【ネタバレ考察】『リラックマと遊園地』そのスペクタクルは痛みでできている

リラックマと遊園地(2022)

監督:小林雅仁
出演:多部未華子、山田孝之、上田麗奈、松本惣己、蒼井由奈、宮内敦士、高木渉etc

評価:55点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

リラックマとカオルさん』から3年。NETFLIXとリラックマのストップモーションアニメーション最新作『リラックマと遊園地』が配信された。実際に観てみると、非常に闇深い物語であった。今回はネタバレありで書いていく。

『リラックマと遊園地』あらすじ

もうすぐ閉園してしまうという、お菓子がテーマの遊園地にやって来たリラックマと仲間たち。みんなでなかよく、ワクワクがいっぱいの楽しい一日を過ごす。

NETFLIXより引用

そのスペクタクルは痛みでできている

フィクションとは、現実に存在しない物語を通じて現実にある視点を見出すものだ。アニメーションは現実の物理的世界から解き放たれることで人間の要素を引き出そうとする。例えば、『ふしぎの国のアリス』において小さくなったり大きくなったりするアリス像は、制御不可能な社会と個の距離感を的確に表現しているといえる。距離感が掴めないからこそ破壊が起こる。アニメーションによる伸縮自在な身体を通じて、現実における破壊衝動や不安が描かれている。ストップモーションアニメーションの場合、物質を変容させることで同様の表現が可能となっている。ヤン・シュヴァンクマイエルの『フード』では、皿や椅子を食べたり、人型注文機を乱暴に扱い料理を提供してもらう様子を通じて人間の果てしなき欲望を明らかにしている。

さて、『リラックマとカオルさん』はどうだろうか?

本作は「リラックマ」というキャラクターを用いたゆるふわな物語と思いきや、闇深い。某テーマパークがブラックバイトだという話は何年か前に話題となったが、まさしく本作は「悲しみの瓦礫でできたスペクタクル像」をメインに描いている。懸賞にあたり、閉園予定の遊園地にやってきたリラックマ。カオルさんはバスに弁当を忘れてしまったことから別行動となる。不幸が連鎖する中で、遊園地の裏側が見えてくる。

一人何役もこなす女性従業員。悲しみの顔を浮かべるピエロ、客と従業員の区別がつかない園長が次々と登場する。そして、終盤になるとパレードが電源盤のショートで開催が危ぶまれる事態となる。リラックマたちがコントロール室へ向かうと、サイバー攻撃レベルの暴走したPCがあり、何故か子どものプログラマーに修正してもらうことになる。折角、彼女がトラブルシューティングしている横で園長たちは井戸端会議を始め、ノイズとなる。ここで明らかになるのは、この遊園地が属人化された技術で成立しており、園長はその範囲を全く理解していないこと。その無理解さから重要なエンジニアを解雇してしまったことが明らかとなる。

明らかに子ども向けアニメではない翳りがある。火の車経営で、長期的視野がなく、従業員を駒としてしか使っていない遊園地の無様な終焉が描かれており、それを客と一緒に乗り越えることでさもハッピーエンドに装う。我々の社会でよく見る光景の生々しさがシリーズ全体を覆いつくす、リューベン・オストルンド映画かい?と思いたくなるような作品であった。前作はまだ笑って楽しめる闇深さがあったのですが、本作はその陰惨さがあまりにも強烈で、強烈な割には園長周りのキャラクター像の描き込みが足りない気がしてあまり乗れなかった。

とはいえ、本作ではアニメーションとして興味深いところがある。それは、2Dアニメとストップモーションアニメのハイブリット演出である。回想シーンになると手書き調の2Dアニメーションになる。これは現実世界から微分した世界が回想であることを示している。それを踏まえて、遊園地で出会う少女とゲームをする場面を観てみましょう。リラックマたちはストップモーションアニメだが、ゲームの画面は2Dアニメだ。これはゲームの中に没入する様を示している。回想は個人がイメージしたものそのものが現出する。しかし、ゲームは個人が操作した内容に即して反応する。インタラクティブなものだ。それによる没入感を異なる質感の共存でもって描いている。ゲームをプレイすることの本質を捉えたアニメ表現といえよう。ここは好きであった。