【ネタバレ考察】『夏へのトンネル、さよならの出口』停滞の穴を突き進む夏

夏へのトンネル、さよならの出口(2022)

監督:田口智久
出演:鈴鹿央士、飯豊まりえ、畠中祐、小宮有紗、照井春佳、小山力也、小林星蘭etc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

今年の3月にVTuber動画に触れ、「いずれ映画のコメントをVTuberが出す時代が来る」と思った。映画業界は映画館へ人を呼び込もうとサロン的なものを作ろうとしたが、あまり上手く行っているようには見えなかった。それに対してVTuber界隈は、個とファンの間でコミュニティの関係性ができており、それが他の配信者と激しくコラボを回すことで成長していくロールモデルが確立されていた。これをゼロから作ることは難しいが、そこに映画業界が入ることはできるのではないか?それも映画系VTuberではなく、非映画系VTuberかつ映画に精通した方とコラボすることで新しい層に映画が届くのではと仮説を立てていた。



調べていく中で「でびでび・でびる」と「ぽこピー」がトーク、影響力、そして映画の知識3方向で秀でていることに気づく。これは1年以内に映画のコメント出すぞと思っていた。

そんな中、「名取さな」が先に映画のコメントを出すケースを打ち出した。なるほど、そう来たか。彼女は朝の絵の投稿で『インセプション』のコマを出したり、配信で自然と『ファイト・クラブ』の名を出したり映画好きであることは知っていた。そして、一旦火がつくと「もしハリーポッターのソシャゲがあったら?」という問いに高解像度、捲し立てる語りでアイデアを述べていく。そんな彼女が映画にコメントを寄せたのだ。実際にコメントを見てみる。

本編どこをとってもとにかく映像がきれいで、あんずの髪の一本まで美しかったです。作中あんずがとても苦しい思いをしているのに景色がどうしようもなくきれいだったのがすごく残酷で、胸がギュッとなりました・・・。夏の終わりに見るのにとても合う作品だと思います。

凄いと思った。ネタバレを回避するため、ディティールから語り始める。そして映像と心情の対位法について言及する。これにより所謂「エモーショナルな物語」であることが分かる。そして、彼女の感情を添えて、最後に「夏の終わりに見るのにとても合う作品だと思います。」と旬な映画であることを強調する。短い字数でここまで書けることに映画ライターとして膝から崩れ落ちた。雑談配信の超絶技巧な語り、それは文章でも変わらず、文豪だなと思った。

通常、私は映画のコメントを読んで観る映画を決めることはないのだが、今回は推しのVTuberが熱く映画を紹介したということで『夏へのトンネル、さよならの出口』を観ることにした。これがかなり良かった。ではネタバレありで書いていく。

『夏へのトンネル、さよならの出口』あらすじ

第13回小学館ライトノベル大賞でガガガ賞と審査員特別賞をダブル受賞した八目迷の小説「夏へのトンネル、さよならの出口」をアニメーション映画化。

とある田舎町で噂されている「ウラシマトンネル」。その不思議なトンネルに入ると、あるものを失う代わりに欲しいものが何でも手に入るのだという。掴みどころがない性格に見えて過去の事故が心の傷となっている高校生・塔野カオルは、芯の通った態度の裏で自身の理想像との違いに苦悩する転校生・花城あんずと、トンネルを調査してそれぞれの願いをかなえるため協力関係を結ぶ。

「蜜蜂と遠雷」の鈴鹿央士が主人公カオル、「いなくなれ、群青」の飯豊まりえが転校生あんずの声を演じる。「デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆」の田口智久が監督・脚本を手がけ、「映画大好きポンポさん」のCLAPがアニメーション制作を担当。

映画.comより引用

停滞の穴を突き進む夏

学校生活に漂う「いつまでも続くように感じる時」はどのようにして再現すれば良いのだろうか?

その問いに答える。

雨道を歩く、登校する。教室に座り授業が始まるのを待つ。変わらぬ「今日」を連ねていく様子を変わる「今日」を伝えていくニュースから隔離させる。時代を2005年、通信手段をガラケーに変えることで、「変化」から学生を遠ざけるのだ。そして、存在感を失ったようなカオルの棒読みにより彼の存在は代替可能なものへと近づける。これにより青春の長き時間の流れが形成されていき、内容と深く関係していく。

カオルに物語のフォーカスがあたる。彼の家族関係は、妹と母の死を通じて崩壊してしまった。その痛みを忘れようと、変わらぬ「今日」を送ろうとする。しかし、失ったものへの渇望を強く抱いている。彼は夜を駆ける。線路に出る。喪失感は死への渇望か?やがて彼はとあるトンネルへと辿り着く。それは時間が進む代わりに欲しいものが手に入る空間であった。その存在を知る転校生あんずと共にそれぞれの大事なものをトンネルから見出そうとする。


カンタン・デュピュー『地下室のヘンな穴』と共通して、欲望と時間の関係を描いている。過去への渇望に溺れ突き進む行為によって停滞が生じる。時間は急速に進む。しかし自分は変わらない。過去は手に入るかもしれないが、それは脆く崩れやすいものとなっている。だが一度、そのサイクルに入ると抜け出せなくなってしまい膨大な時が流れてしまう。前者はコミカルに、後者はシリアスに描いているのだ。

本作が面白いのは、トンネルの検証に重きを置いているところにある。トンネルの特性を知るために、ガラケーの機能を使って、二人は何度も検証する。下手に1週間もいなくなると大問題になるから、確実に欲しいものを得られる環境を作っていくのだ。説明セリフで進行するタイプの映画ではあるが、トンネルの特性を説明するために幾つかの検証を盛り込んでいくアプローチは丁寧で好感を抱いた。

また、トンネルに二人が取り憑かれていくと、冒頭提示された学校生活特有の停滞した時の流れから連想されるイメージが光から闇へと切り替わっていく。カオルは自分の罪意識から過去を渇望しトンネルを突き進むが現実の時間はドンドン進み取り残されていってしまうのだ。では、どうやって彼を救い出すのか?それは「あんずの渇望」である。

トンネルの外に取り残されたあんずは、彼の面影を内に秘める。トンネルが具現化するものは物理的な「過去」である。才能といった自分にないものや抽象的なものは具現化しない。「愛」を具現化するにはどうしたら良いか?それはカオルの肉体という物理的存在を求めることである。あんずが過去の彼を渇望し再びトンネルに入ることで彼が救われる。彼の精神は何年も昔のままだ。「過去」を引き摺っている。だがそれを受け入れ前へ進むことでのみ停滞した時から解放されると映画は締めくくる。

一貫して存在と時間について突き詰めていく物語に唸りました。

※映画.comより引用