クラッシュ 4K(1996)
CRASH 4K
監督:デヴィッド・クローネンバーグ
出演:ジェームズ・スペイダー、ホリー・ハンター、イライアス・コティーズ、デボラ・カーラ・アンガーetc
評価:80点
シネマート新宿のラインナップが凄いことになっている。 pic.twitter.com/Zqs9XjcWY6
— che bunbun@映画の伝道師 (@routemopsy) February 5, 2021
おはようございます、チェ・ブンブンです。
ここ数年、リバイバル上映に力が入っている。『恐怖の報酬』に始まり、『ザ・バニシング -消失-』の成功に味を占めたのか、シネマート新宿では緊急事態宣言下の打開策として、危なげな旧作上映に力をいれている。『ザ・モンスター』、『ヘンリー』、『アメリカン・サイコ』、『ヒッチャー』、『悪魔の植物人間』、『クラッシュ4K』が一つの映画館で観られる異様な状態を作り出しており、今話題を呼んでいる。さて、今回私の目当ては『クラッシュ 4K』であった。デヴィッド・クローネンバーグがカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞し、「101 CULT MOVIES YOU MUST SEE BEFORE YOU DIE」にも掲載されているカルト映画。高校3年生の時に、18歳になり解禁となったワクワクさから本作を観たのですが、訳が分からず退屈してしまった記憶があります。今回、J・G・バラードの原作と併せて触れてみたのですが、これが傑作であった。本記事はネタバレありで考察していきます。
『クラッシュ 4K』あらすじ
「ザ・フライ」「裸のランチ」などで知られるカナダの鬼才デビッド・クローネンバーグ監督がイギリスのSF作家J・G・バラードの小説を映画化し、第49回カンヌ国際映画祭で審査委員特別賞を受賞した作品。自動車事故をきっかけに倒錯的セックスにのめりこむようになった男女の姿を描き、過激な性描写などで賛否両論を巻き起こした。倦怠期にあったジェームズと妻キャサリンはハイウェイで衝突事故を起こす。やがてジェームズはその事故で夫を亡くしたヘレンと再会。事故の瞬間にエクスタシーを感じ、それを忘れられなかったジェームズはヘレンとセックスをし、さらに自動車事故で性的快感を得た者たちによる集会に参加することに。その指導者的存在の男ボーンはジェームズとキャサリンをさらなる官能の世界に導いていくが……。主人公ジェームズ役に「セックスと嘘とビデオテープ」のジェームズ・スペイダー、ヘレン役に「ピアノ・レッスン」のホリー・ハンター。96年製作、日本では97年に劇場公開。製作25年を迎える2021年、「4K無修正版」でリバイバル公開。
※映画.comより引用
不思議の国のアリスの構造に耽溺するアリス
本作はクローネンバーグ映画の中では切れ味は悪い問題はある。J・G・バラードの、肉体的生々しさと、機械の無機質な動きの融合に取り憑かれ、ドス黒く笑う文章に吸い込まれていく感じをクローネンバーグは再現しようとしているのだが、長回しのイメージが浮かぶ原作に対して映画はカットをすぐ割ってしまう。肉欲のシーンの溜めがなく、表現から逃げてしまっている。原作のムードから逃げずに、じっくりコトコト煮込んだ『コズモポリス』を踏まえると荒削りだと思う。それでも、本作はクローネンバーグ特有の人間の心理や少し先の未来に対する予言を映像翻訳する超絶技巧さは健在だ。
本作を解釈するとするならば「不思議の国のアリスの構造に耽溺するアリスの物語」だ。
「不思議の国のアリス」は社会に適用できない子どものモヤモヤをシュールに描いた小説である。アリスは、空間に対して小さ過ぎたり、大き過ぎたりと身体の大きさが定まらず、また次々と現れる登場人物の理論が理解できず困惑する物語だ。大人になると不条理に対して歩み寄ることで、社会のルールに同化しようとするが、その技術を知らない子どもの目線が「不思議の国のアリス」で描かれていた。『クラッシュ』はそんな「不思議の国のアリス」の構造を知ったアリスが、社会のルールに押し込められる息苦しさを破る快感に取り憑かれた者の話と言える。
