【ネタバレ考察】『猿楽町で会いましょう』虚無に埋める俺の頭を殴れ

猿楽町で会いましょう(2019)

監督:児山隆
出演:金子大地、石川瑠華、栁俊太郎、小西桜子、長友郁真、大窪人衛、呉城久美、岩瀬亮、前野健太etc

評価:80点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

フォロワーさんのリクエストで『猿楽町で会いましょう』をいただいたので、あつぎのえいがかんkikiで観てきました。本作は、予告編のコンペでグランプリに輝いた作品を映画化する未完成映画予告編大賞MI-CANでグランプリを受賞した作品の映画版。予告編を観る限り、20代フリーランスあるあるの、上京して搾取される話っぽくて、インディーズ映画にありがちな内容だったので惹かれなかったのですが、実際に観てみると陳腐な話もやり方によってはここまで面白くできるんだなと感心しました。今回は、ネタバレありで考察していこうと思います。

『猿楽町で会いましょう』あらすじ

第2回未完成映画予告編大賞MI-CANでグランプリを受賞した児山隆が、同受賞作を長編監督デビュー作として映画化。鳴かず飛ばずの写真家・小山田と読者モデルのユカ。2人は次第に距離を縮めていくが、ユカは小山田に体を許そうとはしなかった。そんな中、小山田が撮影した彼女の写真が2人の運命を大きく変えることになる。「劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD」の金子大地が小山田役、「イソップの思うつぼ」「左様なら」の石川瑠華がユカ役を演じるほか、栁俊太郎、小西桜子、前野健太らが脇を固める。

映画.comより引用

虚無に埋める俺の頭を殴れ

金髪に染めてイキっているようだけれども、取引先に頭をヘコヘコさせる。写真家で、そこそこ下積みしているが、自分の色を持っておらず、無個性なアルバムを提出して担当者に虐められる。そんな今時の若者・小山田(金子大地)の視点からこの映画は始まる。

彼は一時帰宅を勝手にし、中々会えない担当者をなんとか捕まえ、虐められつつもモデル撮影の案件を勝ち取る。彼の前に現れた、妖艶な女・田中ユカ(石川瑠華)と渋谷で待ち合わせ、撮影をする。今まで、写真は好きだが人にあまり興味を持てなかった彼は何故だか彼女に惹き込まれる。虚無に埋めた自分の頭が殴られたような感触に見舞われる。彼女がこれまた匂わせの人である。焼肉を食べているときにスマホに連絡が来るが、誰からのものかは分からない。そしてどこか家に行きたそうな素振りを魅せる。

女慣れしていない小山田は、彼女を家に招き入れるが、本能が彼を夜な夜な彼女の肉体に触れさせる。そして怒った彼女は、翌朝帰ってしまう。通常なら、これで関係は終わりのはずだが、なんだかんだいってポートレート撮影の仕事で一緒になり再び心を通わすようになるのだ。

だが、ある日彼女が別の男と一緒に暮らしていることが判明する。そして、映画は彼女目線に切り替わる。

前半までは、優男に見えてハラスメントをチラつかせる男と主導権を握られそうでガッツリ手綱を握っている女の掛け合いが特徴的となっている。とはいっても、この手のクズ男とファムファタールの話はインディーズ日本映画において頻繁に作られており陳腐だ。また、カメラマンが主役であるが、カメラマンの特性が作劇にあまり活かされておらず、田中ユカの撮影をカメラ撮影っぽい質感にしているだけとなっている。

だが、それがチャプター2から驚くべき豹変をしていくのだ。彼女のパートで怒涛の伏線回収が行われる。現実世界も意外な人間関係で繋がっているように、例えば小山田の担当者が一時帰宅して行っていたのは、マッサージ屋であり、そこで田中ユカが枕営業していたことが明らかになっていたり、明らかに映画好きではなさそうなユカが『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を知っている理由が元カレによる影響だということがわかってくる。この程度の複線回収であれば大したことないのですが、主人公がカメラマンという設定が活きてくる。

つまり、「写真に映る者は切り取られた一部分に過ぎない。」ということだ。

小山田は、カメラ越しに映る田中ユカから同棲していくうちに内面のユカが見えてくる。しかし、それすらも断片に過ぎず、見えないものを見ようとして葛藤を抱くようになっていくのだ。彼女の内面に迫ろうとしている小山田と対比するように、その他大勢のキャラクターがカメラ越し、写真を通じて表面的な彼女を捉えようと、時には捉えることすらしない場面が挿入されているところが上手い。特に、終盤、友人だと思っていた久子(小西桜子)にコーヒーをぶっかけられた状態でスタンドインするユカの異常さにカメラを覗き込んでもなかなか気づかないカメラマンはこの映画のカメラを通じた哲学を象徴しているシーンだと言える。

さて、小山田に目線を移すと恐ろしい円環構造となっていることに気づくでしょう。ナヨナヨしながらも、ユカに同意なき性行為を行おうとしたり、写真を人質にして脅したりとナチュラルにパワハラセクハラを働く彼が、段々と元カレに近づいていっているのだ。ユカを手に入れると、所有物扱いとなり雑に接する。仕事が成功すればするほど、心は彼女から遠ざかっていき、正論で抑圧していく。編集部の男性的なノリに支配されていくのです。

それと対照的に、本作の女性たちに目を向けていくと、久子が純潔に見えて風俗に演劇クラスの人を招き報酬を得ていたり、古着屋の人生にやりがいを見いだせない女がユカを敵視し、毒づきつつも彼女が出世すると引きつった笑みを浮かべながら気持ち悪い間合いの詰め方をしてくる。つまり虚構を演じることでなんとか生きていることが分かる。

だからこそ、ユカが嘘がバレてもなお「やっていない」と叫ぶことに説得力がある。つまり、心理的安全がない者は虚構を演じ続けなければならず、その虚構の世界すら否定されると心が壊れてしまうのです。これは『本気のしるし』における葉山浮世にも通じるところがあります。そして、『猿楽町で会いましょう』の場合、単なる女性だけの問題にせず、変わった声の男が風俗でユカに本性を表す場面を通じて普遍的な社会的弱者のつける仮面について本質を捉えていると言えよう。

正直、内容がありがち過ぎる問題があり、また結局、ヤリチンに捨てられる女の話になってしまっているので物語としては陳腐なのですが、作劇の技術が非常に高いので、児山隆監督、共同脚本の渋谷悠には今後期待です。

※映画.comより画像引用

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