【 #死ぬまでに観たい映画1001本 】『インディア・ソング』言葉と画の剥離=記憶の再構築

インディア・ソング(1975)
India Song

監督:マルグリット・デュラス
出演:デルフィーヌ・セイリグ、マチュー・カリエール、クロード・マンetc

評価:70点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

『死ぬまでに観たい映画1001本』にて寝る映画枠として不動の地に君臨する『インディア・ソング』をMUBIライブラリで観ました。長らく本作はVHSの汚い映像でしか観ることができなかったのですが、MUBIで配信されているものはリマスターされとても美しいとのこと。意外にも寝はしなかったが、これまた難解な作品でありました。

『インディア・ソング』あらすじ


大使夫人アンヌ=マリー・ストレッテルへの不可能な愛で狂気に陥る副領事の物語を描く。物語の外の語りや、発声源が見えない声が出来事(と、その記憶)を喚起、推測を巡らせる。映像と音響の関係の新たな境地を開いた作品。
※アンスティチュ・フランセサイトより引用

言葉と画の剥離=記憶の再構築

夕日がゆっくりと沈む。コルカタの人々の騒めきが乱反射し、どこか懐かしさを抱き、そしてその点はとっくのとうに過去となってしまったことに切なさを感じる。スローシネマの代表とも言える、勿体ぶってゆっくりゆっくりと進む本作は『インドへの道』から20年近く経ったというのに、西洋が東洋に居座りデカダンスを増幅させる世界。その中で女性がただのお飾りとして退屈な世界で朽ち果てていく様を言葉と画の剥離といった前衛的手法の基再構築していく話だ。

マルグリット・デュラスは小説家である。それだけに、小説が持つ映画とは別の仮想世界をいかにして映画へ翻訳していくのかを本作で実践してみせた。小説の場合、読者が文字を追う。その文字情報を基にクリエイターが提示する物語を自分のものとして再構築し、脳内にヴィジョンを浮かび上がらせる。映画は、カメラが捉えた画が一意に定まる為、《真実は無数だが、事実はただ一つ》という側面が強くなってしまう。では、小説に近づけるにはどうしたら良いのか?

それは、登場人物から言葉を剥奪し、画とリンクしないセリフをフレームの外側から送り続けることである。

登場人物は、幽霊のように生気を失った空間にゆらりゆらりと立っている。そしてじわりじわりと移動する。鏡が、その幽霊的人を捉え、さらにフワフワとして虚構を生み出す。その背後で、囁き声が木霊するのだ。

我々が、過去を思い出す時、完全なヴィジョンは作り出せない。ある点を脳裏に作り出し、心の中の声がその点を補完して、貴方にとっての真実を生み出す。そのプロセスは、我々が小説を読んで世界を脳裏に作り出すのと同じ作業だ。

マルグリット・デュラスは言葉と画、記憶に真実と事実の関係性、プロセスを耽美な映像に凝縮してみせた。無論、難解でよくわからない映画であったことは確かだが、それだけで斬り捨てることはできない。このカッコいい記憶の旅は私の心を満足させてくれました。尚、本作には続編があるようで『ヴェネチア時代の彼女の名前』はどこかで観たいものがあります。

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