【試写レビュー】『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』ベトナムから遠く離れて

ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?(2026)
Mr. Nelson, Did You Kill People?

監督:塚本晋也
出演:ロドニー・ヒックス、ジェフリー・ラッシュ、マーク・マーフィ、リリー・フランキー、タチアナ・アリetc

評価:95点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

先日発表された第83回ベネチア国際映画祭ラインナップ。コンペティション部門に日本からは是枝裕和監督が藤本タツキの同名マンガを実写化した『ルックバック』と塚本晋也監督『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』が選出された。

塚本晋也監督といえばカルト映画『鉄男』で知られているが、2015年の『野火』以降、戦争における人間心理にフォーカスを当ててきた。最新作『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』では、アレン・ネルソンの同名書籍を映画化。全編英語の作品となった。

日本公開は2026年9月11日(金)と少し先になるが、試写にて一足早く観させていただいたのでレビューしていく。

『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』あらすじ

「野火」の塚本晋也が監督・脚本を手がけ、ベトナム戦争に従軍したアレン・ネルソンが自らの戦争体験と帰還後の葛藤をつづったノンフィクション書籍を原作に、“戦争加害者の傷”というテーマに取り組んだドラマ。

ニューヨークの貧しい家庭に生まれたアフリカ系アメリカ人のアレン・ネルソンは、貧困や差別から抜け出すため18歳で海兵隊に入隊する。沖縄のキャンプ・ハンセンを経て、1966年にベトナム戦争の最前線へ送られた彼は、苛烈な戦場でただ人を殺すことを強いられ、命を奪う経験を重ねるうちに心の感覚を失っていく。やがて23歳で帰国した彼を待っていたのは、戦場の記憶に縛られる日々だった。大きな音や暗闇に怯え、家族との関係も崩壊しホームレスとなった彼は、絶望の淵へと追い込まれていく。退役軍人病院でカウンセリングを行うダニエルズ医師はそんな彼に真正面から向き合い、救い出そうとする。

ブロードウェイミュージカル「RENT」のオリジナルキャストとして知られるロドニー・ヒックスが主人公アレン・ネルソンを演じ、「シャイン」「英国王のスピーチ」などの名優ジェフリー・ラッシュが精神科医ダニエルズ役で共演。リリー・フランキーがアレンの活動をサポートする日本人・黒井役で出演し、全編英語での演技に挑んだ。2026年・第83回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。

映画.comより引用

ベトナムから遠く離れて

まず、本作を観て驚いたのは塚本晋也監督作品といわれなきゃわからないようなリッチな質感で描かれたブラックムービーだったことにある。

塚本晋也作品は常にインディーズ日本映画の質感に強烈な音とカットを注ぎ込むイメージが強い。確かに、本作は彼の集大成であり、彼らしい演出は散見されるのだが、まるでバリー・ジェンキンスがチャールズ・バーネットの世界を映画化したようなリッチな質感、そしてペドロ・コスタが描く彷徨う黒人の世界に近い重厚な質感で全編描かれていた。

2026年は『急に具合が悪くなる』や『ロストランド』と日本人監督が海外で撮った洋画の顔を纏う傑作が連続して公開されているが、そこに肩を並べられるほどの迫力でもって戦争によるPTSDの世界を描いていく。

『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』は、ベトナム戦争帰還兵の苦悩を描いたいわゆる「戦争によるPTSD」ものである。故に映画をたくさん観ている者はもちろん、そうでないものも大体の展開は予想できるであろう。しかし、本作は「戦争によるPTSD」といったラベルによって見えなくなってしまっている側面を、一枚、そしてまた一枚剥すことで当事者の見えている世界を嫌なまでに突き付けていく。

アレン・ネルソンが雑貨を万引きするところから物語は始まる。映画はネルソンの手つき、そして店員の眼差しを反復させる。ネルソンは何かに怯えている。それは捕まるかもしれないといった恐怖だろうか?ショットは明らかに店員にバレているような空気感を提示する。しかし、その直後に店員は親し気に声をかける。ネルソンが路地を歩いているとおばちゃんが「食事作りすぎちゃったからどう?」と声を掛ける。翳りひとつないおばちゃんを前にしてもネルソンは怯える。そして突然、銃声がなり目の前は真っ暗となる。彼が這い出る。どうやら車の下に巨体を押し込めていたようだ。ただ、銃声による被害はフレームに映らない。かれは何とかボロボロの廃墟同然の部屋に転がり込む。心配そうに戸を叩く女性に対しても怯えている。そんな彼は、学校を訪問する。子どもたちにベトナム戦争のことを話す授業のようだ。戦争を知らぬ子どもたちは純粋である。

