【読書感想文】『人間レンタル屋』社会からあぶれた人に手を差し伸べる男の少しゾッとする話

人間レンタル屋(石井裕一、鉄人社、2019)

おはようございます、チェ・ブンブンです。

先日、鬼才ヴェルナー・ヘルツォークが日本に実在する何でも屋《ファミリーロマンス》を描いた作品『FAMILY ROMANCE, LLC』を観ました。FilmarksやTwitterでは否定的な意見が多かったのですが、自分は社会からあぶれた人の心を描く全盛期の園子温映画を彷彿とする演出に感銘を受けました。なんと本作には一応の原作が存在する。『人間レンタル屋』は《ファミリーロマンス社》の代表を務めている石井裕一が実際に体験した依頼人との経験を綴ったエッセイ集。石井裕一の胡散臭くも魅力的なオーラに惹かれ、「絶対に面白いこと書いてあるぞ!」という期待を抱き買ってみました。案の定、壮絶な体験と倫理観を揺さぶる彼の哲学にノックアウトされたので読書感想文を書いていきます。

『人間レンタル屋』概要

お望み通りの” 演者 “を派遣します

『人間レンタル屋』文字どおり、あらゆる人間の貸し出しサービスである。
今の時代、誰もが「レンタル恋人」「レンタルフレンド」といった言葉を(実際にサービスを利用したことはないまでも)耳にしたことがあるはずだ。

本書は、人間レンタル屋・石井裕一氏(代理代行業「ファミリーロマンス」代表)が、その仕事の中味を余すところなく記したものだ。
近年、テレビや雑誌、WEB媒体で取り上げられる機会の多い同社の依頼件数は、年間3000件以上。登録スタッフも2000人を数える業界最大手の会社である。
スタッフは、赤ちゃんから80歳まで、多様な個性を持つ男女を揃え、どんな依頼を受けても迅速に対応できる体制を整えている。
結婚式や葬儀、セミナーの代理出席から家族代行、友達代行、リア充アピール代行、愚痴聞き代行、謝罪代行、観客代行、執事代行、買い物代行……など。
お客のニーズは様々だ。

では、同社の提供するこれらのサービスが具体的にどういったものなのか。
どんな人が依頼をしているのか。
金額はいくらで、どこまでの要望に応えてくれるのか …。
そんな疑問に答えるべく、この十年余で実際に引き受けた依頼とそこで起きた出来事を、できるだけ簡潔にまとめたのが本書である。
本書によって人間レンタル業の奥深さ、面白さの一端を知ってもらえれば幸いである。
鉄人社サイトより引用

社会からあぶれた人に手を差し伸べる男の少しゾッとする話

ここ数年、《人間レンタル屋》というビジネスが話題に上がるようになってきた。レンタル何もしない人、レンタルおじさんといった万屋的ビジネススタイルから、レンタルラーメン二郎食べる人といったビジネススタイルを細分化し、ニッチ領域で攻めている人もいる。個人的に私の場合、レンタル映画観る人をやればそこそこの副業になりそうだなと考えつつ実現には至っていない(連絡いただければ、要交渉ですがレンタル映画観る人になります)。さて、何故こういった人間レンタルが流行っているのだろうか?私は次のように仮説を立てる。「現代人はモノではなく体験」を求めている。映画館が、2010年代後半にかけてライブビューイング上映や爆音上映、マサラ上映といった観客参加型上映を増やしていった点、若者の○○離れの「○○」に入るのが、酒、タバコ、車といったモノであることに相関があると思っている。また、コロナ禍で人との直接の出会いから生じる一回性の面白さがかけ、方やSNSは常に炎上の素材となる人を探していて、もう方や出張トレーニングがそれなりに成功している様子を見聞きするに、人は人との対話で得られる体験を欲しているんだと強い確信に変わりつつある。

そんな中で読んだ『人間レンタル屋』はその仮説を肉付けするものがあった。王道のレンタル家族、カノジョに始まり、中には「自分が小人だという設定で罰して欲しい」というマニアックな性癖を満たす案件について饒舌に石井裕一は語ります。レンタル家族の場合、子どもの成長に父親の存在が必要だと考えた母親が何年にも渡って偽の父との思い出を作り出したりします。無論、バレたら一巻の終わり。下手すると、子どもの性格を歪めかねない事例。飄々としつつも、内面冷や汗が滝のように滴るサスペンスが描かれ、エピソードのどれもがドラマティックであります。レンタル家族を長年していると、日本各地に架空の息子・娘がいることになるのですが、偶然右から左からかつての子どもが「パパ、そこで何しているの?」と迫り来るシーンはまさしくホラーであり肝が冷えます。ただ、彼はスマートにどんな修羅場も切り抜けていく。決して人をバカにすることはない。社会からあぶれてしまった人の心を満足するために彼は尽くすのです。この唯一無二な体験を提供するニッチなビジネスは上記の仮説へと繋がり、未来のあるビジネススタイルだと段々気づいていくと共に、強靭な精神力がなければ継続して依頼を受けるのが困難な聖職だということに気付かされます。

そして、聖人のようになった石井裕一が我々の倫理観に揺さぶりをかけるエピソードがある。

それは売れないお笑い芸人がイベントで勝つために大金叩いてサクラを用意する話。明らかによくないことだ。ドン引きする事例でしょう。

しかし、彼は次のように述べるのです。

「努力をした他の参加者がかわいそうだ」と言われるかもしれません。それはそうでしょう。ただし1位を獲るために、彼は大金を投じました。賞金は10万円ですが、僕らに払う金額はそれ以上。彼は努力したはずです、僕ら代行業者を雇う金額を捻出するために、昼夜アルバイトに明け暮れるなどして。
(中略)
もちろん、グランプリ獲得後には厳しいプロの世界が待っています。そこで勝ち上がってこそ、真の実力者。僕たちは入り口までの、ほんの運び屋にすぎません。

虚構をほんのりと現実にするのは簡単だが、その先にはイバラ道が待っている。ただ彼の虚構の成功体験が彼のモチベーションを上げ、自分の人生の主人公になるのかもしれないことを石井裕一は指摘しており、その言葉に魅了されました。近年、SNSではアカウントを購入し1万ものフォロワーがいるアカウントを見かける。ただ、それは目的を達成する手段である。その虚構をどう現実に近づけるのかといった哲学にも繋がっており、知られざる世界の秘密を知ることができたユニークな本でした。

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