【ネタバレ酷評】『メリー・ポピンズ リターンズ』Everything is possible? Don’t make it possible!!

メリー・ポピンズ リターンズ(2018)
Mary Poppins Returns

監督:ロブ・マーシャル
出演:エミリー・ブラント、ベン・ウィショー、コリン・ファース、メリル・ストリープetc

評価:30点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

第91回アカデミー賞で、美術賞/衣裳デザイン賞/オリジナル作曲賞/歌曲賞(The Place Where Lost Things Go)の4部門にノミネートしている『メリー・ポピンズ リターンズ』を観てきました。誰しもが幼少期の頃みたあの『メリー・ポピンズ』から50年以上の時を超え、満を期しての続編です。前作はアカデミー賞13部門にノミネートしていて、主演女優賞(ジュリー・アンドリュース)/編集賞/オリジナル作曲賞/歌曲賞(チム・チム・チェリー)/特殊視覚効果賞の5部門受賞した名作。それだけに不安しかないのだが、果たして…

『メリー・ポピンズ リターンズ』あらすじ


アカデミー賞5部門に輝いた1964年公開の名作ディズニー映画「メリー・ポピンズ」の20年後を描いた続編。大恐慌時代のロンドン。バンクス家の長男マイケルは今では家庭を持つ父親となり、かつて父や祖父が働いていたロンドンのフィデリティ銀行で臨時の仕事に就いていた。しかし現在のバンクス家に金銭的な余裕はなく、さらにマイケルは妻を亡くしたばかりで家の中も荒れ放題。そこへ追い打ちをかけるように、融資の返済期限切れで家まで失う大ピンチに陥ってしまう。そんな彼らの前に、あの「ほぼ完璧な魔法使い」メリー・ポピンズが風に乗って舞い降りてくる。
※映画.comより引用

サンディ・パウエルの衣裳が素晴らしい

本作は、ハリウッド最強の衣裳デザイナー、サンディ・パウエルの真骨頂を観ることができる作品です。彼女は既に、『恋におちたシェイクスピア』、『アビエイター』、『ヴィクトリア女王 世紀の愛』でアカデミー賞を受賞している巨匠の衣裳デザイナー。『マイケル・コリンズ』や『アビエイター』、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』といった時代性を反映させつつ、ビシッと主人公をカッコ良く魅せるファッションから、『シンデレラ』、『パーティで女の子に話しかけるには』といった観客を夢の世界に誘う魅惑の美を演出したりもするマルチタイプのデザイナーであり、ブンブンの好きな衣裳デザイナーの一人です。今年のアカデミー賞では本作と『女王陛下のお気に入り』でダブルノミネートしています。

さて、個人的に本作のサンディ・パウエルは4度目のアカデミー賞受賞に相応しいと思いました。『メリー・ポピンズ』のカートゥーンと現実世界の融合という個性に対して、120%衣裳が応えてくれます。一見するとCGのように見えるエミリー・ブラントたちの衣裳もよく観るとホンモノで、絵の具で塗りたくったようなムラのある色彩を巧みに使いこなすファッションに圧倒されました。また、色彩のトーンは、目まぐるしく変わる映画の色彩に合わせて繊細にチューニングされており、画面上で浮いてしまうことがない。水と油の関係になりそうな部分も、シームレスに衣裳のコントラストが繋いでくれます。それだけに、本作の夢絵巻は観客を惹き込むところがあります。

また、そんな彼女の演出として、メリル・ストリープ演じるツボ直しおばちゃんことトプシーのファッションにも気合が入っています。まるでジプシーのような、ヒッピーのような風貌をもつ彼女が、天地ひっくり返った部屋の中で、“Turned a turtle!(ひっくりカメ)!”と言いながら踊り狂う場面。メリル・ストリープの怪演の魅力を十二分に引き出してくれます。

まさかの世界恐慌時代のミュージカル史をあのように使うとは!!

