『ウエスト・サイド・ストーリー』スピルバーグ:バークレーショット程度でいい気になっているんじゃない!

ウエスト・サイド・ストーリー(2021)
West Side Story

監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:アンセル・エルゴート、レイチェル・ゼグラー、アリアナ・デボーズ、デビィット・アルヴァレス、ジョシュ・アンドレ・リベラ、コリー・ストール、リタ・モレノ、マイク・フェストetc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

普及の名作『ウエスト・サイド物語』まさかのリメイク。監督はスティーヴン・スピルバーグ。流石のスピルバーグでもあの名作をリメイクするのは危険すぎではないか?主演のアンセル・エルゴートは性的暴行疑惑を持たれ、これは失敗作になると思いきや第94回アカデミー賞7部門ノミネート(作品賞、監督賞、助演女優賞、音響賞、美術賞、撮影賞、衣装デザイン賞)を果たし、海外の2021年の映画ベストにもチラホラ選出されている。私はジェローム・ロビンズ&ロバート・ワイズ版が苦手でありこのリメイクもNot for Meだと思っていた。しかし、ヤヌス・カミンスキーとスティーヴン・スピルバーグが織りなす驚異の空間制圧力に圧倒された。そこらへんのハリウッドミュージカルを蹂躙するパワフルさを持つ一方で、問題も抱えている作品であった。

『ウエスト・サイド・ストーリー』あらすじ

スティーブン・スピルバーグ監督が、1961年にも映画化された名作ブロードウェイミュージカル「ウエスト・サイド物語」を再び映画化。1950年代のニューヨーク。マンハッタンのウエスト・サイドには、夢や成功を求めて世界中から多くの移民が集まっていた。社会の分断の中で差別や貧困に直面した若者たちは同胞の仲間と集団をつくり、各グループは対立しあう。特にポーランド系移民の「ジェッツ」とプエルトリコ系移民の「シャークス」は激しく敵対していた。そんな中、ジェッツの元リーダーであるトニーは、シャークスのリーダーの妹マリアと運命的な恋に落ちる。ふたりの禁断の愛は、多くの人々の運命を変えていく。「ベイビー・ドライバー」のアンセル・エルゴートがトニー、オーディションで約3万人の中から選ばれた新星レイチェル・ゼグラーがマリアを演じ、61年版でアニタ役を演じたリタ・モレノも出演。「リンカーン」のトニー・クシュナーが脚本、現代アメリカのダンス界を牽引するジャスティン・ペックが振付を担当。2022年・第94回アカデミー賞では作品、監督賞ほか計7部門にノミネートされた。

映画.comより引用

スピルバーグ:バークレーショット程度でいい気になっているんじゃない!

瓦礫の山を捉えていき、段々と空中にカメラが上がっていく。崩壊する建物、鉄球を舐めるように撮っていき、やがてカメラは地面に迫る。そこからチンピラが現れる。指パッチンすると、右から下から横から、チンピラが集まり、自分たちの存在を知らしめるように道路の中央を闊歩し、離散する。自分の行き場所を知らない下っ端に、先輩役がポンと肩を叩き、道を示す。泥棒、強奪当たり前、そんな彼らに街の人は不満を抱き、群れで対抗するが、群れには群れをと彼らは集まり広場を目指す。ここで敵対するグループが現れ、ジェッツvsシャークスの乱戦が始まる。狭い路地を逃げると、通路から追手がやってきて挟み撃ちになる。フェンスをよじ登るも、フェンスの両サイドを塞がれて袋叩きになる。やがて警察が現れ、ホコリ舞い散りうだるような暑さの中、シャークスがスペイン語で歌い自分たちを鼓舞しながら去っていく。

この一連のアクションを確実にカメラに収めるヤヌス・カミンスキーを観て、これは第94回アカデミー賞撮影賞は彼に決まりだろうと確信に変わった。本作は『ウエスト・サイド物語』がこれほどまでに立体的に人と空間を仕留めていたのだろうかと思うほどに、フレームの外側まで広がる熱苦しい抗争の中の決定的瞬間をカメラに収めようとしている。そして、身体表象の複雑な交わりを通じて人種のサラダボウル=アメリカを表現している。

多くのハリウッドミュージカルがバスビー・バークレーの万華鏡ショットを使うことでミュージカルを演出した気になっている。それに対して、違う!とキレ散らかしたような狂気の撮影が2時間半観る者を飽きさせない。

マリアとトニーの出会いの場面に注目する。

ダンスパーティー。ジェッツとシャークスが一堂に会し、一触即発の状況となっている。互いに踊りを強調している状況を、足下近い位置から捉え、遠くではいざこざが起きている。それを逃さず迫り、群がもみくちゃになる中で、それを横切るようにトニー(アンセル・エルゴート)が歩む。彼の目線の先にはマリア(レイチェル・ゼグラー)がいる。マリアは仲間とはぐれ、目線の行き場を探している。するとトニーと目が合う。このままでは群れの海によって二人は邂逅できない。そこで、会場裏手に回る。そこでマリアは気づく。トニーがとてつもなく大きな人だということに。見上げるのだ。これがパーティーの後、彼がマリアの家を訪ねる場面では、彼女が眼下に映るトニーを見下げる。視線が平行にならないのだ。

群れや、階段の隙間という壁を通じてしか水平に目線を合わせることのできない様子を通じて、叶わぬ恋の葛藤が醸造されていくのだ。

また、本作では中盤以降の銃の扱いが素晴らしい。

ジェッツが大人から銃を買う場面。イキリながら銃を買わせろと迫るジェッツ。大人たちは「ほら奪ってみろよ」と言う。買われた喧嘩は買うしかない。手を銃に伸ばすと、あっさり脳天に銃口を突きつけられる。ジェッツの荒々しさとは違い、最小手数で、撃鉄も上がり確実に殺せる状態に持っていく大人の怖さ。これが伏線となっている。銃を手に入れたジェッツは銃反対派のトニーと小競り合いとなり、危険な木の床空間で奪い合いとなる。ほこりを撒き散らしながら、床の穴に銃を落とそうとする、何もないような空間を自由に動き回り、逃げ道を作っていく姿は圧巻である。街が遊び場であることを物語っている。

このような軽い銃の扱いを挟むことにより、終盤にチノ(ジョシュ・アンドレ・リベラ)がドライに銃をぶっ放すところに冷徹さが宿る。不良でありながら所詮子どもであった者が大人の怖さを手に入れる瞬間。それもシャークのへなちょこであるチノがこのような豹変を遂げるところに背筋が凍るのだ。

さて、冒頭に本作は問題作と語ったのだが、それは何故本作を今作る必要があったのかにある。『ウエスト・サイド物語』の記憶が朧げながら、ここまで陰惨だったのかと感じた。本作は結局人種差別はなくならない。だから死があるのみと結論づけて終わってしまっているのだ。確かに本作のルーツのルーツである『ロミオとジュリエット』も悲惨を極めた話であり、それに則っているのだろうけれど、社会が分断されている時代にここまで思い切るのにスピルバーグの怖さがあった。

ジャン=リュック・ゴダールも、クリント・イーストウッドも、ウディ・アレンも映画に狂い開き直ったような傑作を作り、スピルバーグも例に漏れず開き直りの傑作を放った。しかし、これで良かったのか?あまりに厭世的であり映画の神様のような存在であるスピルバーグからこんなメッセージを出されると困ってしまうものがある。まあ、スピルバーグは『宇宙戦争』の時も思ったが優しい顔に反して無慈悲だから平常運転ではあるのだがね。

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※映画.comより画像引用