【ネタバレ考察】『竜とそばかすの姫』仮面の告白

竜とそばかすの姫(2021)
BELLE

監督:細田守
出演:中村佳穂、成田凌、染谷将太、玉城ティナ、幾田りら、役所広司、森川智之、佐藤健、津田健次郎、小山茉美(小山まみ)etc

評価:85点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

細田守最新作『竜とそばかすの姫』が公開されました。第74回カンヌ国際映画祭では14分間ものスタンディングオベーションとなった。ただ、アニメ映画に関しては、海外よりも日本での感想の方が参考になる。絵が綺麗であれば高評価なカイエ・デュ・シネマよりも、ストーリー面、ヴィジュアル面、アニメ哲学面で日本は鋭く議論される。評論家出なくても、評論家に近い鋭い考察がTwitterから出てくることもある。そしてアニメもそれに応えるように、フランスのアート映画のような複雑な心理を表象した作品を出すことがある。日本アニメのこうした循環は好きだ。どこか作劇に停滞を感じる某ネズミ帝国とは比べ物にならない豊穣な世界が日本アニメにあると思っている。

さて、細田守映画は毎回賛否が別れることで有名だ。大衆向けのヴィジュアルが特徴的で、その特徴から金曜ロードショーで放送されることも少なくない。だが、よくよく映画を観ると倫理的にぶっ飛んでいる部分が多い。『おおかみこどもの雨と雪』は狼との間に子どもを授かってしまった母の育児が描かれるのだが、病院等に相談せず、片田舎女手一つで子どもを育てようとする男性の女性に対する楽観視が問題となった。『バケモノの子』では異世界転生したため、住民登録が不備となっている男が現実世界でたらい回しに遭う様子が描かれている。『未来のミライ』では、主人公のくんちゃんがお尻に異物を入れて欲情する謎の場面が挿入されている。このような異常展開は時たま議論の棚に持ち上げられ賛否両論となる。ただ、これはアニメである。観客を共犯関係に引き摺り込み、倫理を超えたその先を魅せるのがアニメないし映画の役割の一つではないだろうか?そして、その共犯関係になれるかなれないかが細田守映画を絶賛するか酷評するかの境目となっていると考えることができる。私は、『おおかみこどもの雨と雪』は倫理的な部分で大嫌いだったのですが、『未来のミライ』は大好きである。今回、ぶっ飛んだ映画と噂される『竜とそばかすの姫』を観たのですが、確かに狂っていた。細田守はこの映画を作るために、今までの作品が存在したのかと思うほどに集大成だった。というわけでネタバレありで考察していく。

『竜とそばかすの姫』あらすじ

「サマーウォーズ」「未来のミライ」の細田守監督が、超巨大インターネット空間の仮想世界を舞台に少女の成長を描いたオリジナル長編アニメーション。高知県の自然豊かな田舎町。17歳の女子高生すずは幼い頃に母を事故で亡くし、父と2人で暮らしている。母と一緒に歌うことが大好きだった彼女は、母の死をきっかけに歌うことができなくなり、現実の世界に心を閉ざすようになっていた。ある日、友人に誘われ全世界で50億人以上が集う仮想世界「U(ユー)」に参加することになったすずは、「ベル」というアバターで「U」の世界に足を踏み入れる。仮想世界では自然と歌うことができ、自作の歌を披露するうちにベルは世界中から注目される存在となっていく。そんな彼女の前に、 「U」の世界で恐れられている竜の姿をした謎の存在が現れる。主人公すず/ベル役はシンガーソングライターとして活動する中村佳穂が務め、劇中歌の歌唱や一部作詞等も務めた。謎の存在「竜」の声は佐藤健が務めた。ベルのデザインを「アナと雪の女王」のジン・キムが担当するなど、海外のクリエイターも参加している。

