『水俣一揆-一生を問う人々-』のれんに腕押しなら、のれんを掴め!

水俣一揆-一生を問う人々-(1973)

監督:土本典昭

評価:65点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

9月、10月は個人的に不安しかない作品が2本控えている。1本目はフランスのアルチュール・アラリ監督が小野田寛郎を描いた伝記超大作『ONODA 一万夜を越えて』。もう一本はこれまた海外の監督アンドルー・レヴィタスが水俣病を扱った『MINAMATA―ミナマタ―』である。どちらもセンシティブなテーマであり、日本の監督ですら上手く事象を捉えつつ映画の文法に翻訳できるか難しいところがある。特に『MINAMATA―ミナマタ―』は時代考証の一部を真田広之が行ったと耳にしているだけに余計に心配だ。そんな本作を観る前に予習しようと土本典昭監督作『水俣一揆-一生を問う人々-』を観ました。

『水俣一揆-一生を問う人々-』概要

「水俣 患者さんとその世界」で水俣病を世界に知らしめた土本典昭監督が、再び水俣病をテーマに取り上げた長編記録映画。1973年3月20日、熊本地裁は患者の訴えを認めてチッソに慰謝料の支払いを命じ、チッソに加害責任があることが明らかになった。その後、チッソ本社を舞台に生涯の医療と生活の補償を求め、チッソと水俣病患者の直接交渉が繰り広げられる。本作では、交渉にあたる水俣病患者たちの行動に密着。交渉の様子はシンクロ録音(同時録音)を駆使して生々しく収められ、患者たちの闘いを綿密に記録した。

映画.comより引用

のれんに腕押しなら、のれんを掴め!

1973年3月20日、熊本地裁は患者の訴えを認めてチッソに慰謝料の支払いを命じた。劇映画であれば、そこが物語のゴールとなるだろう。しかし、これは水俣病問題の終わりの始まりだった。水俣病被害者は日に日に増えていく。市民の想いはひとつ。

「この状態をどうしてくれるんだ、チッソを落とし前をつけろ」

しかしながら、保証を巡って、訴訟を継続するかどうかで6つの派閥に分断されてしまった。チッソ側としてはとっとと慰謝料を払って水に流そうとする。だが、死んだ者への保証はどうか?水俣病が原因で働けなくなった者の年金や障害補償はどうする?新規患者への補償はどうするのかといった問題が浮上する。

沈黙、複雑なシステムを盾に煙に巻こうとするチッソに対して市民は立ち上がった。会議室に、大量の被害者が押しかけ、至近距離でチッソのトップを追い詰める。のれんに腕押しならば、のれんを掴み感情をぶつけ続け、相手が諦めるまで粘るのだ。かなり暴力的な手段に圧倒されるが、強者の逃げ方は今にも続く普遍的なものがある。結局、黙り続けた方が勝ちなのだ。複雑なシステムを背に時が経つのを待ち続け、風化したり関係者が皆死ぬのを待ち続けるのです。だから、のれんを掴み続けることは重要なのです。

2020年代ではSNSが有効手段として存在するが、それがない時代だからこそ、会議室で面と向かって長時間に渡って平行線の闘いを続けるしかないのだ。土本典昭監督は、徹底的に顔を、当事者に負けんじと迫り続ける。怒りの声が燃え盛る。それが燃え尽きそうになった時に、垣間見えるやるせない感情。疲弊を捉え続けることで当事者に寄り添っている。

水俣病は中学受験の勉強時に、高校の授業で単語レベルでしか触れてなかったので、どのようにして市民が企業や国と闘ったのかというプロセスが観られてよかった。果たして、その複雑な慟哭を『MINAMATA―ミナマタ―』はどのように掴んでいるのだろうか?気になります。

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※映画.comより画像引用