「たたかいのときにうんちしたくなったらどうするの?」

ネルソンは

「……ヘルメットにするんだ」

と答える。笑いがドッと教室を包み込む。しかし、次に少女はこう質問する。

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」

狼狽する彼。彼女はもう一度質問する。

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」

そして映画はネルソンのカウンセリングを中心に彼の身に何があったのかを物語っていく。カウンセリングを受ける空間はやけに静かである。そこで重々しくネルソンが語り始める。映画はすぐに回想へ入ることなくじっくりと表情を捉えていきながらやがて彼の見たベトナム戦争が再現されていく。

しかし、あれだけ丁寧に言語化されていてもカウンセラーは静かに

「あなたは、なぜ人を殺したのですか?」と尋ねる。

ネルソンはこの数年間カウンセリングを受けているのだが、毎回この質問をされる。そのたびに怒りと悲しみが押さえきれなくなる。

「戦争だから!」
「殺される前に殺さねばならない!」
「仕事としてしょうがなかったんだ!」

これらの言葉は我々観客にとっても自明であろう。なぜ、このカウンセラーはわかり切ったことを訊くのだろうか?

段々と「わかり切っているようなことの底に眠る邪悪さ」が浮かび上がっていく。その純度が高く直視し難い理論に圧倒される。しかし、映画は残酷にも本質に迫る言語化の先にも「なぜ?」が存在することを突き、ネルソンは言葉を掴みつつもそれでもなお過去に苦しめられる様を暴くのだ。

塚本晋也監督は、『野火』や『KOTOKO』でものにした音とイメージの暴力を通じたトラウマの表象を深化させている。

アヴァンタイトルにおける平和な世界、人々の歩みを拒絶するようなネルソンにしか見えてない荒ぶった世界。静寂が訪れたかと思うと、神経質なまでに誇張された車や群衆の声が彼を苦しめていく。戦場では煽情的なまでに誇張された死の瞬間。複数のショットでもってターゲットを捉えた後に死の瞬間を提示していく。そのどれもが惨い。特に村の弱者を虐殺した直後のシーンは開いた口が塞がらない。

虐殺した弱者を家の前に並べる。そこへ銃を持った村人たちが次々と帰ってくる。変わり果てた村の様子に慟哭し、亡骸へ駆け寄る。この光景を目に上官は「まだ撃つな」と命令する。上官が「撃て!」と命令するまでの時間は永遠かのように感じる。そして最後の村兵が亡骸を前に膝から崩れ落ちる。「撃て!」と上官は叫ぶ。

本作が興味深い点は、ベトナム戦争における暴力が普遍的な円環構造の中にあることを示している。ネルソンの父もまた軍人であったのだが、帰還後にDVを働いていた。強烈な暴力を目の前にしたネルソン。彼は元々暴力的な人間ではなかった。しかし、戦地で暴力の世界に包み込まれる。フロントラインの外側では、娼館やタクシーの代金を暴力で踏み倒し、戦地では殺したベトナム人の耳を勲章のように剥ぎ取り身に着ける。そのような同志のいる世界で、彼は生きるために心を入れ替える。一度、暴力の世界に吞み込まれると戻ってくることはできない。何度も倫理の境界線で苦悩し、善行を成すこともあれども、結局は人を殺めることでしか前へ進むことができない。そして、帰還しても内なる暴力を抑えることができず、かつての父のような暴力を顕現させてしまう。そして、歴史が繰り返される要因には貧しさ故に入隊するしか人生の選択肢のない社会構造の問題があることを指摘する。

本作が興味深いのはまだ人生の物語になっていない一回性の緊迫感と物語になり再現される際の反復性を意識した構成になっている点である。映画は整形した物語を反復させる表象故、演劇のような一回性の緊迫感を出すことは困難である。しかし、本作では『急に具合が悪くなる』の演劇シーンと比べあまりにも自然な形で一回性の緊迫感を表現している。

