【 #死ぬまでに観たい映画1001本 】『哀しみのトリスターナ』ひとつとして同じ柱はない

哀しみのトリスターナ(1970)
TRISTANA

監督:ルイス・ブニュエル
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、フランコ・ネロ、フェルナンド・レイetc

評価:50点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

「死ぬまでに観たい映画1001本」に掲載されているルイス・ブニュエル最後の未観賞映画『哀しみのトリスターナ』をU-NEXTで見つけたので観ました。

『哀しみのトリスターナ』あらすじ

「昼顔」のルイス・ブニュエル監督が再びカトリーヌ・ドヌーブを主演に迎え、ベニト=ペレス・ガルドスの小説を映画化。両親を亡くした16歳の美少女トリスターナは老貴族ドン・ロペの養女になる。しかしロペはトリスターナに男女の関係を迫るように。はじめのうちはロペの言いなりになるトリスターナだったが、若い画家オラーシオと恋に落ちたことをきっかけに、ロペへの憎しみを募らせていく。愛を知った少女が冷酷な悪女へ豹変していく姿をドヌーブが怪演。

映画.comより引用

ひとつとして同じ柱はない

ルイス・ブニュエルらしい、悪趣味演出として今回は夢の中で、教会の鐘が生首になっている描写がある。序盤こそは普通のコスチュームプレイかなと油断していたら、いきなり生首が飛び出してきたので驚かされる。さて、本作ではカトリーヌ・ドヌーヴ演じるトリスターナとフェルナンド・レイ演じるドン・ロペの心理的差を表現するために柱の小話が効果的に使われている。トリスターナはポルチコ(柱が並ぶ歩道)を歩きながらドン・ペロにこう語る。

「あなたはどの柱がお好き?」

ドン・ロペは次のように返す。

「どれも一緒じゃん」

それに対して、

「何ひとつ同じものはないんだよ」

と彼女は語る。物質に対する解像度の違いを端的に示した場面である。本作は、コントロールできると思っていたトリスターナが悪女へと豹変していく話である。コントロールできると見下していた相手が、実は知的でありコントロール権を奪える程の人物であることは、このシーンにおける物事の認識差、つまりドン・ロペの雑な認識を提示することによって伏線のように機能しているといえる。ナンセンス映画のイメージが強いルイス・ブニュエルだが、本作は実は脚本の映画だったといえよう。とはいえ、そこまで乗れなかったというのが正直な感想である。

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※映画.comより画像引用