【ネタバレ考察】『映画 おそ松さん』デウス・エクス・マキナを脅かす六つ子

映画 おそ松さん(2022)

監督:英勉
出演:向井康二、岩本照、目黒蓮、深澤辰哉、佐久間大介、ラウール、渡辺翔太、阿部亮平、宮舘涼太、髙橋ひかるetc

評価:100点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

日本の大衆娯楽映画は、コントと映画を履き違えていることが少なくない。コスプレした俳優が、現実と重ねた薄っぺらいメタギャグを言ったり、一発芸をさせたり、お笑い芸人に持ちネタをやらせたり、金がかかった学芸会レベルの代物を生み出しがちだ。折角、アイデアはあるんだからスクリューボールコメディやジェリー・ルイスのコメディを学んで、映画にしかできない演出で観客を笑わせてほしいと毎回祈るばかりだ。『映画 おそ松さん』の予告編を観た時、またしても恥ずかしくなるような学芸会映画を想像して辛くなったのですが、監督が英勉と聞いて気持ちが変わった。これは傑作かもしれないと。英勉は外向きのコメディを探求する監督であり、通俗でありながら映画の可能性を模索し続ける鬼才だと思っている。そんな彼が、実写版おそ松さんを映画化したら思わぬ化学反応が起きるに違いない。そう確信した私は映画館へ行ってきた。これが年間ベスト級の傑作だったのでネタバレありで考察していく。

『映画 おそ松さん』あらすじ

赤塚不二夫の名作漫画「おそ松くん」に登場する6つ子たちが、自堕落な生活を送るニートの大人になった姿を描いて人気を集めたギャグアニメ「おそ松さん」を、アイドルグループ「Snow Man」の主演で実写映画化。おそ松、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松の松野家の6つ子は、20歳を過ぎても定職に就かず、親のすねをかじって暮らす童貞のニートたち。6人は時に足を引っ張り合いながらも、仲良くひとつ屋根の下で暮らしている。そんなある日、長男のおそ松が、ある老紳士と出会う。その老紳士は時価総額数十兆円の大企業アプリコッツのCEOで、事故で亡くした息子と瓜二つのおそ松を養子にしたいという。おそ松が似ているなら自分たちも似ているはずで、おそ松の抜け駆けが許せない5人の弟たちは、養子にもらわれたいがために他の兄弟を蹴落とす骨肉の争いを始める。そんな彼らの前に怪しい黒ずくめの3人組が現れ……。おそ松を向井康二、カラ松を岩本照、チョロ松を目黒蓮、一松を深澤辰哉、十四松を佐久間大介、トド松をラウールが演じ、映画オリジナルキャラクターのエンド役を渡辺翔太、クローズ役を阿部亮平、ピリオド役を宮舘涼太が担当。オープニングにはアニメ版の6つ子も登場する。監督は「東京リベンジャーズ」「賭けグルイ」「映像研には手を出すな!」など漫画原作のヒット作、話題作を多数手がける英勉。

映画.comより引用

デウス・エクス・マキナを脅かす六つ子

目覚ましが鳴る。アニメのように上から六つ子が布団から飛び上がる様子を捉え、すぐさま正面、ドタドタと食卓に降りていき、ご飯にガッつき、外へ飛び出す。アニメのオープニングのような忙しないカット捌きを再現するオープニングから何かが違った。彼らが向かう先は、パチンコ屋。生々しい古びた感じ、枯れた人々の群に並び、静止する六つ子は我に返る。

「実写だとちょっとキツいね」

アニメのコミカルで爆速な動きを生身の人間が再現しようとすると、幾ら体力ありあまるアイドルと言えども負荷がかかるのだ。しかし、この映画は2時間近くに渡り、アニメ的動きを止めることはない。暴走列車のように突き進むのだ。十四松(佐久間大介)がしゃがむと、それをおそ松(向井康二)が飛び越え、パチンコ屋前で脱糞を試みると、店員にキレられ天空に飛ばされる。そして、色彩豊かな六つ子は山のように積み重なる。