高速道路が映し出される。車はA地点からB地点にまっすぐ向かおうとしている。社会のシステムから逸脱することを許さないように従順である。そこに、カリスマ的交通事故マニアであるヴォーン(イライアス・コティーズ)は、まるで男女が交わる時のピストン運動のように、右へ左へと肉体的動きを車に宿し、煽り運転しながら欲情する。交通事故で、肉体に金属を埋め込まれ、自由な動きをする肉体が制御されていく様子。車の屋根が閉まる動作に併せて乳房がボロンと開く機械の動きと連動する肉体。そして、交通事故を通じて、制御された機械が制御できないひしゃげ方と煙の噴出が生まれる様子に快感を覚える姿にそれが見えてくる。
まるで序盤で巨大化も縮小化も経験しており、身体のサイズが空間と一致しているにもかかわらず身体的変化を求めてウサギの家で小瓶を飲み家を破壊するまでに巨大化する様子に近いものがある。『クラッシュ』では、巨大化し家というシステムを破壊する瞬間、肉体がシステムに食い込み、ジリジリと崩壊する様子に癖を見出している。
ニッチな世界だから理解できないものなのか?
自分は違うと思う。
現代社会において人間は『メトロポリス』や『モダン・タイムス』の労働者のように、部品になりつつある。ビジネスは常に最適化を求められ、無駄な仕事を減らそうとする。無駄な動きをすることこそ生物的なのに、働かないアリを見殺しにし、最低限の動きで最高の利益を得ようとする。「語学はツール」だとよく言われるが、それは語学を生産性をあげるものとしか捉えられていない。人間はドンドン社会システムに縛られて機械の一部になりつつあるのだ。本作で登場する交通事故マニアは、そういった社会システムの縛りに身を起き、交通事故というトリガーを通じて縛りを破ることを認知することで、息苦しい社会を生きる己を癒しているのではないだろうか?
先日、日本では「くたばれ、正論。」というキャッチコピーを出したレッドブルが物議を醸した。正論で説明することがハラスメントになるかもしれないという理論がインターネットで流布されている中で登場したこの広告はタイムリーで鋭い。一方で、政治的ポジション取りで自分の論を押し通す日本の姿を知っている人からすると危険なキャッチコピーだということも分かる。何故、このようなキャッチコピーが生まれたのか?を考えると、『クラッシュ』で描かれた社会システムに押し込められた息苦しさに通じていると思うのだ。ジェームズ(ジェームズ・スペイダー)はヴォーンの死後、彼の生き様を継承し、煽り運転を始め、「もっと、もっと」と更なるエクスタシーを求めクラッシュした車の横で倒れている妻キャサリン(デボラ・カーラ・アンガー)と交わり映画は終わる。まさしく『不思議の国のアリス』の構図に耽溺するアリスであり、抑圧された社会システムを破る瞬間にエクスタシーを感じることを認知する瞬間を描いているのだ。
4Kに生まれ変わり、ハワード・ショアの官能的なサウンドと、鮮明になった妖艷なボディの色彩によって見えないものが見え、『裸のランチ』でノマドワーカー的生き様、『コズモポリス』で情報の渦に飲み込まれるうちに痛みが消失する世界を予言したクローネンバーグが原作からは感じなかった今の閉塞感の真理を描いていてまたしても驚愕した。
単なる、「うわっ、前から車が!!」おじさんの欲情映画ではなかったのである。
P.S.そういえば、大学時代に身体の硬い人が、専用器具によって強制的に180度開脚させられる痛みに癖を感じる者を描く『ストレッチ拷問』という映画を作ろうとしたことがあるのだが、無意識に『クラッシュ』やろうとしていたんだなと気づいた。
※『クラッシュ 4K』公式より画像引用
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