【ネタバレ酷評】『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』ゴジラ愛だけじゃ傑作は生まれぬ

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2019)
Godzilla: King of the Monsters

監督:マイケル・ドハティ
出演:カイル・チャンドラー、ヴェラ・ファーミガ、ミリー・ボビー・ブラウン、ブラッドリー・ウィットフォード、サリー・ホーキンス、渡辺謙、チャン・ツィイーetc

評価:40点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

遂にハリウッド版ゴジラ最新作が日本上陸しました。ハリウッドゴジラは度々日本人を悲しませてきた悪名高いシリーズ。ローランド・エメリッヒ版『GODZILLA』は、ゴジラとは程遠い造形、もはやジュラシック・ワールドな世界観に日本だけでなく全世界のゴジラファンを落胆と憤怒の渦に包みました。それから約15年の時を経て、怪獣映画愛溢れる『モンスターズ/地球外生命体』のギャレス・エドワーズが放った『GODZILLA ゴジラ』では、21世紀になったにも関わらず、東日本大震災後の世界で生み出された作品にも関わらず、原発描写周りの配慮がゼロだったり、肝心な怪獣アクションが見辛かったりと決して褒められた作品ではありませんでした。そんなギャレゴジは、なんとゴジラユニバースの1作目だそうで、2作目の『キングコング 髑髏島の巨神』、3作目の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を経て、4作目でゴジラとキングコングのタイトルマッチが展開される胸熱な流れとなっています。

さて、今回監督を務めたマイケル・ドハティは超絶ゴジラファンだという。

ゴジラを《GOD》と崇拝し、『七人の侍』にゴジラを加えたら面白くなるはず!

と豪語するほどゴジラ狂い。果たして…

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』あらすじ


日本が生んだ怪獣王ゴジラをハリウッドが映画化した「GODZILLA ゴジラ」(2014)のシリーズ第2作。前作から5年後の世界を舞台に、モスラ、ラドン、キングギドラなど続々と復活する神話時代の怪獣たちとゴジラが、世界の覇権をかけて戦いを繰り広げる。また、それによって引き起こされる世界の破滅を阻止しようと、未確認生物特務機関「モナーク」に属する人々が奮闘する姿を描く。「X-MEN:アポカリプス」「スーパーマン リターンズ」などで原案や脚本を担当してきたマイケル・ドハティが、脚本を手がけたほか自らメガホンもとった。前作から引き続き、芹沢猪四郎博士役を演じた渡辺謙が出演するほか、カイル・チャンドラー、ベラ・ファーミガ、サリー・ホーキンス、チャン・ツィイー、大人気ドラマ「ストレンジャー・シングス」のミリー・ボビー・ブラウンらが共演。
映画.comより引用

ゴジラ愛全開!

ハリウッドは今、日本への求愛が凄まじいこととなっています。それこそ『名探偵ピカチュウ』において、コイキングからギャラドスへの進化、異様なまでのコダック&バリヤード愛に『ミューツーの逆襲』の要素を脚本に巧みに組み込む様など、ポケモン愛がないとできない芸当がそこにはありました。そして『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』も本当にゴジラや日本のアニメが好きでないとできないような芸当が随所に見られた点、ローランド・エメリッヒやギャレス・エドワーズを軽く超えてきたイメージがありました。

マイケル・ドハティのゴジラ愛は暴投10分で感じる。ビンビンとね。それは人類がモスラとの対話を試みる場面。攻撃する人類に対し、モスラが糸を吐く。モスラは非暴力のモンスター故、人を喰ったりはしない。掴んで投げ飛ばす。荒れ狂うモスラに対して生物学者のエマ・ラッセルが交流を試みる。この巨大で制御効かないモンスターとの緊迫した対話シーンの拘り、ハリウッドでしかできない緻密なVFX技術でもって表現されるモスラの動きに愛を感じます。あくまでモスラは本作における前菜、サラダ的な存在なのですが、そこに一切の妥協を感じさせません。

そして、愚かなる人類の野望により、次々とモンスターが活性化する。キングギドラは憤怒の雷を振り落とし、ラドンは業火の中から姿を表す。シリーズ往年のモンスターたちも、「久しぶりー♪おいらのこと覚えている?」と楽しげにスクリーンを暴れ散らす。巨大モンスターたちが、愚かなる人類の愚行により荒らされた自然に対する悲しみを背に蹂躙していく黙示録はヱヴァンゲリヲンを彷彿とさせられる。今やハリウッドは、超絶リアルな怪獣映画の枠を通り越して、生存率0%に等しい地獄絵図を、まるでドキュメンタリーを見ているかのようにリアルに演出できるんだと心踊らされる。

