【ネタバレ考察】『カラダ探し』タイパの時代に映画で何ができるのか?

カラダ探し(2022)

監督:羽住英一郎
出演:橋本環奈、眞栄田郷敦、山本舞香、神尾楓珠、醍醐虎汰朗、横田真悠、栁俊太郎、西田尚美、柄本佑etc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。


予告編を観て、『学校の怪談』を彷彿とさせるアクションが観られそうだと興味を持っていた作品『カラダ探し』。いつか、映画の案件をやることになるだろうと追っていた甲賀流忍者!ぽんぽこがPRイベント「カラダ探しオンライン」に参加したことがトリガーとなり、観ることにした。今年の日本映画は『映画 おそ松さん』や『ALIVEHOON アライブフーン』、『オカルトの森へようこそ THE MOVIE』と意外な作品が大傑作だったりするのだが、本作もこれらと肩を並べられる作品であった。ネタバレありで書いていく。

『カラダ探し』あらすじ

小説投稿サイト「エブリスタ」で話題を集めた携帯小説で、2014年には漫画化もされた人気作品「カラダ探し」を、橋本環奈の主演で映画化。無残に殺される日を何度も繰り返すことになる高校生たちの恐怖を描いた。

7月5日、女子高生の森崎明日香は、校内でいるはずのない幼い少女と出会い、「私のカラダ、探して」という不気味な言葉をかけられる。不思議な出来事に違和感を覚えつつも、いつも通りの一日を終えようとしていた明日香。しかし、午前0時を迎えた瞬間、気が付くと彼女は深夜の学校にいた。そこには明日香の幼なじみで最近は疎遠になっていた高広と、普段は接点のないクラスメイト4人も一緒にいた。困惑する6人の前に、全身が血で染まった少女「赤い人」が現れ、6人を次々と惨殺していく。すると明日香は自室のベッドで目を覚まし、7月5日の朝に戻っていた。その日から6人は同じ日を繰り返すことになり、そのループを抜け出す唯一の方法は、とある少女のバラバラにされたカラダをすべて見つけ出すことだった。

主人公の明日香を橋本、幼なじみの高広を眞栄田郷敦が演じるほか、山本舞香、神尾楓珠、醍醐虎汰朗、横田真悠ら注目の若手キャストが集結。「海猿」「暗殺教室」など多数のヒット作を手がけてきた羽住英一郎監督がメガホンをとった。

映画.comより引用

タイパの時代に映画で何ができるのか?

稲田豊史「映画を早送りで観る人たち」によれば、現代人はタイムパフォーマンス、いわゆる「タイパ」を追い求めるため、映画における停滞した場面は早送りにしてしまうのだそうだ。つまらなければすぐに早送りにされてしまう。無視されてしまう。そんな時代に映画という娯楽は成立するのだろうか?多くの映画クリエイターが悲観的になりそうな実態に対して、なら2020年代なりの映画の戦い方があると真っ向勝負を仕掛けた映画。それが『カラダ探し』だった。

本作は、RTAばりに余計な感情描写はカットされていく。気がつけば、不登校になっていた男は正気を取り戻し、作戦に手を貸すようになる。全く交わることのないような者たちが、あっさりと仲良くなる。延々と繰り返す1日。地図を作っても、モンスターに殺されたら一から作り直しなはずなのに、そこの手間に対する苦労はカットされ、イケイケドンドン、カラダ探しゲームに講じていく。

そして、カットされた心情描写をどのように補うのか?それはアクションだ。本作におけるアクションは空間や群れによる運動を巧みに使った豊かなものとなっている。特に冒頭が素晴らしい。母親から弁当を渡される森崎明日香(橋本環奈)。「コロッケはみんなで食べてね」と言われるが、彼女の顔に翳りがよぎる。友だちがいないことを端的に表している。登校する明日香。彼女に注がれるものは嘲笑の眼差し、あるいは認知されないかのような空気だ。男子生徒がドンとぶつかっても、彼女との物語は発生しない。横切るゴミ収集車、猫。嘲笑の眼差し。複雑な運動が彼女の周りを取り巻くが、どれひとつ干渉することなく、猫が車に轢かれる事故が発生する。

これはまさに『学校の怪談』の冒頭に対する挑戦だろう。『学校の怪談』では前進する生徒、後ろ向きに歩く生徒、チャリといった様々な運動が学校に向かっていき、やがて先生が答案用紙をぶちまけるところで終わる。それを凄惨な事故に置換して描いてみせるのだ。思い返せば、冒頭ではハリウッドモンスター映画を思わせるフッテージ映像に挑戦していた。この作品は、ティーン向け娯楽映画というジャンルにあぐらかくことなくハイレベルな映画を作ろうとする気概が激っているのだ。しかも、芸がやたらと細かい。スマホが振動しながら、生物のように動く描写の不気味さはもちろん、高校生が一箇所に集まる場面ひとつとっても、左右、カメラの奥から現れ群れを形成する。横移動するカメラワークを背にV字フォーメーションを組みながら聖堂に向かっていく様子のカッコ良さ。なんだこれはと思うほどに運動の面白さに満ち溢れている。

モンスターとの戦闘では、VFXをなるべく意識させないような物質的戦闘が展開される。モンスターの動きも、我々の予想を巧みに外してくるので、怖さが増幅される。例えば、ロッカーに隠れる場面。通常は、一旦モンスターが通過した後にガッと扉が開けられ死亡する展開になるだろう。しかし、本作では怪談にロッカーごと落とすのだ。そして鏡を使った空間の中で殺戮が行われる。保健室に入ってくる場面では、明らかにベッドの下に明日香がいることが分かりきっているにもかかわらず、ベッドの上で飛び跳ねてから引き摺り出すのだ。

このように運動、運動、運動を畳み掛けていく本作を観ると、「映画を早送りで観る人たち」の時代において最終的には、サイレント映画のような運動と空間で物語る映画が呼び覚まされるのではと思い、そんなに悲観することではないのかなと感じた。
※映画.comより画像引用