empty(2023)
監督:中嶋駿介
出演:瀬戸かほ、深月信之介、豊満亮、中野健治、入江崇史、森りさ、肥田日向、森山みつきetc
評価:65点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
先日、シネマハウス大塚で短編映画『empty』を観てきた。今回はその感想を書いていく。
『empty』あらすじ
子供を授かることを夢見ながら、無精子症と診断されたショックから自殺してしまったイチロウ。残された妻アズサはショックを受けながらも、生活のために職場のラブホテルで清掃員として働く日々を過ごしていた。しかしアズサは、職場で日々大量に捨てられる精子を見ているうちに徐々に大きな憤りを感じるようになり、据え置きのコンドームに密かに画鋲で穴を開け始める...。
空っぽになった私の心を癒す行為
証明写真のようにフレームへと収められるアズサ。彼女は夫が無精子症だと知らされる。夫は亡くなり、ラブホテルで働く彼女は子どもを授かれないことに虚無を抱き、おもむろに画鋲でコンドームに穴を開け始める。そして、カップルがそのコンドームのある客室を使うように誘導していく。全編、正方形の画郭/フィルム撮影で作られた本作は、悲しみに暮れる者の肖像として無駄なくフレーム内へと収められていく。悲しみが加害に変容していく心理を虚構を通じて汲み取っていく作品となっている。
本作で注目するポイントは車の使い方である。夢のシーンで、亡くなったイチロウは車の中におり、アズサは中へ入らない場面がある。車の中は、『ドライブ・マイ・カー』など、心理的吐露の空間として機能することがあり、他人の心理に入るメタファーとして機能している。子どもを授かれなかったかつ、イチロウは対話なくして自殺してしまったため、夢の場面では彼女は車の中へと入らない。ふたりが交わる場所は最終的に車の上となる。車を本来とは異なる使い方をする。画鋲を本来とは異なる使用用途で自分の精神を癒す運動と重ね合わせ、実際の行為と心象世界を繋げていく演出は興味深いものを感じた。
一方で、終盤を感傷的な音楽に頼ってしまった点、また冒頭以外にセリフを用意しているところは改善したらより良くなると感じた。前者は、観客の心情を音楽でもって強引に誘導しているように見える。後者は、全編台詞を削ぎ落としたような作品なので、冒頭で全部語らせるか、あるいは全部台詞を削るかに絞ることでエッジが利いた作品になるのではないかと感じた。
※Motion Galleryより画像引用