『ヒンド・ラジャブの声』子どもの死をスペクタクルにしないと言われても……

ヒンド・ラジャブの声(2025)
The Voice of Hind Rajab

監督:カウテール・ベン・ハニア
出演:サジャ・キラニ、クララ・フーリ、モタズ・マルヒース、アメル・レヘル

評価:ー点


おはようございます、チェ・ブンブンです。
2025年のヴェネツィア国際映画祭で審査員グランプリを受賞した問題作『ヒンド・ラジャブの声』が公開された。

本作は2024年にガザから避難しようとした家族がイスラエル軍からの攻撃に遭った6歳の少女ヒンド・ラジャブがパレスチナの人道支援組織「パレスチナ赤新月社」に救命要請をするも助からなかった事件を映画化している。

本作の特徴は、赤新月社や家族からの許可や調整を行い、事件当時の音声や映像が使われている点にある。つまり、イスラエル軍からの攻撃に遭い最終的に殺されることとなるヒンド・ラジャブの声がそのまま使用されているのだ。いくら許可を取ったとはいえ、亡くなった者、ましてや子どもから直接許可を取ったわけではない。この構図のグロテスクさに鑑賞前から吐き気がした。

しかし、監督はチュニジアのカウテール・ベン・ハニアである。彼女だからできた業とも思える。彼女はフィクション/ドキュメンタリー関係なく《映画》もとい芸術における加害性と向き合ってきた監督だ。『皮膚を売った男』では、難民が国境を越えるために皮膚にシェンゲン・ビザを入れ《現代アート作品》となる話であった。問題を解決するためにヒトをモノとして扱う強烈な風刺となっていた。『Four Daughters フォー・ドーターズ』では、とある家族の痛ましき過去を再現していくドキュフィクションなのだが、四姉妹のうち不在のふたりは俳優で補い、当事者/非当事者が織り成す重層的な再現が社会の暴力と個人との関係を浮き彫りにさせた。

美術手帖に掲載された記事「6歳の少女の「声」を、映画はいかに伝えるのか。映画『ヒンド・ラジャブの声』カウテール・ベン・ハニア監督インタビュー」によると、今回の演出は「子どもの死をスペクタクルにしない」という鉄則のもと、フィクションになることによってスペクタクル化してしまう様への抵抗として現実の音声・映像を使用したと語っている。故に本作では、ヒンド・ラジャブの死は直接描かれないものとなっている。

『Four Daughters フォー・ドーターズ』で虚実を織り交ぜた演出の効果を確信したであろう彼女がその応用として制作した『ヒンド・ラジャブの声』。チュニジア人としての彼女がいかにしてガザで起こっている問題に心から歩み寄れるのか。アラン・レネが『二十四時間の情事』を撮った時のような葛藤が反映される一本ではあったものの、「スペクタクルに飲まれた」と言わざる得ない作品であった。

『ヒンド・ラジャブの声』あらすじ

「皮膚を売った男」「Four Daughters フォー・ドーターズ」のカウテール・ベン・ハニア監督が、2024年1月にパレスチナのガザで6歳の少女ヒンド・ラジャブとその家族、そして救助に向かった救急隊員がイスラエル軍に殺害された事件を映画化。

イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃が続いていた2024年1月29日、パレスチナの人道支援組織「パレスチナ赤新月社」のボランティアチームが緊急通報を受ける。それは、銃撃下の車内に閉じ込められた6歳の少女ヒンド・ラジャブからのものだった。ガザから避難しようとしていたヒンドとその家族は、乗っていた車がイスラエル軍に攻撃され、ヒンドをのぞく全員が命を落としていた。赤新月社のボランティアチームは、残された彼女を救出するため、電話をつないだままあらゆる手段を尽くすが……。

劇映画「皮膚を売った男」、ドキュメンタリー「Four Daughters フォー・ドーターズ」の双方でアカデミー賞にノミネートされたチュニジアの気鋭カウテール・ベン・ハニア監督が、パレスチナ赤新月社が記録した緊急通報の内容をもとに製作。作中の電話シーンにおける音声は、事件当日の本物の通話記録が使用されている。ブラッド・ピット、ホアキン・フェニックス、ルーニー・マーラ、アルフォンソ・キュアロン、ジョナサン・グレイザーら、そうそうたる映画人たちが製作総指揮に名を連ねた。第82回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞。第98回アカデミー賞では国際長編映画賞にノミネートされた。

映画.comより引用

子どもの死をスペクタクルにしないと言われても……

映画は赤新月社のオフィスで展開される。男が電話を取る。すると少女の「助けて」といった声が聞こえる。救急車を出せば8分で到着できる。今すぐにでも救急車を出すべきだろう。しかし、ボスは「調整が必要だ」「手順に従う必要がある」と言う。そしてその調整は難航する。赤十字社に協力要請を出そうにも断られてしまうのだ。断続的にかかるヒンド・ラジャブの悲痛の声。現場オペレーターは疲弊していく。

夜勤明けで観たのだが、管理職であるわたしにとってキツいものを感じた。管理職は常にステークホルダーとの利害関係の中で調整して答えを作っていく。時にはルールを破る必要がある。特にわたしの場合、問題解決やクライアント満足度のためなら手段を問わないやりかたをするので、必要に応じて「俺が責任を取るからこの作業を許可する」といった指示を出す。だが、これは死者がでない職場での話だ。

なぜ赤新月社のボスは救急車を出せないのか。それは救急車に乗っている人が殺害される可能性を有するからだ。彼はオペレーターに写真を魅せながら「こいつらにも家族がいる。もし死者が増えるのなら俺は辞める。」と言うのだ。これは言い方として悪手でもある。本質として人権に老若男女関係ない。人が殺されることに耐えられない。だから最低限の犠牲になる方法を厳格に守る必要があるといった考えだろう。しかし、保身に捉えられてしまう発言でもある。そして関係は悪化し、全員が疲弊していく。

映画は使用した音声ファイルの名前を敢えてスクリーンに投影する。そして役者たちの疲弊の中でスマホの画面が割り込む。そこに映っているのは実際の現場の映像。だが、地が繋がったように映画の中で統合される。これは現実なんだと観客に殴りつけてくる。また、全編クローズアップメインの作品でありながら、的確にぼかしを切り替えて誰に着目すべきかを指定する。

カウテール・ベン・ハニア監督の技術力は非常に高い。他の監督なら単調な切り返しで単調な議論の映画になってしまうところを、巧みなカット捌きとギミックでもって映画に昇華している。だが、それってそもそも「子どもの死をスペクタクルにしない」理念に反していないか。この企画自体が矛盾に満ちており、観て良かったとは思うもアプローチに対する疑問は最後まで払拭できなかった。

P.S.この映画の日本語ポスターを見ると

「必ず救い出す。」
「魂が震える[89分]」

とキャッチコピーが書かれているのだが、ゴリゴリにスペクタクルとして宣伝していてそれはないよなと不快な気持ちになった。