【 #死ぬまでに観たい映画1001本 】『孔雀夫人』本当は怖いウィリアム・ワイラーの話

孔雀夫人(1936)
DODSWORTH

監督:ウィリアム・ワイラー
出演:ウォルター・ヒューストン、ルース・チャタートン、ポール・ルーカス、メアリー・アスター、デヴィッド・ニーヴン、グレゴリー・ゲイ、マリア・オースペンスカヤ、スプリング・バイイントン、グラント・ミッチェルetc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

「死ぬまでに観たい映画1001本」掲載のウィリアム・ワイラー監督作『孔雀夫人』。持っていたはずだったのだが、行方不明となっていたので国立映画アーカイブの特集で観ることにした。本作は淀川長治が蓮實重彦にマウントを取った作品というイメージしかなかったのだが、実際に観てみると、この雑な認識を改めたくなるぐらいに恐ろしい傑作であった。また、ウィリアム・ワイラーといえば『ローマの休日』のイメージが強いのだが、「死ぬまでに観たい映画1001本」掲載の『我等の生涯の最良の年』、『女相続人』、そして『孔雀夫人』を並べるとウィリアム・ワイラー監督がいかに恐ろしい監督かがよく分かる。それでは語っていこう。

『孔雀夫人』あらすじ

サム・ダヅワースは二十年来自動車製造に従事して巨万の富を得、一人娘エミリイの結婚も済ましたので、妻フランの切なる願いを入れて欧州旅行を思い立った。フランは単純で正直だが年より若く見えるのが自慢で、伝統のない米国を軽蔑し、古い欧州文化に憧れていた。巨船クイーン・メリイ号はフランの夢を乗せて洋上を滑って行った。フランは船中で青年ロッカァトとホールで踊り、暗い甲板で語り合うようになった。

映画.comより引用

本当は怖いウィリアム・ワイラーの話

ウィリアム・ワイラー監督は、人生の絶頂からどん底へ突き落とす演出に長けているかもしれない。『我等の生涯の最良の年』では、戦争が終わり平和が訪れ故郷へ帰る者たちのこれ以上にない解放的で感動的な場面から始まるが、3つの視点を通して社会に溶け込めず落ちぶれていく男の姿が描かれる。『女相続人』ではオリヴィア・デ・ハヴィランド演じる女の前に現れた王子様。甘い恋愛劇かと思いきや、彼女を闇堕ちさせる地獄を叩きつける。さて、『孔雀夫人』はどうだろうか?遠近法により、インパクトある「ダズワース自動車」の看板を前に社長と思しき男が立ち何か考えている。次の場面では、会社の前に大勢の従業員が立ち並び、モーゼのように群れを二分しながら彼は歩く。そして、工場を背に車で移動する。引退の哀愁が立ち込める感動的な場面から始まるのである。

20年間、身体を会社に捧げて来たサム・ダズワース(ウォルター・ヒューストン)。余生は遊ぶことを学ぼうと意気込む。そんな彼に妻フラン(ルース・チャタートン)が歩み寄り愚痴を語る。20年間「奥様」として退屈な生活を強いられてきた。これからは貴方と一緒に自由になりたいと語るのだ。しかし、その言葉の真意をあまりサムは理解していないようだ。やがて、クルーズ旅行に出る夫婦。妻は20年間の抑圧から解放されるように着飾り、社交の場を楽しもうとするのだが、明らかにお登りさんで側から見ていて痛々しい。だが、サムは「イタイな」と思いつつも、それとなく振る舞っていた。

しかし、やがてその感覚のズレが軋轢を生み、自分に寄り添ってくれないサムに苛立ちを抱き、不倫に走る。フランに寄り添う男や関係者は、「ダズワース」の看板や子どもを授かれるかといった要素でしか彼女を見ていない。サムから自由になろうとも、「ダズワースの妻」という看板を中々降ろすことができない。たとえ、降ろしたところで自分にアイデンティティがない状況に苦しむこととなっていくのだ。

わがままなフランが場を掻き乱すスクリューボールコメディであるが、じっくり見つめると「奥なる存在」として押し込められた女性の痛みをあぶり出した物語と言える。一応、本作はハッピーエンドの形を取っている。1930年代当時だから仕方ないところがある。しかし、この映画のハッピーエンドを今観るとあまりにグロテスクなバッドエンドであることは明白である。ウィリアム・ワイラーは後に監禁ものである『コレクター』を撮っているが、「家族」という檻に閉じ込められる女性を生々しく描いた本作を観ると、『コレクター』を撮ったのは必然だったと言えよう。

奥なる存在として抑圧された女性の痛みを「飲み込む」アクションで描いた『Swallow スワロウ』が制作されたり、『あのこと』のオードレイ・ディヴァンが『エマニエル夫人』をリメイクしたりと、奥なる存在として抑圧された女性像が映画の中で描かれ話題となる今、『孔雀夫人』を再考、再評価することは意味のある活動だと言える。

P.S.イタリア観光をやりこんだサムが旅行会社で勧められる場所「パエストゥム」は世界遺産です。ナポリ南東に位置し、7世紀にギリシャの植民都市として発展しました。元々はポセイドンにちなんでポセイドニアと呼ばれていた場所のようです。ギリシャ的太い柱が特徴的な神殿が観られる観光地である。

※IMDbより画像引用

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