『鬼火』肉体と精神が乖離する中で見る触覚の夢

鬼火(2022)
原題:Fogo-Fátuo
英題:Will-o’-the-Wis

監督:ジョアン・ペドロ・ロドリゲス
出演:マウロ・コスタ、アンドレ・カブラル、ジョエル・ブランコetc

評価:35点

第35回東京国際映画祭で上映されるジョアン・ペドロ・ロドリゲス『鬼火』を観た。本作は幾つかのジャンルが交差する映画ということで期待はしていたが、そこまでであった。

『鬼火』あらすじ

『鳥類学者』(16)のロドリゲスが消防士として働く白人青年と黒人青年のラブ・ストーリーを様々なジャンルを混交させて描いた作品。特にミュージカル風演出が見事である。カンヌ映画祭監督週間で上映。

※第35回東京国際映画祭サイトより引用

肉体と精神が乖離する中で見る触覚の夢

2069年。死ぬ間際の男アルフレードは自分の人生を回想する。消防士を夢見て訓練に励む中で、教官アフォンソと肉体関係を持つ。眼差しが注がれる、訓練所の死角での交わりから、森へ車の中へと舞台を変えていき、恋から愛へと移ろいゆく。

ブリュノ・デュモンやレオス・カラックスといった個性的な監督はミュージカルを描く傾向にあるが、ジョアン・ペドロ・ロドリゲスもその一人であり、死ぬ間際の肉体と精神が乖離する際に回想する夢の中で、肉体的交わりの触覚を呼び覚まし、なんとか自分の存在を留めようとする様子が描かれている。

しかしながら、背徳の場としての森という表現は安易かつ深みがなく、またミュージカルも歌詞があることで、存在にまつわる考察を試みているであろう本作が安っぽい映画に成り下がっていると言わざる得ない。ミュージカル演出においても、それ以外のパートでは上から下から横から立体的に空間を捉えていたにもかかわらず、舞踊が始まると平面的な構図になってしまうあたりに不器用さが見受けされた。せめて音楽パートは、歌詞がないインストゥルメンタルにした方が、より肉体と精神が密接に繋がる様子を提示できたと思う。

唯一、よかった場所として幼少期編の森でのミュージカルパートは素晴らしい。木から次々と子どもが顔を覗かせ、群れとして木々の隙間を縫っていく。そして森全体に響かせるのではなく、身内だけに聞こえるような声量で歌うことで、絆を深め合うこの群による儀式は、アルフレードとアフォンソ、つまり個と個による儀式の対照的な存在であり、また本質面で繋がっている要素として物語を魅力的にさせていると思う。

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※第35回東京国際映画祭サイトより画像引用