『THE ROAD』俺の頭の中では完璧な映画なんだ!byカザフスタンの映画監督

THE ROAD(2001)
Jol

監督:ダルジャン・オミルバエフ
出演:ジャムシェド・ウスマノフ、サウレ・トクチバーエヴァ、アイヌル・トルガムバエヴァetc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

皆さんは、ダルジャン・オミルバエフ監督をご存知だろうか?

レフ・トルストイの「アンナ・カレーニナ」を現代カザフスタンに置き換えて映画化した『Chouga』が2010年のカイエ・デュ・シネマ年間ベストにて9位に選出されたことからご存知の方も多いでしょう。しかし、カザフスタン映画だけあってか彼の作品の観賞難易度はSSRである。インターネットで調べるとカザフスタンのタルコフスキーというあだ名がついているらしくめちゃくちゃ面白そうなのでここ数年ずっと探していてついに見つけました。フランス版MUBIで発見しました。しかも東京国際映画祭で上映された『ある学生』 も配信されていました。ただ、字幕はフランス語字幕のみ。こういう時、フランス語やっていて良かったなと思う。さて今回紹介する『THE ROAD』はNHKが製作に関わっているにもかかわらず映画祭で上映されたきり日本公開されなかった幻の作品です。これがとてつもなく傑作でありました。

『THE ROAD』あらすじ

It all started with a love letter. A letter addressed by Anara Kobessov to her husband and filmmaker, Amir Kobessov…
One day, he receives a telegram that informs him of his mother’s illness. Amir leaves his wife and child behind in Almaty, and sets off to see his sick mother. On his long and monotonous way, he recalls… A young woman who edited his film. Cat’s cradle with her. His desire for her, and the memory of her skin. His wife’s eyes, silently blaming him.
The editor and Amir are watching his film from the editing table. A young naked girl appears on the monitor. The amateur girl who acted the role is dissatisfied, as she heard nothing about the scene beforehand. Whose bottom is it we see on the screen then? Her double’s. It is the job of ‘editing’ and the director has the authority over it. The inspector tells him that the scene is ‘unedited’ if left as it is. Yet, Amir refuses to cut the scene, not caring about the girl’s helpless feelings of dishonoring her family to the scandal in their village.
Amir conceives the next scene in his mind. A young man shoots a middle-aged man reading a newspaper. Amir repeats this murder scene over and over until he is satisfied.
On the road. There is a program on the radio about Mongolian conquests. Amir stops beside a river, eats a melon, and falls asleep dreaming of the fierce Mongolians.
Amir stops by at a deserted restaurant where he is served by a lovely waitress. They promise to have a date, but she never shows up. He remembers watching the live broadcast covering the moment humankind was about to set foot on moon. A young Amir calls his mother who is engaged with milking. But, she is too busy with her work. Amir stares at her tenderly, but she does not even stir an eyelid.
_Too late. His mother has gasped her last just upon Amir’s arrival. After the funeral, Amir visits his childhood home and village with his friend.
He spends a night alone there. At dawn the following day, Amir locks up the house. He reads a love letter from his wife on the front steps, smoking, and is deeply moved. Amir then drives towards Almaty.
訳:それは、一通のラブレターから始まりました。アナラ・コベソフが夫で映画監督のアミール・コベソフに宛てた手紙…。ある日、彼のもとに母の病状を知らせる電報が届く。アミールは妻子をアルマティに残し、病気の母に会いに行くことにする。単調で長い道のりの中で、彼が思い出すのは…。自分の映画を編集してくれた若い女性。彼女との “猫のゆりかご”。彼女への欲望、そして彼女の肌の記憶。無言で自分を責める妻の目。編集者とアミールは、編集台から彼の映画を見ている。モニターには若い裸の女の子が映し出されている。演じた素人の女の子は、事前に何も聞いていなかったので不満そうだ。じゃあ、スクリーンに映っているのは誰の尻なんだ?彼女の替え玉である。それは「編集」の仕事であり、監督が権限を持っている。検査官は、そのシーンをそのままにしておけば「未編集」だと言う。しかし、アミールは、家族の名誉を傷つけて村のスキャンダルになってしまった少女のどうしようもない気持ちを気にせず、そのシーンをカットすることを拒否する。アミールは頭の中で次のシーンを思い浮かべる。若者が新聞を読んでいる中年男性を撃つ。アミールはこの殺人シーンを納得がいくまで何度も繰り返す。旅の途中。ラジオでモンゴル人の征服についての番組が流れている。アミールは川のそばに立ち寄り、メロンを食べて、獰猛なモンゴル人の夢を見ながら眠りにつく。アミールが立ち寄ったさびれたレストランでは、かわいらしいウェイトレスが接客してくれる。2人はデートの約束をするが、彼女は現れない。アミールは、人類が月に降り立つ瞬間の生中継を見ていたことを思い出す。若いアミールは、乳搾りをしている母親に電話をかける。しかし、母は仕事で忙しすぎる。アミールは母を優しく見つめますが、母はまぶたを動かすこともありません。遅すぎます。アミールの到着と同時に母親は息を引き取りました。葬儀の後、アミールは友人と一緒に幼少期の家や村を訪れる。一人で一晩を過ごします。翌日の明け方、アミールは家の鍵をかける。玄関先でタバコを吸いながら妻からのラブレターを読み、感慨にふける。そして、アミールはアルマティに向けて車を走らせる。