だが、本作を褒めることはできませんでした。寧ろ、怒りが込み上げてくる作品とも言えます。近年、ディズニーは名作を次々と実写リメイクしている。『シンデレラ』、『マレフィセント』、『美女と野獣』、『ダンボ』etc…明らかにハリウッド映画界全般に言えるネタ不足の波はディズニーにも押し寄せていることが分かる。それでも、ステレオタイプのヒロイン像のアップグレードとか、現代社会に対する批判、ポリティカルコレクトネスなどといった理由を押し並べて、なんとかリメイクを正当化してこようとした。

当然ながら、本作にも、何故半世紀以上経ってまた映画化する必要があるのか?という疑問が湧く。

時代は、前作から20年経ち、あの悪戯っ子マイケル・バンクスが大人になって家族を授かっているところから始まる。血には逆らえない。父と同じ銀行マンになった。そんな彼に危機が押し寄せてくる。妻の死により、シングルファザーになる。労働組合で活動している姉に子守を頼むのだが、なかなか落ち着かない。そんな中、家の差し押さえが来てしまうのだ。

どうも今回は、単純な続編として打って出たようだと思って見ていると、時は世界恐慌となっている。そして冷酷な、銀行の差し押さえ事情が明らかになってくる。劇中で、コリン・ファース演じる悪徳銀行頭取が「不況って儲かるねぇ」と語り、この映画は、ドナルド・トランプの推し進めす究極の資本主義に対するアンチテーゼを謳っていることに気付かされる。

そして、この映画はある意味スマートだが、狂った選択をしてしまったのだ。それは世界恐慌時代のミュージカルを意識して作ってしまったということだ。世界恐慌時代、アメリカでは現実逃避の娯楽としてミュージカル映画が大量に作られました。バスビー・バークレーやフレッド・アステアの豪華絢爛でハッピーエンドなミュージカルは、アメリカだけではなく世界中で愛された。人々は、世の中の苦しさから逃げるようにして映画館に通ったのだ。

今回の『メリー・ポピンズ リターンズ』では、家の差し押さえが宣告されているにも関わらず、家族は妄想の彼方に現実逃避し始めます。全く危機感がありません。そして子どもたちはハッピーセット CM スポンジ・ボブ 「ハチャメチャびっくり」篇のあの気がおかしくなったキッズのように、暴れまくり、大事なツボを壊したり、親の邪魔ばかりするのだ。そんなキッズの愚行に対して、メリー・ポピンズは“Everything is possible!(なんでも可能なのよ)”と吹聴して、ドラえもんのように気安くチートのような魔法で助けていくのだ。

それじゃあディズニーの付け刃的言い訳は、「貧富の格差が生まれるのはしょうがない、だから楽しいことを考えようよ。」としか聞こえず、なんとも無責任な映画に見えてしまうのです。そして、ブンブンが一番怒りが込み上げてきたのはクライマックス。なくなった証券が見つかり、銀行に行く場面。約束の時間までに銀行につくことができないとわかった、バンクス一味は、こともあろうことか、ビッグ・ベンの針を5分巻き戻すのだ。しかも、リン=マニュエル・ミランダ演じるジャックが、一生懸命仲間と時計台によじ登り、それでも時計の針が動かせないことがわかった途端、メリー・ポピンズが空中浮遊し、ただならぬ怪力で時計の針を5分巻き戻すのだ。あまりのセコさに驚愕しました。悪徳銀行マンはキングスマンだ。“Manners maketh man”としっかり時間まで待っているのに、なんて酷いんだ。

“Don’t make it possible!!(それは可能にしちゃいけない)”と叫びたくなりました。こんなんでバンクス・ファミリーのハッピーエンドを祝福しろと言われても、祝福できるわけがありません。

映像演出

本作で注目されている、アニメと映像の合成に関しても、ここはそこまで褒める部分ではないと感じました。確かに、ツボの中の世界に入り込み、天地がぐちゃぐちゃになった世界でアニメと共存する演出は素晴らしいと思ったし、ワクワクさせられました。ただ、それっていうのは1945年の『錨を上げて』でジーン・ケリーと『トムとジェリー』のジェリーがタップダンスする演出から、前作の『メリー・ポピンズ』で応用させた技術革新の範囲内に収まっている。この技術の凄さというのは、2次元であるカートゥーンと3次元である実写が、2.5次元という映画の世界で対話できることを発明したことにあります。『アベンジャーズ』や『レディ・プレイヤー・ワン』といったアニメと実写の合成は、アニメを現実に近づけた技術で別のベクトルを向いている。『メリー・ポピンズ』がたどり着いた、カートゥーンとの対話の妙、なかなか挑戦している作品がないだけに(『ロジャー・ラビット』シリーズくらいか)もっと技術革新できたのではと思ってしまい、これまた残念でした。もちろん、ツボのシーンは素晴らしいとは思ったのですが。

最後に

どうも、序盤からNot for me な感じがして退屈してしまい、ウトウト睡魔が襲ってきました。一瞬、『ツイン・ピークス The Return』で良い方のクーパーがカジノに挑戦するシーンの夢を見てしまいました。ファッションは、良いんだけれども、今この続編を作る意味を見いだすことができませんでした。

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