終盤にさしかかってくると、ゴジラ映画ではお馴染みリーサル・ウェポン(=最終兵器)ことオキシジェンデストロイヤーが登場し、芹沢猪四郎が人類の為に命を落とすという涙ぐましいシーンまで登場する。そしてゴジラのテーマ、モスラのテーマが鳴り響く中、ひたすら怪獣と怪獣が光線と光線をぶつけ合って、拳と拳をぶつけ合って戦う姿に燃えない観客はいるのだろうか?いやいないことでしょう。次回の『Godzilla vs. Kong』の監督が、ポンコツリメイク映画でお馴染みアダム・ウィンガードであることが不安になるほど愛を感じました。

愛だけでゴジラを語れない

しかしながら、ブンブンは全くこの映画にノルことができなかった。いや、正確にいうのであれば、非常に退屈であった。というのも、正直ローランド・エメリッヒのディザスター超大作と大差ない大味すぎる退屈さがここに流れていたと思うからです。実は、この映画は周波数がテーマであることを意識しているのか、物語展開があまりにも一定周波数なのだ。人類が怪獣を起こす→怪獣が暴れる→怪獣を鎮めるというルーティンを30分ペースで繰り返しているだけなのだ。例えるならば、ジャンプ系漫画で、敵が現れる、友情努力勝利で勝つ、また敵が現れるを延々と繰り返し、段々と飽きてきてしまうことと似ている。つまり単調すぎるのだ。

また、ボンクラ超大作のストーリーに野次を入れるのは野暮であることは十分承知だ。それでも人類サイドの愚行には、割とドン引きしてしまうところも多かった。怪獣から成分を抽出すれば、お金持ちだぜ、やっべ怪獣沢山起こしちまった!という杜撰な強欲テロリスト描写に、とにかく怪獣との間合いを詰めすぎて、自ら喜んで死の淵に立とうとする芹沢軍団、終始、怪獣には怪獣をぶつけるんだと言い続けるプロットに頭がクラクラとします。やはり『シン・ゴジラ』で描かれるポンコツかつクレバーなディスカッション劇を知ってしまった後の世界を生きている以上、もはやこのような脳筋パワープレイで世界が動いていく描写にはちょっとした拒絶反応が生まれてしまいます。

『名探偵ピカチュウ』もそうなのですが、割と愛だけで脚本をごり押ししている感じが強く、冷静に俯瞰してみると、やっぱり残念ゴジラ映画だったなと思います。『名探偵ピカチュウ』の場合は、『ミューツーの逆襲』との超絶技巧過ぎる超融合を魅せてくれたので、まだ敵がミューツーに乗り移ったはいいものの、主人公の目の前に本体を放置する杜撰さは愛らしく見えるのですが、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』の杜撰な脚本はあまりテンションが上がるものではありませんでした。

アクション、見辛くない?

何故、ブンブンがエメリッヒを引き合いに出したかというと、怪獣プロレスシーンがエメリッヒ的ぐちゃぐちゃ感が強すぎたと思ったからです。Twitterを見ると、怪獣アクションを褒めている方が多い。確かに、ゴジラの破壊光線をキングギドラが避け、カウンターを仕掛ける場面や、モスラがラドンの胸を引き裂き倒す場面、そして怪獣が暴れ大地が崩壊する中逃げ惑う人類の緊迫感など胸熱な見所は多いのですが、見辛くないですか?

どの場面も非常に暗く、破壊描写は混沌を極めている。まるで『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』の天変地異シーンのように、何が起こっているのかわからない状態があまりに多かった気がします。

いや、往年のハリウッドゴジラの低レベルさからすると、メガ進化したことは間違いないし、好きな怪獣アクション場面も多いのですが、手を広げ、声を大にして喜べるものではありませんでした。

最後に…

個人的に期待していた作品だっただけにちょっと残念でした。しかしながら、マイケル・ドハティ監督はとても面白い人だし、しっかりと愛もって映画を作っていることは十分伝わってきました。なので、庵野秀明がなかなか新作を作ってくれないので実写版ヱヴァンゲリヲンを是非ともお願いしたい。もしタイカ・ワイティティ監督が実写版『AKIRA』を降板してしまったら、是非ともマイケル・ドハティに手がけてほしい。今回はNot for meでしたが、きっと次はFor meな作品を放ってくれるに違いないとワクワクしてきました。さて、次回はキングコングとのタイトルマッチ。キングコングってただ図体のデカいゴリラだと思うのですが、ゴジラと張り合えるのでしょうか?監督がアダム・ウィンガードなので『DEATHNOTE/デスノート』のような大暴投になる不安もありますが、首を長くして待つこととしようzzz

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