『レニ』逃げ場がない人間の行動心理

レニ(1993)
DIE MACHT DER BILDER: LENI RIEFENSTAHL

監督:レイ・ミュラー
出演:レニ・リーフェンシュタール

評価:70点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

東京五輪ですね。よくあるギャングスタ映画の栄枯盛衰を観るかのごとく、日に日にフィクションを超えた崩壊っぷりを魅せている。開会式で楽曲制作を担当したミュージシャンの小山田圭吾が過去に雑誌のインタビューでイジメについて告白していたことが明らかとなり、大炎上し開会式数日前に辞任を表明する事態となっている。さて、アーティストが過去の罪を払拭できるのか?といった問題を考えた時に、レニ・リーフェンシュタールのことが頭に浮かぶ。彼女はナチスドイツに見出され、ヒトラーの右腕監督としてプロパガンダ映画を制作した。実質無限ともいえる潤沢な予算を使って、全国党大会を収めた『意志の勝利』や1936年ベルリンオリンピックを撮った『オリンピア』を製作した。後者は、様々な技巧を凝らし映画史に残る傑作となった。しかし、ナチスドイツのプロパガンダに協力したということで長年、社会に罪を追及され映画が撮れなくなってしまった。さて、晩年の彼女にインタビューした映画『レニ』がある。第69回キネマ旬報ベスト・テンにも選出された作品であるが、数年前までは渋谷TSUTAYAにVHSがあるくらいで観る手段がなかった。

それがキング・レコードからBlu-rayが発売され、Amazon Prime Videoでも配信されるようになった。という訳で東京五輪開幕前に観賞しました。

『レニ』概要

「オリンピア」「意志の勝利」などを手がけた監督であり、女優、ダンサー、写真家などさまざまな分野で活動し、激動の人生を歩んだレニ・リーフェンシュタールの足跡をたどったドキュメンタリー。1936年ベルリンオリンピックの記録映画で、ベネチア国際映画祭で最高賞に輝いた「オリンピア」や、1935年のナチス党大会を記録し、ナチスのプロパガンダ映画としてドイツではいまなおタブーとなっている「意志の勝利」などを手がけたレニ・リーフェンシュタール。戦後、ナチス協力者というレッテルを貼られ、長らく黙殺されたレニだったが、70歳を過ぎてから発表した写真集「ヌバ」が世界でセンセーショナルを巻き起こして劇的な復活を遂げ、71歳で取得した潜水資格免許をもって水中写真集も発表するなど精力的に創作活動を続けた。1993年製作の本作では、レニ本人へのインタビューや未公開映像などを交え、波乱に満ちた彼女の人生を余すことなく描ききる。日本では95年に劇場公開。2019年、リバイバル公開。

映画.comより引用

逃げ場がない人間の行動心理

レニ・リーフェンシュタール。クリエイターとしてこれ以上にない恵まれた環境を手にし、一気に転落した人物。ナチス・ドイツに協力した人物として叩かれやすい。また、題材が題材なだけに撮影者は自分なりの解釈をついつい入れたくなってしまう。しかしながら、本作では一貫してドライに事象と向き合っている。自らの調査とレニの証言を照らし合わせ、安易に決断を下さない。真実と曖昧さの中々、レニ個人の問題から人間心理の問題へと掘り下げていく。この距離感の維持はドキュメンタリー映画の模範となることでしょう。レニは情熱的な人物だ。彼女の語る波乱万丈な人生についつい同情したり、肩を持ちたくなることもあるだろう。人によっては、彼女の饒舌さに不快感を抱くかもしれない。だが、撮影者だけはレニに取り込まれることなく、また様々な論に引っ張られたり、誘導しようとすることはない。彼女から真実を語らせ、そのモザイクから人間を捉えようとしている。丁度、『オリンピア』の高飛び込みで男性選手の名前をフィルムに焼き付けず、普遍的人間の行動を捉えようとしようとしたように。

彼女は、最初はヒトラーからの映画製作の申し入れを断っていた。だが、映画製作への、至高への渇望が彼女をナチス・ドイツサイドへ引き込んでいく。400kmものフィルムを提供され、撮影後2年間もの編集時間を与えられた。彼女が、『オリンピア』での撮影を語る時、今まで溜め込んでいた水がダムから決壊し流れ出るように情熱的に語る。

一方で、ナチスに最初から協力的だったのでは?と訊き始めると途端に怒り始める。「こんなところで話せない」と語るのだ。彼女は、映画業界から姿を消して半世紀ぐらい経ち、スーダンのヌバ族に迫った『アフリカへの想い』を撮り、亡くなる直前にはグリーンピースに入り海洋ドキュメンタリー『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』を撮った。こうした点が繋がっていくと、彼女は究極の美を求めて、過去から逃れるように白人のいないアフリカへ渡り、しまいには人間すらいない海へ逃避したといえる。彼女の、言葉を選んで逃げようとする姿は保身ではあるものの、自分が壊れないようにする自己防衛だったのかもしれない。

ではこれは他人事だろうか?誰しもが人生でミスをする。たまたまその場にいた、所属していたから「すまない」で済まされない事態に巻き込まれたらどうだろうか?「すまない」と謝罪しても許されない。かといって無視しても、社会がそれを許さない。今やSNSの発展でいくらでも過去を掘り起こすことができる。無論、戦争被害を無視することは被害者にとって暴力であろう。だが、SNSで問題に対して声を挙げる際に気をつけないといけないのは、時と場所が異なれば自分が同じ状況に陥る可能性がある。例え、無実な人生を送っていても、どこで誰を傷つけているかわからない。そう考えると、彼女のこの映画での態度を批判することはできないなと思ったりもする。誰しもがオイディプス王になり得るのです。

『オリンピア』が映像的に傑作であっても、政治的に問題な作品であるように0か1かで分けることのできない人間と社会の関わりを目撃しました。

今、観る必要がある映画といえよう。

※imdbより画像引用

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