『COMA』行き場のない私は「過去」から虚構を生み出す

COMA(2022)

監督:ベルトラン・ボネロ
出演:ジュリア・フォール、Louise Labeque、レティシア・カスタ、アナイス・ドゥムースティエ、ルイ・ガレル、ヴァンサン・ラコスト、ギャスパー・ウリエルetc

評価:65点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

第72回ベルリン国際映画祭エンカウンターズ部門にて上映されたギャスパー・ウリエル遺作にしてベルトラン・ボネロのロックダウン映画『COMA』を観た。『The Tsugua Diaries』もそうだが、コロナ禍において映画監督はどのような映像表現ができるのか悩みながらミニマルな作品を生み出した。ベルトラン・ボネロのロックダウン映画はある工夫によって興味深い退屈さが広がる作品に仕上がっていた。

『COMA』あらすじ

Online behavior and content consumption through the eyes of a teenage girl who immerses audiences into her dreams and nightmares. Navigating between dreams and reality, she’s guided by a disturbing and mysterious YouTuber, Patricia Coma.
訳:夢と悪夢の中に観客を引き込む10代の少女の目を通して、ネット上での行動とコンテンツ消費を描く。夢と現実の間を行き来する彼女を導くのは、不穏で謎めいたYouTuber、パトリシア・コーマだ。

IMDbより引用

行き場のない私は「過去」から虚構を生み出す

時はロックダウン渦中。少女の退屈な日常が描かれる。彼女はYouTuberパトリシア・コーマの動画を観ている。彼女が不味そうなスムージーを作る動画、美術館にいる動画を観て時間を溶かしている。彼女はYouTube動画=過去と接続することで停滞した「現実」から逃避しているのだ。一人でいる。それは自問自答が広がることである。映画はバービー人形によるストップモーションアニメ、2Dアニメ、そして紫の森=悪夢を行き来する。自問自答するということは、異なる自分を現出させることであり、ある意味マルチバースだ。ベルトラン・ボネロ監督は様々な質感の画を用意することで内なるマルチバースを作り上げた。元々、彼の作品は現実から異界に結合するのを得意としている監督である。



例えば、『戦争について』では棺桶に閉じ込められるという体験を通じて、現実とそっくりだが変わってしまった世界を描いている。不思議な体験の手触りを抱きながら、マチュー・アマルリック演じる男はカルト教団のような組織に導かれ「模倣」をする。現実から異界にヌルッと放り込まれてしまう様が面白かった。『ノクトラマ/夜行少年たち』ではデパートに立て篭もる者が、デパートという停滞した時間の中で虚無を募らせていくこれまた現実と地続きな異界が描かれていた。

『COMA』では、YouTubeを通じて他者の過去を覗き込むことで、内に虚構が生み出され、その悪夢のような虚構によって時間が融解していく様を描いており、これまた現実と地続きの異界が広がっていた。


さて、本作を観るとピーナッツくんのMV「PetbottleRocket」とアプローチが対極なことに気付かされる。

ピーナッツくんのMV「PetbottleRocket」では、ピーナッツくんが部屋で動画を撮影することでかつて見たペットボトルロケットを超える大きなロケットを作り出せることを描いている。もちろんロケットは比喩であり、ネット上にアップされる面白い動画のことを示している。クリエイターであるピーナッツくんにとってYouTube動画は「未来」である。部屋(=現在)から創作することで「未来」を見ようとする様をMVで描いている。

つまり視聴者/クリエイターの意識の違いがこの2作品から考察することができる。視聴者にとってのYouTube動画は現在から過去への没入であり、クリエイターは現在から未来への没入といえよう。

面白い作品かと聞かれたら『COMA』は観る人を選ぶ代物であるが、それでも心に残るものがあった。

※IMDbより画像引用

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