さとこはいつも(2026)
監督:沖田修一
出演:姫野花春、有村架純、石田ひかりetc
評価:80点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
沖田修一監督の作品は深夜ラジオのような心地よさがある。
他愛もない話なのだがどこか惹き込まれる内容で、いつの間にか2時間以上経っている。ポスターヴィジュアルやあらすじの雰囲気とは裏腹に130分を超えていくランタイムにもかかわらず、蛇足を感じさせない作劇は唯一無二のものといえる。
そんな彼の長編映画デビュー20周年を記念する『さとこはいつも』が来週2026年9月18日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開となる。
今回、試写にて一足早く観させていただいたのでレビューしていく。
『さとこはいつも』あらすじ
長編映画デビュー20周年を迎えた沖田修一監督が、年齢も育った環境も異なる3人の「さとこ」という女性の人生が交差していく様子をオリジナルストーリーで描いた人間ドラマ。
15歳の中井聡子は鼻炎持ちの中学3年生で、学校ではソフト部に所属し、同じ耳鼻科に通う同級生に恋をしている。国語教師から文章を書くよう勧められた彼女は自分の初恋物語に着手するが、初恋相手に対する妄想が暴走してしまう。姪と韓国カルチャーを愛する35歳の西田沙都子は、映画配給会社の宣伝部で働いている。6年目になる不倫が倦怠期を迎えている彼女は、自分の人生を振り返りながら不倫の日々についてつづっていく。55歳の飯島里子は子育てがひと段落し、ようやく自分の時間を持てるようになった。かつて作家になる夢を抱いていたことを思い出した彼女は、自分の初恋の物語をノートに書きはじめる。まったく違う人生を歩む3人の「さとこ」たちだったが、それぞれ自分の人生を小説としてつづるうちに、他人だったはずの3人の物語は少しずつ交差していく。
有村架純が35歳の沙都子役、石田ひかりが55歳の里子役、オーディションで選ばれた姫野花春が15歳の聡子役で主演を務め、聡子の心を揺さぶるミステリアスな国語教師役で吉田羊、沙都子の不倫相手である印刷会社の営業マン役でオダギリジョー共演。さらに筒井道隆が里子の夫役を務め、テレビドラマ「あすなろ白書」から33年の時を経て石田と夫婦役で再共演を果たした。
耳鼻科で始まる恋なんてあるんだ
本作は、3人の女性《さとこ》の創作が思わぬ形で交差する作品である。群像劇というよりかは、ホン・サンス作品のような分割された3つのエピソードの中で絡み合うといった構成となっている。
ひとり目は、15歳の中学生・中井聡子(姫野花春)。ひょこんなことから文章を書くことになる。ふたり目は、35歳の映画会社で働く西田沙都子(有村架純)。アンニュイな日々に刺激的な出来事が訪れる。三人目は、55歳の主婦・飯島里子(石田ひかり)。子育てを終えた彼女がかつて夢見た作家へのあこがれを思い出しノートに初恋の物語を紡いでいく。
公開前かつ、驚きの展開を魅せる作品なため、ここでは中井聡子に着目して話す。まず、冒頭1秒で「映画史が始まり125年以上経ったが、こんな視点があったんだ」と脳天を撃ち抜かれる。姫野花春演じる中井聡子が耳鼻科の鼻吸引機(ネブライザー)をつけながら虚空を見つめている場面から始まる。そこへ、同級生が現れ親密な関係になる。関係性を深める装置としてネブライザーが大活躍。口から出る煙、ネブライザーをつけることによりダサく見えてしまう状況でもその空間に揺蕩うユーモアによってふたりはどんどん仲良くなっていく。確かに幼少期、鼻詰まりが起きると耳鼻科でネブライザーをつけた。あの奇妙な感覚は面白いものの大人になってしまうと忘れてしまう。そんな、人生の死角ともいえる面白い状況を見事なまでにショットとして、物語装置として落とし込むのだ。
映画は彼女の恋と並行して国語教師に文章を書かされるエピソードが走る。授業で歌舞伎を観に行く。中学生からしたら退屈に思えるだろう。彼女は白目を剥いて爆睡する。感想文を書かなきゃいけない。ウンウン苦労して書く。先生に呼び出される。怒られるかと思ったら「あんたいいわね」と言われる。国語教師は何を考えているのかわからない怖さがある。怒っているのか、呆れて皮肉を言っているのか、褒めているのかわからない宙吊りの中で言葉を選ぶ。その過程で何故か、文章をさらに書く羽目となる。お題は「好きな食べ物へのラブレター」。なんだよと言いつつ、一度書き始めると夢中になって書き始めるのだ。塩辛への恋文を。映画は、隠れた才能が開花する瞬間を自然な形で描いている。
私自身、小学時代にさくらももこのエッセイに感化されて「パンの耳」というエッセイ集を夏休みの自由研究で提出したことがある。中学生に入り、映画にハマり始めると、そのことを知っていた母親から「ブログをやれば」と提案され、アメーバブログを始めた。これが私が物書きになったきっかけである。向いているかどうかはわからないが、いざやってみると夢中になる瞬間を沖田監督は捉えているといえる。
そして、中学生、アマチュアの創作は現実の経験と地繋がりである。前の描写に登場してきた風景や経験、視点が少しずつ創作に影響を与えていることを端的に魅せる。一見するとアンニュイなありふれた日常に思える描写も、映画として必然的な場面として機能しているのだ。そしてそれがクスリと笑える。まさしく、深夜にラジオやPodcast、YouTubeの雑談配信をダラダラ聴いているなかで思わず笑ってしまうような空気を纏った映画といえよう。
沖田修一ワールド全開な『さとこはいつも』は9月18日(金)より公開。










