【ネタバレ】『キネマの神様』私はつらいよ

キネマの神様(2021)

監督:山田洋次
出演:沢田研二、菅田将暉、永野芽郁、野田洋次郎、北川景子、寺島しのぶ、小林稔侍、宮本信子、リリー・フランキー、前田旺志郎etc

評価:5点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

志村けんが新型コロナウイルスの犠牲となり、製作が危ぶまれた山田洋次最新作『キネマの神様』。映画芸術の人は山田洋次映画をパブリックエネミーとして敵視しているけど、私は山田洋次監督のコテコテの人情喜劇は好きだ。昭和のオムライスを食べに行く感覚で毎回映画館へ駆けつける。しかしながら、この『キネマの神様』を観て彼に大きく失望した。自分の信じていた人に裏切られたような気持ち、ワーニャのような怒りがフツフツと沸き起こってきた。

『キネマの神様』あらすじ

松竹映画の100周年を記念した作品で、人気作家・原田マハの同名小説を山田洋次監督が映画化。“映画の神様”を信じ続ける男の人生と、彼を取り巻く人々との愛や友情、家族の物語を描く。映画監督を目指し、助監督として撮影現場で働く若き日のゴウは、撮影所近くの食堂の娘・淑子や仲間の映写技師テラシンとともに夢を語らい、青春の日々を駆け抜けていた。しかし、初監督作「キネマの神様」の撮影初日に転落事故で大きなケガを負い、作品は幻となってしまう。大きな挫折を味わったゴウは夢を追うことを諦めてしまい、撮影所を辞めて田舎へと帰っていった。それから約50年。かつて自身が手がけた「キネマの神様」の脚本が出てきたことで、ゴウの中で止まっていた夢が再び動き始める。「男はつらいよ」「学校」「釣りバカ日誌」など松竹の看板シリーズを手がけてきた山田監督がメガホンをとり、山田監督作に数多く携わってきた朝原雄三も脚本に参加している。現在のゴウを沢田研二、若き日のゴウを菅田将暉が2人1役で演じる。ゴウ役は当初、志村けんが務める予定だったが、志村が新型コロナウイルス感染症の肺炎により降板、後に死去したことから、かつて志村と同じ事務所でもあった沢田が志村の意思を継ぎ、代役としてゴウを演じることになった。

映画.comより引用

私はつらいよ


まず、映画は沢田研二演じるかつて映画監督を目指していた男・円山郷直が借金をしていることが家族に発覚するところから始まる。老年期に入り、酒と博打に依存しているクズ男に対して家族がブチ切れ、財布をとりあげ「映画だったらいいよ」と圧をかける。この時点で疑問がよぎる。

「山田洋次監督にとってアルコールと博打は低俗な文化と見下しているのでは?」と。

そして「映画の神様はあなたを救う」とスピリチュアルな言葉を投げかけられ、彼は逃げるようにして友人テラシン(小林稔侍)が経営する映画館に夜な夜な遊びに行く。そして映画を観るのだが、早々に売店からビールを盗んで名画座の治安を悪くしている老人のようにだらしなく映画を観るのだ。なんだか嫌だなと思っていると、回想となり輝ける映画製作現場時代の円山(菅田将暉)が映し出されるのだが、この製作現場で提示される監督が名前こそ違えども明らかに小津安二郎や清水宏なのだ。フランク・キャプラは実在する名前使っているのに、日本の映画監督は巨匠の名を借りている。だが、銀幕に映し出されるのは露骨に『東京物語』だったりする。なんか、巨匠の名を借りて名声を自分の手柄にしているような気がする。

その嫌な感触は、孫(前田旺志郎)と脚本コンクールに応募するエピソードで最悪な方向へと倒れる。見事、賞を獲り、100万円を獲得するのだが、受賞者は円山郷直だけとなっている。彼は一人浮かれているのだ。分け前について議論するシーンもないのだ。開き直って無敵の人となった老人が他人の手柄を横取りする映画となっており、それは山田洋次が小津安二郎の名を借りてパッチワークのように映画愛を語ったり、本作のCMで淀川長治の感想をあたかも自作の感想にしてしまうのを公にしてしまう醜悪さに繋がってくる。

単純に老人の戯言映画としても、クズ男の映画としても面白さを感じられず途中何度も帰ろうとして、最後にこんな手柄の横取り物語、『カイロの紫のバラ』の安っぽいオマージュ、形式だけのマスクで魅せるコロナ描写(劇場で大声で話したり、鼻と口を塞いでないマスク描写は凶悪だ)で終わらせるなんてショックでした。

唯一、孫と老人がMacで脚本を練り直す場面は、『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』のセルフオマージュとして興味深かったが、良かったところが全くない映画でありました。

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※映画.comより画像引用