【 #死ぬまでに観たい映画1001本 】『わが谷は緑なりき』《静かなる男》の帰還がより染みる

わが谷は緑なりき(1941)
How Green Was My Valley

監督:ジョン・フォード
出演:ウォルター・ピジョン、モーリン・オハラ、ドナルド・クリスプetc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

さてジョン・フォードである。

ジョン・フォードといえば西部劇のイメージが強い。また今や昔の映画監督というイメージが強いせいかなかなか我々世代の映画トークの話題に上がらない人物だ。個人的に『捜索者』が映像こそ美しいが、中身が受け入れられないこともあり長年スルーしてきたのですが、今回『静かなる男』と併せて観て、ジョン・フォードって面白いじゃんと再評価するに至りました。伊達にアカデミー賞監督賞史上最多4回受賞(『男の敵』、『怒りの葡萄』、『わが谷は緑なりき』、『静かなる男』)している訳ではないことが分かりました。ちなみに、『駅馬車』は『風と共に去りぬ』に粉砕され、作品賞と監督賞を逃しています。

『わが谷は緑なりき』あらすじ


ギリム・モーガンの一家は、10歳の末っ子のヒューをのぞいて、すべて炭坑で働いていた。彼等はみな応分の収入があり、平和だった。家族の受ける給料は家長のモーガン老によって保管され、家庭のために決められた使途にあてられていた。長男のイヴォーは、新任の村の教会の牧師グラフィードの手でブロンウェンと結婚して、家を出て一家を構えた。だが平和な鉱山町も、経営者が労賃値下げを断行してから波乱が生ずる。モーガンの息子たちは組合を組織して戦おうとしたが、ギリム老は反対だった。息子たちはヒューとアンハラドをのこして、両親の元を去ってしまった。鉱夫たちはストライキにはいった。鉱山の管理人はモーガン老に、鉱夫のストライキを中止するような説得方を依頼したが、老人は断る。彼が事務所から出てくるところを見た鉱夫たちは、モーガン老が管理側についていると判断し快くおもわなかった。モーガン夫人は森の中で行われた鉱夫の秘密会議にゆき、夫を傷つけないように頼んだがその帰途凍った河におちた。が、動向のヒューに辛うじて救われた。ヒューは足にひどい凍傷をうけ、医者から再び歩行はできまいといわれるが、グラフィードはヒューを力ずけ、少年は再び元気をとりもどすことができた。こうしてモーガン家に親しくなったグラフィードはアンハラドに愛情を感じてゆくようになるが、彼女の幸福をおもい、鉱山主の息子との結婚をすすめた。ストライキは終わったが、鉱夫の収入は依然として低かったので、モーガンの息子たちは渓谷の鉱山を去る決意をしていた。ヒューは学校に通うようになり、毎日みじめな日をおくっていたが、拳闘家だったデイ・ブランドとそのマネジャーのサイファーサと仲よくなり、拳闘を教わるようになってから昔のヒューに戻ってきた。モーガン家は昔のように楽しくなろうとしていたが、ブロンウェンの出産の日、イヴォーは坑内で事故のため死に、ヒューは学校をやめ、兄にかわって働くことになった。夫と南米に行っていたアンハラドも戻って夫の実家に暮らすようになったが、心ない召使いの口からグラフィードとの噂をたてられるがグラフィードの人格はその噂にも傷つけられることはなかった。やがてモーガン老も鉱山で死んだ。かつてはモーガン家の幸福を象徴するかにみえた緑の渓谷は、もはや昔の色を止めてはいない。
映画.comより引用

《静かなる男》の帰還がより染みる

ジョン・フォードは《群れ》を描かせたら天下一品の業を披露してくれる。『捜索者』におけるコマンチ族の群れの薄気味悪さ、『静かなる男』で主人公を常に取り囲むガヤを使ったギャグの迫力。そして、本作では鉱山で働く労働者の一体感が映画を盛り上げてくれる。鉱山は3Kな職場だ。しかし、労働者は秩序を守り仕事場へ向かい、そして給料を受け取る。長い階段を長い行列作り帰路につく。その様子はまるで大名行列のよう。白黒映画故、どれだけ《緑》だったのかはわからない。しかしながら、この世界の人々の心には少なくとも《緑》があったことは分かる。映画は画で勝負だ、そして次に心だを貫き通しているジョン・フォードの精神が画面全体に行き渡っているのだ。

しかしながら、皮肉にもその《緑》とは過去の話。

これは《WAS》の物語なのだ。

3Kを市民の友情で明るく乗り越え、大黒柱が今観ると男尊女卑だと言われそうな程に支配している家庭事情であってもそこには人情があり、「金は使うものだ」と息子たちに小遣いをやる姿に多幸感を抱く。だが、何度も言う。

これは《WAS》の物語なのだ。

資本主義は合理化を促す。合理化が向かう先は賃金カットである。賃金カットするとどうなるか?だだでさえ低賃金で働いていた労働者の心は荒み始めるのだ。そして経営者と労働者との対立が勃発し、ミクロな側面では保守派な父と革新派な息子たちとの間に軋轢が生じてくる。そして息子たちは鉱山から出て行こうとするのだ。

根性論だけでは、一度入った亀裂は戻らない。緑は灰色になるだけだという絶望、哀愁をパワフルな画で描き切った彼は、『静かなる男』で希望持つ帰還を描いた。そうです。『わが谷は緑なりき』と『静かなる男』は2つで1つ。本作を観てから『静かなる男』を観ると、冒頭から感動的な帰還に号泣し、最後のファンファーレともいえるメチャクチャな群衆乱闘にハンカチがぐしゃぐしゃとなることでしょう。

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