【第7回映画批評月間】『ヌーヴェルヴァーグ』リンクレイターのヌーヴェルヴァーグものまね大会

ヌーヴェルヴァーグ(2025)
Nouvelle Vague

監督:リチャード・リンクレイター
出演:ギヨーム・マルベック、ゾーイ・ドゥイッチ、オーブリー・デュラン、アリックス・ベネゼック、パオロ・ルカ=ノエetc

評価:80点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

日仏学院にて開催中の第7回映画批評月間にてリチャード・リンクレイター『ヌーヴェルヴァーグ』先行上映が開催されていたので足を運んでみた。本作は、ジャン=リュック・ゴダールの長編デビュー作『勝手にしやがれ』の制作背景をリチャード・リンクレイターが完璧に再現したことでカンヌ国際映画祭の時から話題となっていた作品。しかし、ゴダールほど唯一無二で真似をしたらヤケドをする監督はいないだろう。ミシェル・アザナヴィシウス『グッバイ・ゴダール! 』やファブリス・アラーニョ『ル・ラック』、ハル・ハートリー『トゥ・ランド』とゴダールリスペクトな作品は多いけれども、彼の域にまで達することはなくイマイチに終わるケースがほとんどとなっている。リチャード・リンクレイターは天才的な監督ではあるものの、流石にこの題材は難しいだろうと思った。個人的に『勝手にしやがれ』自体が過大評価だと思っていて、リメイク作『ブレスレス』や物語構造が同相である『鵞鳥湖の夜』の方が好きなので、あまり期待はしていなかったものの、これが元ネタを遥かに超える面白い一本であった。

『ヌーヴェルヴァーグ』あらすじ

「6才のボクが、大人になるまで。」「ビフォア」シリーズのリチャード・リンクレイター監督が、1950年代後半のフランスで起きた革新的な映画運動・ヌーベルバーグを代表する作品として知られるジャン=リュック・ゴダール監督作「勝手にしやがれ」製作の舞台裏を映画化。映画史に革命を起こした若者たちの姿を、フランス映画界を代表する映画作家たちとの活気ある交流とともに描き出す。

1959年、フランス。映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」で執筆活動をしていた28歳のジャン=リュック・ゴダールは、フランスの若手俳優ジャン=ポール・ベルモンドとアメリカの人気女優ジーン・セバーグを主演に迎えた長編監督デビュー作「勝手にしやがれ」の制作を開始する。ゴダールの斬新で自由奔放な撮影手法に周囲は振り回されるが、映画づくりへの情熱を共有した撮影現場は活気に満ちていく。

「勝手にしやがれ」のスタイルにならい、アカデミー比率(1:1.37)の白黒映像、全編ほぼフランス語で、キャストもジーン・セバーグ役のゾーイ・ドゥイッチ以外はほぼ無名の俳優陣で固めた。主人公ゴダール役には、写真家やモデルとして活動していたギョーム・マルベックを起用。2025年・第78回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品。

映画.comより引用

リンクレイターのヌーヴェルヴァーグものまね大会

本作は俗っぽく言えば、ヌーヴェルヴァーグものまね大会である。『勝手にしやがれ』の舞台裏を精密に再現している。ジャン=リュック・ゴダール役を演じたギヨーム・マルベックの嫌味なまでのナルシストなカリスマ性はもちろん、出てくる登場人物すべてがホンモノと思わずにはいられない程のリアルさ、そして撮影もカメラの向こう側から完璧に構図を再現する様、たとば改造車輪カメラを動かしながら道路の中心を歩くジーン・セバーグとジャン=ポール・ベルモンド、公衆電話でのショットなどに感動する。ゴダールの世界観のものまねもこのレベルまでいくと異様である。リチャード・リンクレイターはライトなミニシアター映画の顔を装いながら狂気に近い精緻な演出をするのだが、これを再現したいがために今までのキャリアがあったのではと思うほどに圧巻である。

そして、映画はただでさえ『勝手にしやがれ』が歪で破滅的な編集による映画であるにもかかわらず、その裏側のグダグダで先行き不透明で空中分解寸前でありながら、ムカつくほどにカリスマ性を持ったゴダールに引き寄せられ信じざる得ないスタッフたちのブーブー文句を垂れ流しながら運命共同体として並走していく様の面白さ、現場にいたくないが滑稽で映画の神が降りる瞬間の興奮の渦へと飲み込まれていく。

そして、何よりもエンディングがあまりのカッコ良さに圧倒された。写真を並べていき、そこにスタッフロールを被せていくシンプルなスタイルながら「どうやってショットを重ねたんだ」と思うほどに複雑なイメージの結合が織り成す快感に涙したのであった。

ただ、一方でゴダールを素人ながら追っている身としては残念に思う部分もある。映画はロケの裏話に執着しており、その後の編集のパートを一瞬で終わらせてしまっているのだ。ゴダールにとって映画とは編集である。それは『パート2』や『イメージの本』などでも明確に表現されている。そして、映画でもゴダールは編集を重視しているようなセリフがあるにもかかわらず、編集哲学に関する掘り下げがあまりにも弱くて勿体ないなと思った。

ちなみに、帰宅して『勝手にしやがれ』を観直したのだが、ジーン・セバーグとジャン=ポール・ベルモンドがベッドでいちゃつく場面が90分の内20分連続的に挿入されていて改めてどうかしている映画だと感じたのであった。