【東京国際映画祭】『リトル・ガール』結局他人を変えることはできない

リトル・ガール(2020)
原題:Petite fille
英題:Little Girl

監督:セバスチャン・リフシッツ

評価:85点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第33回東京国際映画祭でトランスジェンダーに関するドキュメンタリー『リトル・ガール』を観ました。既に観賞している映画仲間が推薦していた作品なのですが、想像以上に良い作品でありました。

『リトル・ガール』概要

男の子の体で生まれたサシャは、女の子になることを夢見ている。家族は理解を示しサシャを支えるが、学校制度に阻まれる。母親の献身と闘いが感動的であり、無垢な表情のサシャに胸を痛めずにいられないドキュメンタリー。
※東京国際映画祭サイトより引用

結局他人を変えることはできない

サシャは男の子だが、物心ついた頃から「私は女の子」と言っていた。しかし、トランスジェンダーの知識がなかった両親は冗談だろうと受け流していた。しかし、いつまでたってもサシャは自分が女の子だと主張する。両親はようやくサシャが性同一性障がいを抱えていることが分かると同時に、サシャの言葉を冗談として受け止めていたことに罪意識が芽生える。そして、サシャが自分らしくいられるように女の子の服装をさせ、バレエ教室に通わせていた。しかし、社会のシステムはそう簡単に受け入れてくれる訳ではない。日本よりLGBTQ問題への周知が進んでいると思われていたフランスですら、無理解という領域が家族を苦しめていくのだ。サシャ一家が住む地方都市では、トランスジェンダー問題は対処できず、学校の先生はサシャに嫌がらせをしている。学校という組織としても、母親が付き添わないのであれば転校するよう言われる。地元の医療では、彼女の問題を扱えないため、家族はパリまで遠征してカウンセリングを受ける。本ドキュメンタリーを観る者は、医者なら良い打開策を考えてくれるだろうと思うだろう。しかしながら、医者から提示されるのは「無理解な人を変えるのは無理です。忘れなさい。」というアドバイスだった。母親は既に、父親と「貴方は学校の先生の気持ちを変えたいのか?」という議論を行い、マイノリティの問題に対処させるために学校という組織を変えさせることへのモヤモヤを吐き出していたのだが、いざ医者に言われるとその言葉はあまりにも重い。

そして、サシャはまだ幼い子どもだ。将来のことは分からない。なんとなく、「自分は女の子」という感情があるだけだ。そんな彼女を前に医者は、将来子どもを授かる時のリスクを説明する。そこには「子どもはコウノトリが運んでくる」なんてフィクションはない。体外受精の話や、性転換手術をした際のリスクがひたすら語られるのだ。サシャは理解できずポカンとしているのだが、母親は今にも泣きそうな面持ちでそのリスクを飲み込むのに必死となっている。

このドキュメンタリーは、SNSを筆頭にLGBTQ問題が表面化し、社会的地位を得たように思えるが、実際のところ無理解が存在する領域で苦しんでいる人がいることを暴いている。映画は蝶の羽をつけたサシャが、軽やかに踊る希望的な着地を魅せるが、彼女の闘いはこれからのように思える。

Twitterでも指摘されている通り、本作はサシャの犠牲のもとに成り立っているドキュメンタリーだ。故に将来彼女がこのドキュメンタリーを人に見せたくないと感じたら、封印すべき作品とも言える。

傑作であり問題作として本作は是非とも日本公開してほしい。

※東京国際映画祭サイトより画像引用

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