それはもちろん戦地におけるいつ殺されるかわからない緊迫感に留まらず、ネルソンが講演を行う度に発生する「真実を、本音を語ってしまったらすべてが壊れてしまうかもしれない」といった緊迫感にも表れている。当事者であるネルソンの脳裏には何度もベトナム戦争の記憶がよみがえっては再構成されていく。ことばの手でもって突然現れては傷つけて去っていく記憶を掴み、ことばの塔を積み上げていくが、それを他者へ提示しようとすると瓦解しそうなまでに脆い。でも提示しなければならない。この苦悩を前に我々は「戦争におけるPTSD」といったラベルで分かった気になれるのだろうか?

ところで、どうして塚本晋也監督は全編英語のベトナム戦争映画を撮ったのだろうか?

試写で配布されたプロダクションノートによれば、『野火』を制作する際に「加害者目線で描く重要性」を痛感する中で本作の原作がそれを具現化できると確信しプロットを書き始めたとのこと。完全に海外の話だったため映画化するのに時間がかかるだろうと思う中で、『斬、』の出品でベネチア国際映画祭に参加した彼にメジャー作品を手掛ける会社からの打診を受ける。しかし、コロナ禍で完全に身動きが取れなくなってしまう。そこへ木下グループが手を差し伸べる。こうして木下グループ単独の製作となった。

実際に映画を観ると、かつてアラン・レネが非当事者は戦争を語ることができるのかと『ヒロシマ・モナムール』を撮った。この作品では、反戦映画の撮影/当事者の語りによる脳裏での再現/異なる戦争との結び付けといった要素でもって非当事者が事象へ歩み寄るプロセスを精緻に突き詰めていった。

『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』もまた、第二次世界大戦中における日本人の加害性から少し位相をズラしたベトナム戦争を通じて戦争を語ろうとしている。ここでの戦争は「ベトナム戦争」といったひとつの事象ではなく戦争そのものへと視座を向けている。

第二次世界大戦から80年が経ち、当時を語る者が少なくなりつつある今。2020年代に入り、世界が再び大きな戦禍に包まれようとする中でいかにして戦争の痛ましさを伝えていけばいいのか。塚本晋也監督は《ベトナム戦争から遠く離れた日本人》の視点から、しかし限りなく当事者の心理へ歩み寄るアプローチで戦争経験を伝えようとしたといえよう。

本作を観終わった時、ふと中学生の時に修学旅行で広島・長崎を訪れた際の経験を思い出した。旅程の中に被爆者の話を聞くアクティビティがあった。この講演は3時間にもおよび硬いパイプ椅子に座りながら聞いた。しかし、被爆者の言葉は支離滅裂であり、司会者が何度も軌道修正しようとも断片的で分かり辛く、喜怒哀楽のスイッチも不明瞭で怒ったかに思うと突然静かになる異様な語りであった。当時のわたしは、不真面目だったこともありこの3時間は退屈で拷問のように思えた。

しかし、大人になって何度か目の前で人が亡くなるトラウマと対峙するとこの被爆者の感覚が痛い程わかる。トラウマを抱える者は、映画を巻き戻しては再生するようにそのトラウマがフラッシュバックする。しかしながら、それは個人が意図したタイミングで再生されるわけではない。突発的に暴力的なイメージが脳裏のすべてのイメージを吹き飛ばすかのように挿入される。その瞬間は、夢か現実かがわからなくなる。なぜならば夢でも同様の事象がしばしば発生しており、現実でその事象を掴んで発しているのか、夢の中でその事象を掴んで発しているのかがわからなくなるからだ。

そして一般社会で生きていても多くの人はそこまで事象を明瞭に言語化できるわけではない。複雑で強烈なトラウマを言語化することは極めて困難なのである。だから、中学時代に私が経験した講演会での被爆者の語りは、整形されていない自然な状態のイメージをそのまま受容したといえる。

長々と語ったが、本作はベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞するに相応しい一本なのではと思っている。正直、今年のラインナップは小粒なように思える。確かに原作ありの戦争ものが映画祭で最高賞を獲るかと訊かれたら微妙なものがあるし、そもそも本作を受賞するか否かで語るのは不適切だと思っているが2026年下半期最重要作品であることは間違いないだろう。

2026年9月11日(金)より全国公開