『トイ・ストーリー5』問物語、古玩具対新遠隔操作玩具

トイ・ストーリー5(2026)
Toy Story5

監督:アンドリュー・スタントン、ケナ・ハリス
出演:ティム・アレン、トム・ハンクス、ジョーン・キューザック、ブレイク・クラーク、ウォーレス・ショーン、ジョン・ラッツェンバーガーetc

評価:55点


おはようございます、チェ・ブンブンです。

ディズニー&ピクサーの人気シリーズ『トイ・ストーリー5』が公開された。『トイ・ストーリー』シリーズといえば、ポップなイメージとは裏腹に子どもへトラウマを与える生々しい描写が多いことで知られている。特に、幼少期にショッピングセンターなどで親とはぐれてしまい、帰れなくなってしまうような恐怖、それをおもちゃ目線という巨大な空間で展開してみせるので、3作目のあの絶望的なシーン以外でも常に死や恐怖が付き纏う。だが、3作目の宙吊りのサスペンスがあまりにも露悪的強烈、集大成だったため、4作目は蛇足に思えてしまった。そして今回の作品は、予告編の時点で、よくある「ゲームばっかりやっていて、人間らしい遊びをしていない」といった親の抱える問題がタブレットになっただけといった感じで、最悪、主人公がおもちゃ遊びでバズってYouTuberになることでデジタルデバイスと和解するみたいなクソ展開になりそうな予感がした。結論からいえば、この惨劇は回避されたものの、この問物語、問いの前提が詰め切れておらず、手堅い堅実な作品でありつつも違和感が残る結果となった。

『トイ・ストーリー5』あらすじ

おもちゃと子どもの絆を描いてきたディズニー&ピクサーの人気作品「トイ・ストーリー」シリーズの第5作。現代的なテクノロジーというかつてない脅威を前に、ウッディとバズが再び手を取り立ち向かう姿を描く。

ボニーのもとで暮らすバズやジェシー、フォーキーたちは、これまでと変わらぬ日常を送っていた。しかし、最新型の電子タブレット「リリーパッド」がやってきたことで状況は一変。多機能なデバイスに夢中になるボニーの姿を前に、おもちゃたちは自分たちの存在意義に疑問を抱き始める。「おもちゃはもう必要とされていないのか」という不安が広がる中、仲間からのSOSを受けたウッディが再びボニーのもとへ戻り、バズと再会する。かつての名コンビは、おもちゃの居場所を守るため、新たな脅威に立ち向かう。

「ファインディング・ニモ」「ウォーリー」などで知られ、これまでの「トイ・ストーリー」シリーズでも原案や脚本を務めてきたアンドリュー・スタントンが監督・脚本を務め、シリーズを支えてきたクリエイターとして新たな物語を描き出す。共同監督に、ピクサーの短編「アルベルトの手紙」を手がけたケナ・ハリス。日本語吹き替え版ではウッディ役の唐沢寿明、バズ役の所ジョージをはじめ、日下由美、竜星涼らおなじみのキャストが参加している。

映画.comより引用

問物語、古玩具対新遠隔操作玩具

本作は、タブレットのせいで子どもたちが家に引き篭もり、おもちゃで遊ぶことが嘲笑の対象になっているといった設定でゲームと遊びの違いとは?と問う。故にタブレット「リリーパッド」の描写はドパガキ育成装置ないしソシャゲ廃人教育マシーンとして、つまらなさそうなドーパミンを刺激するだけのゲームに時間を溶かされ人間へと幼いボニーを育てていくのだ。しかし、今の子どもたちってマインクラフトなどで創作活動をしていることもあるので、説教したいことありきで物語を固めてしまっている問題がある。そのため、「ゲームと遊びの違いとは?」という問いで遊びとは想像力を育むクリエイティブなものといった論が破綻してしまっている。破綻した問いを深堀りしたところで、何も出てこない。映画はたしかにボニーはYouTuberにならなかった。しかし、結局のところソシャゲ廃人関係厨が誕生しそうな気配を漂わせて終わるといった映画が誘導しようとした未来にたどり着けない予感を抱いてしまうのだ。

一方で、映画としてのアプローチは堅実、模範的である。まず、セリフを廃して無人島に棄てられたバズたちが本土を目指すまでのサブストーリーを豊かなイメージの語りで表現し、ジェシー、ボニー、ウッディ3つのサイドを手繰り寄せ、離散させることで物語を推進させていく。そこには泣かせる展開もあり、シリーズ十八番である遠さを用いた絶望的な展開からの復帰を行う。工業生産映画として完璧な作りとなっている。そのため前作よりかは観やすかったものの、やはりシリーズ3作目の絶望的大団円には叶わないなといった印象を受けた。

ちなみに、本作を観て2つ思ったことがある。まず、子どもコミュニティの怖さだ。子どもコミュニティは共通の趣味がないと友だちが作りにくいどころか仲間外れにされる可能性が高い。私は英才教育家庭だったため、幼少期にアンパンマン、トーマス、戦隊モノ、ジャンプマンガといったものはできるだけ遠ざけられていた。この映画では「ごっこ遊び」こそ豊かな遊びであると語っていたが、日本の小学校の場合アニメのキャラごっこになりがちなので、それを履修していないと困ったことになる。実際に、私の小学生時代、NARUTOごっこ遊びが流行ったのだが、履修していない私は「お地蔵さん」というオリキャラを爆誕させてその場を乗り切ったことがある。

また、人形遊びが嘲笑の対象となっているのだが、31歳独身男性の私は頻繁にぬいぐるみと対話することで創作の糧にしているので安心したまえとボニーを応援したくなった。ホールデン・コールフィールドかな?