映画.comより引用

マルチバースな世界で

ヴァーチャルSNS「U」が起動する。暗闇の中にぽつりと光が解き放たれる。その光の点がどんどん増えていき、基盤のようなものとなる。そして画はその基盤のような世界に入り込む。浮遊感溢れるサイバーパンクな世界で、キャラクターがひしめきあっている。その活気の渦に観客は突き落とされるのだ。丁度、「アンカル」において主人公が建造物のジャングルを落下するように。

IMAXの没入演出が好きな人であれば、このオープニングだけでワクワクすることでしょう。本作は『サマーウォーズ』から進化を重ねた仮想世界描写の豊穣な奥行きで殴りつけてきます。2010年代、アメコミ映画や『シュガー・ラッシュ』、『レディ・プレイヤー1』のようなゲームをテーマにした作品などでマルチバースが一般化してきた。一つの映画の中で全く異なる質感を登場させても違和感がない時代となった。これは映画だけに止まらず、大乱闘スマッシュブラザーズで任天堂のキャラクターとナムコやセガのキャラクターが闘い、テレビではヴァーチャルキャラクターが登場したりする。

だからこそ、本作では質感のマルチバースにこだわっており、ヒロイン「ベル」の造形は『アナと雪の女王』など数多くのキャラクターデザインを手掛けるジン・キムが担当し、幻想的なシーンの一部は『ウルフウォーカー』、『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』を生み出したトム・ムーア、ロス・スチュアート監督を含むカートゥーン・サルーン社が関わっている。そして、VRを疑似体験させるために、「U」でのカメラパンは奥行きが球体状になるような技巧を凝らしたり、仮想世界での浮遊感を演出するために、画面の大半をぼやかすことをしていたりする。現実パートでは、そのようなゴチャゴチャした混沌とは切り離し、通常の細田守の画に戻るが、仮想世界が現実世界を侵食していることを強調するために、水の描写は不気味の谷スレスレのリアルさを宿している。こうしたゴダールもビックリ実験演出が目立つのですが、既に『レディ・プレイヤー1』や『スパイダーマン: スパイダーバース』で慣れ親しんだ我々は容易に飲み込みやすいヴィジュアルとなっていることでしょう。

仮面の告白

さて、こうした集大成たる画の暴力的なまでに彩られたキャンバスの上に塗られるのは、仮面の内側/外側とSNSとの関係性だ。細田守監督は、SNSによるいじめに怒っている。「その他大勢」という匿名の仮面に安住し、出る杭を冷笑中傷で殴打する。その表象においてドス黒く光るものがある。巨大な球体状の空間に竜が乱入してくると、暴言が木霊する。大きな空間にぽつりと竜がおり、そこに浴びせられる暴言の痛々しさ。そして、そのターゲットの前にスポンサーロゴをチラつかせヴィジランティズムを発揮する正義のヒーローかぶれが現れる。彼らの広告活動によって、竜は攻撃して良い対象だと判断され、観客の眼前には無数の中傷コメントが叩きつけられる。「その他大勢」の仮想世界における暴力性は、中傷だけに止まらない。ベル(中村佳穂)が竜を探す場面では無数のファンが彼女を取り囲み、巨大な球体が生まれる。この禍々しさは、数の暴力を表象しており、数が集まるだけでそれは暴力になることを暗示している。

