【レオス・カラックス特集】『ボーイ・ミーツ・ガール』僕は非凡な人間になりたかった

ボーイ・ミーツ・ガール(1983)
BOY MEETS GIRL

監督:レオス・カラックス
出演:ドニ・ラヴァン、ミレーユ・ペリエ、キャロル・ブルックス、アンナ・バルダッチニ、ハンス・メイヤー、エリー・ポワカール、クリスチャン・クローレックetc

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

アネット』予習で『ボーイ・ミーツ・ガール』を観た。本作は、高校時代、背伸びして観てよく分からなかったイメージがある。だが、今観てみると23歳でこんな化け物みたいな作品を放ってしまうとは、恐ろしい子と思わずにはいられなかった。というわけで書いていく。

『ボーイ・ミーツ・ガール』あらすじ

ジャン=リュック・ゴダールの再来といわれたレオス・カラックス監督の長編デビュー作。親友のトマに恋人を奪われたアレックスは、彼を殺す決意を胸に夜のパリに出て行くが、同じく失恋した少女、ミレーユと出会い恋に落ちる。のちに「汚れた血」「ポンヌフの恋人」へと続いていく、ドニ・ラバン演じるアレックスを主人公にした3部作の第1作。

映画.comより引用

僕は非凡な人間になりたかった

社会がアレックスを避けるようだ。ピンボールの周りに群がる人。そこを抜けるようにして店に入る。夜の街で、親友を殺そうとする。暗闇でタイプライターを打ち込み、隠した地図に、自分の生きた証をつける。カフェで、手紙が落ちる。それを拾おうとして、背の高い女性にぶつかり、咄嗟にコーヒーを奢ることになるが彼女はあっさり去ってしまう。ひたすらアレックスが人から避けられ、孤独の闇に吸い込まれていくアクションを連ねていく。その果てに女と出会い、こことぞばかりに見栄を張る。

「僕は非凡な人間になりたかった」

と語り始めるのだ。正直、今観ると女性の内面には踏み込まず、女性を男性のナルシストや欲望、陰鬱とした気持ちを受け入れてくれる器として描いているところにキツさを感じてしまう。また、「タンタン」のページを壁に貼り、ジャンプカットをすることで、ゴダールの『勝手にしやがれ』におけるジャンプカットを俺はこう演出するとアピールしているのだが、あまり上手く機能していない気がした。まだ、ドゥニ・ヴィルヌーヴ『Un 32 août sur terre』がジーン・セバーグのポスターで『勝手にしやがれ』オマージュ宣言して行うジャンプカットの方が物語的に意味を成していたと思う。ここは23歳のイキりととれる。

しかしながら、本作の割れたガラスを使った集中線演出や、二重の死をシームレスに繋ぐラストはあまりのカッコよさに痺れたし、ピンボール台の裏を撮ろうとしたり、川での横移動の美しさを観ると、こうした問題点には目を瞑りたくなる。確かに、『ボーイ・ミーツ・ガール』は人を狂わせる作品であり、レオス・カラックスが神聖化されるのも納得である。

『アネット』では非凡になってしまったレオス・カラックスが、器として消費されてしまう女性像を自己批判した作品に仕上がっている。

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※映画.comより画像引用