そんな彼らの前に現れる富豪。失踪した息子にそっくりな六つ子のうち一人を引き取ると言い始め、御曹司バトルロワイヤルが勃発する。そこに、ファムファタール・トト子(高橋ひかる)がイヤミ(前川泰之)、チビ太(桜田ひより)を引き連れ混沌としていく。

ここまで観ると普通のドタバタコメディに見える。しかし、ここから想像を絶する物語へと発展していくのだ。

六つ子が、それぞれの性格に合わせて勉強やスポーツ、仕事に打ち込み始めるのだが、段々とそれぞれの役割に没頭して異なるジャンルの映画が共存し始めるのだ。カイジのようなデスゲームものが勃発したかと思うと、横では淡い恋愛ものが始まり、何故かアメリカで『ボーン・アイデンティティー』が始まってしまう。一方、その頃十四松はメジャーリーグを目指してバットで作った筏でアメリカを目指すも雷に打たれ異世界転生。なんと黒澤明映画の世界にやってきてしまう。到底じゃないけれど、2時間で終わる内容ではなくなってしまう。

発狂するトト子、イヤミ、チビ太。そこに3人の「物語終わらせ屋」エンド(渡辺翔太)、クローズ(阿部亮平)、ピリオド(宮舘涼太)が現れ、デウス・エクス・マキナとしてそれぞれの物語を強制終了させようとする。カイジパートでは、強力な助っ人として世界観に侵入し、群れを束ねようとする。恋愛パートでは、エンドロール10分前の回想シーンを生み出そうとする。『ボーン・アイデンティティー』パートでは、ラスボスとして降臨しいきなり最後の肉弾戦を始めるのだ。

近年、情報の洪水によって人々の集中力がなくなり、10分のYouTube動画すら観られなくなってきていると言われている。その弊害か、大衆娯楽映画も点のギャグを連ねることしかできない映画が生み出されヒットする状況となっている。また、人々は時間がないので約束された面白さを求めて映画を観るようになった。英勉はそれに歩み寄る。様々なジャンルのお約束を断片的に紡いでいくのだ。しかも、それが点でなく、線として結ばれていき、四散バラバラとなった六つ子を一か所に修練させようとする。

これが離れ業となっており、例えば恋愛ドラマパートにおけるボーイ・ミーツ・ガールの瞬間でプルーストの「失われた時を求めて」を手に取る場面があるのだが、薄っぺらい引用に見えて、ひたすら回想、時空跳躍を繰り返し中々終わらない物語という本質をついている。物語を終わらせないように、日本人が大好物なループものも活用し、物語において最強な存在であるデウス・エクス・マキナがそれを超越する存在と対峙する物語へ豹変させているのだ。

しかも、この映画はその大技で収まるような作品ではない。父と母の登場で、六つ子の物語は収束に向かうかと思いきや、物語のきっかけである富豪の失踪した息子が登場し、新たな構想が勃発するのだが、六つ子が物語を書き換えられる世界の構図を認知したことで悪用され始める。失踪した息子に、別の衣装を着せることで存在を消し、饒舌に願望を右から左から唱えることで、物語の整合性を破壊し、そこから生まれるバグで全てを支配しようとするのだ。

かつてカイエ・デュ・シネマの批評家がジェリー・ルイス系の通俗豪快超絶技巧な映画にのめり込んだように私も、『映画 おそ松さん』の世界観に惹きこまれました。

これです。私が追い求めていた荒唐無稽で映画に真摯な娯楽作品は。


P.S.YouTuberのばまんが「絶対地球破壊したいのばまんVS絶対物語を終わらせたくないAI」を先日発表し、これがめちゃくちゃ面白かったのだが、まさか映画でこのような展開を観られるとは驚きでした。

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※映画.comより画像引用