※NHKより引用

俺の頭の中では完璧な映画なんだ!byカザフスタンの映画監督

まず、驚いたのはダルジャン・オミルバエフ監督は相当なシネフィル系監督であることだ。ロベール・ブレッソンのような厳格なカット繋ぎと手のクローズアップ。イングマール・ベルイマン『野いちご』のようなシンプルなロードムービーに脳内イメージを織り交ぜることで奥深い魅力を引き出す演出。そしてアンドレイ・タルコフスキー的水演出と、巨匠のテクニックを余すことなくストイックに磨き上げて画を作り込む。この力強さにノックアウトさせられる。映画は元来、画の連続体による芸術故にサイレントにしても物語が分かる作りにする必要がある。

本作の場合、あやとりを使った情事に鋭い画の連続体が垣間見える。映画監督Amir Kobessov(Jamshed Usmonov)は編集室であやとりをしながら女助手といちゃついている。赤い糸を美味しそうに絡め取るAmir。カメラは二人の太腿へと遷移し、肉体の接触による興奮をモンタージュ効果で強調させていく。すると扉が開く音がする。女助手はハッとした顔で扉の方を向く。Amirがニヤつきながら振り返る。そこには妻(Alnur Turgambayeva)が立っていた。彼女は弁当を置き、ムスッとした顔をしながら「召し上がれ」と言い放ち去っていく。女助手も去っていく。男は扉の前に立つが、扉を出て和解しようとしない。内なる世界から出ようとしないクズっぷりを画で表現してみせるのだ。

同様に、息子(Magjane Omirbayev)がテレビで通俗な空手映画を観ているのにイラついた彼がドストエフスキーの特番に切り替えると、息子はAmirの部屋に行きドストエフスキーの本に落書きするユーモラスな場面も最小手数のカット繋ぎで描いてみせる。

さて、彼は母の危篤の知らせを受け旅に出る。ロードムービーは内なる自分との対話である。ひとり旅はより一層それが強調され、過去がフラッシュバックしていく。冴えない自分の人生のフラッシュバックと対比するように、妄想が生み出すフィルムノワールが提示される。これがまた凄まじい。川に落ちるボールをおじいさんが拾うと、男が銃を構えており撃たれる。するとまたボールが川に落ちる。または銃におじいさんが撃たれると、パサっと新聞が落ちるといった鋭い殺し方が反復しながら提示されるのだ。クリエーターが脳内の最強の世界を、解体/再構築していく過程がおもむろに現れる。一方で現実における過去は、官能シーンに「これはモンタージュだ」と言い訳したりする大したことない人生だ。

そんな現実と理想の乖離の中で彼はムラムラし始める。そして食堂の女性に一目惚れし、泥に沈みゆく車の中で情事に明け暮れる妄想をし始める。この際の車の扉を開けようとする女性と止める監督の手だけが表示される攻防シーンがカッコ良かったりする。

こんな傑作が日本公開されていないとはなんとも悲しいことだ。ロベール・ブレッソン好きが多い日本なら、公開してもバチは当たらないのではと思う。ダルジャン・オミルバエフの他の作品も観てみたいと強く感じた。