だと信じ切った瞬間、カメラは右にパンする。そう、これは《映画》だったのだ。そして、ドイツ表現主義を思わせる歪んだ空間の深淵から、カーボヴェルデからポルトガルに移り住み、今まさに人生の終焉に立たされている男ヴェントゥーラが現れ、物語が始まる。
写真は、現実を顕かにする媒体だが、撮影者の意図により、虚構を写すことがある。ドキュメンタリーも同様で、監督の意図により現実、事実が誇張され、虚構となる。ただ、写真は《静》のメディアであり、映画は《動》のメディアであることをペドロ・コスタは、被写体の演技で強調する。闇から現れ、闇に消える人々はそのメッセージを大いに盛り上げる。注目して欲しいのは男の手だ。主人公ヴェントゥーラの手は常に震えている。恐怖、苦しみ、トラウマ、憎しみをこの手は静かに物語る。写真では決して表現できないものがここにある。
エレベーターはタイムマシンである、そして刻の牢だ
本作が面白いのは、終盤10分近くかけて展開されるヴェントゥーラがブラックパンサー
みたいにWAKANDA FOREVERを決めるシーンは、既に『ギマランイス歴史地区』の短編《スウィート・エクソシスト》で映画化されていたのだ。しかも、本作は《スウィート・エクソシスト》を『ホース・マネー』の終盤にドッキングさせている。これは、映画史上類を見ない奇妙な演出をしている。ゴダールも頻繁にドッキングをするが、ここまで超尺がっつりドッキングさせるケースはほとんどない。
このように過去のシーンを交差する事で、虚無と苦しみしかない男の《人生》が《時》というマシンによって、ポルトガル移民史、もとい世界の奴隷史を象徴する。
ここで、ペドロ・コスタは隠し球を用意していた。エレベーターをまるでタイムマシンのメタファーとして使っているのだ。
エレベーターから赤いおじさんがヴェントゥーラの元へ寄り、「告白せよ」と言う。ヴェントゥーラはエレベーターを通じ、過去のトラウマ。人生最大の修羅場へと引き戻される。そして、エレベーターの中で、最大の敵と闘う。時間に閉じ込めらたヴェントゥーラが、苦しみ、苦しみ、苦しみながら、異国の地に流れ着きカーネーション革命、巻き込まれた男は過去と対峙する。まさにエレベーターは過去へ誘うタイムマシンであると共に、いつまでも過去に閉じ込める《刻の牢》を象徴している。
スタンダードサイズが意味するもの
今となっては、シネコンで上映される作品の多くが、横に長いスコープサイズ(2,35:1)で上映される。しかし、本作は画面アスペクト比が1.33:1のスタンダードサイズで物語が進行する。いつも見慣れた、横に長い映像ではないので、観客はこの映画に閉塞感を覚える。また、強烈な陰影により、画面のほんの一部しか見えない為、より一層閉塞感が強まっていくのだ。この閉塞感こそ、アフリカからヨーロッパに移り住んだ貧しき移民の、劣等感を体現している。陰日向でひっそりと、感情を押し殺して暮らす様を映画全体が表現しているのだ。
ラストショットに痺れる
刻の牢であるエレベーターに閉じ込められ、トラウマの塊である兵士の像と対峙するヴェントゥーラは、最後にWAKANDA FOREVERを放ったことで、漆黒のナイトメアが引き裂かれ、彼の魂は救われた。彼は、病院から出ると、限りなく透明に近いナイフを握りしめるところで映画が終わる。これは、移民として異国リスボンの片隅を生き、白人の暴力・差別に無の境地で耐えた男。手に震えが出るほど、トラウマを抱えた男が、最後の最後にナイフを握ることでトラウマに勝利したことを表す。しかしながら、ナイフを握ったヴェントゥーラの魂はもはや死後の世界。それ故に、ブンブンは涙が出てきた。本作こそ映画祭の栄冠にふさわしい
先日、『万引き家族
』評で、映画祭の場で、分かりやすい貧困映画に気安く賞を与えるのは危険だと語った。
それに対する完璧な答えがこれだ。暗号化された貧しき者の苦悩を観客が読み解く、苦しく辛い謎解きイバラ道を通じて、等身大の彼らを知る。そして映画的表現にノックアウトされる。こういう作品なら最高賞に相応しいだろう。
本当に『ホース・マネー』観られて良かった♪涙目です。
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