また、この暴力がどこから来るのかについて本作は掘り下げている。主人公・すずは、母を失ったトラウマによって学校のウォールフラワーとして生きている。彼女は、学校の華であるルカちゃん(玉城ティナ)を遠くから見つめる。キラキラした世界に入れないが、そこに対する薄らとした憧れを向ける。そんな彼女はパソコンに強いヒロちゃん(幾田りら)プロデュースの下、「U」で歌姫となる。歌いたくても恥ずかしさから歌うことができなかったすず。顔のそばかすにコンプレックスを感じていたすずが、仮想世界の混沌に困惑しながら、そこに第二の人生を見出していく。仮想世界はこの時点では、自分の心の闇を自由にさせることができるユートピアだった。しかし、仮想世界にのめり込むと、現実が仮想世界に侵食されていく。心の中の秘密を隠せる場所がなくなってしまうのだ。つまり、それは心の中にある暴力が現実に解き放たれてしまうことを示す。厄介なのは、この「U」は謳い文句として「やりなおしがきく」と豪語しているところにある。やりなおしがきくからこそ、人間は内なる暴力性にドンドン鈍感となっていき、匿名という仮面を被り尚且つ「その他大勢」の隠れ蓑から攻撃対象を殴り続けるのです。一見蛇足に見える『美女と野獣』要素も、確かにあそこまでディズニー映画の真似事をする必要性はないにせよ、現実世界の秘密/仮想世界での秘密を蝶番として描くには効果的であっただろう。すずは現実世界から仮想世界に潜り込む。観客は、現実世界では解き放てないすずのコンプレックスが仮想世界に流し込まれることを目撃する。そして、仮想世界で暴力的だった竜がこの世界で秘密にしている優しさの部分が明らかにされることで、現代人は住む世界によって異なる秘密を抱えていることが提示されるのだ。

表層的に見れば、『レディ・プレイヤー1』、「アンカル」、『美女と野獣』、『エイス・グレード』の結合体に見えるが、掘れば掘るほど奥深い映画となっている。

そんな『竜とそばかすの姫』ですが、倫理的問題も触れておく必要がある。今回は問題が山積みだ。今までの細田守映画の問題点が蓄積されている気がする。まず、本作で登場する仮想世界「U」のシステムですが、生体認証で自動的に仮想世界内でのヴィジュアルが生成されるのがルッキズム全開で、モダンなプラットフォームなのにおかしい。通常であれば大炎上するはずが、人類の大半にあたる50億人が使っているとなると驚愕である。さらに後半、虐待を受けている児童を助ける為に、すずたちが巧みなチームプレイで虐待児童の家を炙り出し、すず単身で救助に向かう場面が親として狂っているとしか言いようがありません。もちろん、『サマーウォーズ』同様、ポジティブ過ぎる田舎描写は地方在住者にとってはモヤモヤするものを感じるであろう。だが、こうした狂いようを踏まえても、私は彼と共犯関係になろうと思った。彼の魔界に腰まで浸かろうと思ったのだ。

恋恥のピタゴラスイッチ

さて、最後に本作におけるアニメ表現として素晴らしいシーンがあるので言及しよう。ルカちゃんが駅でカミシン(染谷将太)に告白する場面に注目していただきたい。カミシンに片思いなルカちゃんは、ばったり駅で彼と出くわす。

「応援しています」

と頬を赤らめる彼女に対して、後ずさりするカミシン。彼女のことをわかっていないことに気づいたすずは、無理矢理カミシンをルカちゃんの前に持っていき、告白と向き合うように説得する。

二人の頬の赤みは引いていき、膠着が解除される。すると好きな曲の話になり、「ベル」という単語が出てくる。自分の仮想世界の名前が呼ばれたことへの恥じらいから彼女は青ざめ、ゆっくりと駅から撤退していく。安心したかと思ったら、目の前に好きな人であるしのぶくん(成田凌)がいる。彼はカミシンを探しているらしい。彼女の後ろでは小さく駅で情事を交わしているカミシンが映っている。これはムードを壊してはいけないと、「うん…ううん」と曖昧な反応をしてごまかそうとする。

すると彼が突然、

「ベルってお前だろ」

と言い始めるのです。このピタゴラスイッチ演出は映画的魅力に溢れているが、人間の恋と恥じらいの膠着を見事デフォルメさせているところにこのアニメ作品の強さがある。実写でできそうでありながらも、あの独特な間とユーモアは今泉力哉にもホン・サンスにも作り出せないものがあります。

というわけで『竜とそばかすの姫』は映画館で観てとても興奮しました。映画っていいもんですね。

※映画.comより画像引用

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