『最後の決闘裁判』(あなたにとっての)真実は一つ

最後の決闘裁判(2021)
THE LAST DUEL

監督:リドリー・スコット
出演:ジョディ・カマー、マット・デイモン、アダム・ドライバー、ベン・アフレック、マートン・ソーカス、ハリエット・ウォルタージェリコ・イヴァネク、アレックス・ロウザー、ナサニエル・パーカーetc

評価:65点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

リドリー・スコット最新作『最後の決闘裁判』が公開された。エリック・ジェイガーの原作を『ある女流作家の罪と罰』脚本家ニコール・ホロフセナーと俳優のマット・デイモン、ベン・アフレックが脚色、『羅生門』スタイルで性的暴行をめぐる凄惨な裁判を描いた話題作である。ブリュノ・デュモンが『ジャネット』と『ジャンヌ』でジャンヌ・ダルクの伝説を民話に微分し、大阪なおみやグレタ・トゥーンベリのような若き女性と社会の抑圧の関係を暗示させたことと同様、本作も歴史劇から現代の問題点を告発する作品であった。

『最後の決闘裁判』あらすじ

巨匠リドリー・スコット監督が、アカデミー脚本賞受賞作「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」以来のタッグとなるマット・デイモンとベン・アフレックによる脚本を映画化した歴史ミステリー。1386年、百年戦争さなかの中世フランスを舞台に、実際に執り行われたフランス史上最後の「決闘裁判」を基にした物語を描く。騎士カルージュの妻マルグリットが、夫の旧友ル・グリに乱暴されたと訴えるが、目撃者もおらず、ル・グリは無実を主張。真実の行方は、カルージュとル・グリによる生死を懸けた「決闘裁判」に委ねられる。勝者は正義と栄光を手に入れ、敗者は罪人として死罪になる。そして、もし夫が負ければ、マルグリットも偽証の罪で火あぶりの刑を受けることになる。人々はカルージュとル・グリ、どちらが裁かれるべきかをめぐり真っ二つに分かれる。「キリング・イヴ Killing Eve」でエミー主演女優賞を受賞したジョディ・カマーが、女性が声を上げることのできなかった時代に立ち上がり、裁判で闘うことを決意する女性マルグリットに扮したほか、カルージュをマット・デイモン、ル・グリをアダム・ドライバー、カルージュとル・グリの運命を揺さぶる主君ピエール伯をベン・アフレックがそれぞれ演じた。

映画.comより画像引用

(あなたにとっての)真実は一つ

某江戸川コナンが「真実はいつも一つ」と豪語しているが、それは事実に対して解釈が加わったものであり、結局のところコナンにとっての真実が一つに過ぎない。人間は自身の目に映るもの体験したものを軸に真実を形成していく。それ故に、他者との認知の食い違いが起きることがある。

『最後の決闘裁判』はマルグリット(ジョディ・カマー)がル・グリ(アダム・ドライバー)から強姦を受け、裁判の末に決闘で決着をつけることになってしまう過程を3つの視点から描く。一見すると、同じショットを反復しているように見えるが、よく観ると各登場人物の真実によって微妙に異なるイメージが観る者に提示される。例えば、ル・グリがマルグリットを強姦する場面。彼目線のパートでは、「助けて」と悲鳴をあげるマルグリットに対して手を右耳にあて、「その声は誰にも届かないよ」と煽ってから襲っている。しかしながら、彼女のパートにおいて、彼の手は軽く扉を示しているだけとなっている。この演出自体、正直逆なのではと疑問に思うのだが、人と人の認知は小さな差を生み出すものだという本質を捉えていると言える。

そして映画に関しては、カルージュもル・グリも世間の顔の裏に暴力を宿している点、今に通じるものがある。前者は、支配欲が強く、半ば強引にマルグリットと結婚することになるのだが、「俺は嫉妬深い男だから男と付き合うな」と言い、彼女を子どもを作る道具や見栄を張るための置物としか捉えていない。故に、夜の営みの場面では極めて暴力的であり、男の子が生まれること以外に興味がない。今で言うとモラルハラスメントに近いことが行われている。

一方で、ル・グリは、カルージュに嫌がらせする上司をなだめ、政治的に上手くやれる有能な人物であるが、上司のセクシャルハラスメント発言をトリガーに内なる性欲を炸裂させる。力もあるので、逃げ惑う女性をニヤニヤしながら追いかける場面はトラウマレベルで凶悪だったりする。確かに、人によっては辛い思い出がフラッシュバックするので、観ない方が良いかもしれない。そんな彼が、カルージュの無能さに段々と呆れ、彼の妻を救いたいという想い、人妻に恋をしてしまう背徳感を抑えることができずに襲ってしまう。

そのような暴力的な二人の板挟みになった犠牲者マルグリットは、意を決して夫に強姦の件を告発するのだが、世間の目は冷たい。今においても、女性が声をあげると「あなたが悪い」といった形で責められることがあるがそれは昔から変わっていなかった。結局法も人も、誰も守ってくれず拗れてしまうから決闘になってしまう。今こそ物理的決闘はほとんどないが、SNSを使った決闘は頻繁に起こっている。

正直、3つの目線での真実差異を描いた作品にもかかわらず、互いのエピソードの絡みが弱かったり、想定内のショッキングな映像で繋いでいるだけに見えてしまったので、今の問題を浮き上がらせているだけのような気がした。ましてや今年は『プロミシング・ヤング・ウーマン』や『Beginning』といった深い社会批評ある作品があるだけに、なんとなく掘り下げが弱かった気がする。だが、リドリー・スコットが豪華キャストでこの問題に向き合ったことは映画界にとって重要なことではないでしょうか?

※映画.comより画像引用