ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3(2023)
Guardians of the Galaxy Vol. 3
監督:ジェームズ・ガン
出演:クリス・プラット、ゾーイ・サルダナ、カレン・ギラン、ブラッドリー・クーパー、ヴィン・ディーゼルetc
評価:40点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
2023年のゴールデンウィークはここ数年とは少し趣が違った。コロナ禍以降、映画館にお客さんが戻ったと思えたのだ。朝7時、オープン前のTOHOシネマズ海老名に行くと、既に数百人が列をなしていたのだ。『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』 、『TOKYO MER~走る緊急救命室~』、『暴太郎戦隊ドンブラザーズVSゼンカイジャー』、そして『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』どれもが残席数▲になるほどに大盛況、コンセッションも物販も長蛇の列で溢れかえっていた。久しぶりに観た光景で少し嬉しくなった。さて、今回はGOTGシリーズ最終章『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』を観た。個人的にMCUだとGOTGが一番好きだ。最近のMCUはついていけなくなったこともあり、足を洗っていたのだが、本作は初日に観に行った。その結果、複雑な気持ちになる作品であった。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』あらすじ
クセが強くてワケありな銀河の落ちこぼれたちが結成したチーム「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の活躍を描く、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の人気シリーズ第3弾。
アベンジャーズの一員としてサノスを倒し、世界を救ったものの、最愛の恋人ガモーラを失ったショックから立ち直れないスター・ロードことピーター・クイルと、ガーディアンズの仲間たち。そんな彼らの前に、銀河を完璧な世界に作り変えようとする恐るべき敵が現れ、ロケットが命を失う危機にさらされる。固い絆で結ばれた大切な仲間の命を救おうとするガーディアンズだったが、ロケットの命を救う鍵は、ロケット自身の知られざる過去にあった。
監督・脚本はシリーズを一貫して手がけてきたジェームズ・ガン。クリス・プラット、ブラッドリー・クーパー、ビン・ディーゼル、ゾーイ・サルダナ、カレン・ギラン、デイブ・バウティスタ、ポム・クレメンティエフとおなじみのキャストも変わらず集結。
内なる嫌悪と多様性
最近、ハリウッドブロックバスター映画を観ていると、映画というよりかはRTAを観ているような気がする。上映時間が2時間半以上と長い作品が多いのだが、物語っているのではなく、タスクをこなしているだけのように感じるのだ。シリーズが長くなると、一つの映画の中で処理する関係性が増えてくる。内容自体は単純なのに、無駄に複雑化している上に、その複雑さを掘り下げるに至っていないと感じるのだ。それはRTAに近い映像作品と言える。RTAはクリアするのに数十時間、数百時間かかるものを数時間で攻略するもの。物語そっちのけでタスク処理をする、その鮮やかさを楽しむものである。RTAは好きだが私は「映画」を観に来たのである。2時間30分のRTA動画を観ようとしているのではない。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』の序盤は、まさしくRTAのような挙動をしていた。急に戦闘が始まり、ロケットが瀕死。彼を救うために、冒険に出るといったもの。シンプルな内容なのだが、登場人物が点の運動として画に入ったり出たりする。いつの間にかフラグが回収されていく。アクションは、空間全体で魅せきれておらず、カメラが追いつかない速度の中、バッタバッタと倒れていく。そして、タスクとして雑にスベっているギャグが挿入される。RTA動画であれば微笑ましく楽しめるし、カメラの追いつかないアクションは、プレイヤーの技量の高さを感じ取れるので気にならない。しかし、映画は画を物語を魅せてこそだと思っているので、退屈に思えてしまう。
また、ロケットの回想描写が走馬灯として10分に一度ペースで挿入される。これが終盤の彼のアクションに共感と興奮を与えるために無理やり挿入したような印象を受ける。原因は、ロケットの肉体と精神が乖離してしまったように描かれているからだろう。ロケットが死の淵で痛み、声を発する中で走馬灯を挿入すれば繋がるのだが、それがないため、事務処理的に挿入されたように見えるのだ。
しかし、本作にも良かった点がある。それは多様性に関する描写だ。GOTGシリーズでは、他のMCU作品と比べても多種多様な生物が登場する。個性が強すぎるので、対立も起きるが、時に和解したりしながら宇宙の守護者としての責務を果たす。そして種族よりも他者としてどう接するかを意識した作劇になっていると思う。本作では、GOTGにおける多様性描写を深掘りしている。グロテスクな見た目だったり、対話不能に見える存在に対して、嫌悪の表情を見せるも、それを受け入れて救う場面が多いのである。どんなに、多種多様な存在と関係を結びながら生活をしていても嫌悪が現れる場面はある。それは当然だとして、その上でどのように振る舞うのかを本作は描いているのだ。現実だと、表情に出した時点で差別だと言われるであろう。GOTGはフィクションを通じてそうした人間のメカニズムを捉え、あるべき行動指針を示す。ディズニーが映画を通じて社会を良くしていこうとする運動の中で、本作は上手く行動指針を演出できていたと言えよう。
MCU関連記事
・『アントマン&ワスプ クアントマニア』サイズが変化するだけ、ただそれだけ
・【ネタバレ】「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」は実写版グラディウスだった!
・『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』壮大な後始末
・【ネタバレ考察】『アベンジャーズ/エンドゲーム』平成の終焉、令和の誕生に相応しい5億点、いや∞(無限)点映画だ
※映画.comより画像引用