ボヤージュ・オブ・タイム(2016)
Voyage of Time(2016)
監督:テレンス・マリック
ナレーション:ケイト・ブランシェット
評価:40点
夏休みだ!バカンスに入ったブンブン、初日は実家に帰りました。特にやることもないので、Netflixを開いてみたら、テレンス・マリックのスピリチュアルなドキュメンタリー『ボヤージュ・オブ・タイム』が入荷しているではありませんか!日本では、公開環境が非常に悪く、中谷美紀の日本語吹き替え版しか上映されず、それもTOHOシネマズ シャンテレベルでしか公開されなかった。本作は、音響と、スクリーンがものを言う作品だけに、公開当時、苦言を呈す映画ファンが多かった。また、本作は40分のIMAX版も存在していたのだが、これすら上映されない悲惨な状況であった。ブンブンも、当時あまりに公開環境が悪く、スルーしてしまったのだが、何かの縁、父親と一緒に観てみました。
『ボヤージュ・オブ・タイム』概要
テレンス・マリックが、現代文明と大自然の営みの関係性から《生》の起源をたどる…映像、音楽は好きだが…
ブンブン、人間がコントロールできない自然の営みを観るのが好きなので、定期的にこの手の映画を欲する。そして、本作は、そんなブンブンの心を癒す。まさしく観るアーユルヴェーダであり、抑圧され暑苦しい現代社会から解放してくれる。
しかしながら、この作品で描かれていること、そして現代文明パートでの演出がどうも二番煎じが強すぎる。町で物乞いをする人々、障がい者、中東かインドかの喧騒とした人と人の交わりから現代文明を批判し、「人々は、もともと動物出会った。野生だった。」という理論を打ち出していくスタイルは、『コヤニスカッツィ』と同じだ。しかし、映像が綺麗、音が凄いという想定内の驚きを超えるものは何もない。カッツィ三部作で描かれていた、文明と自然に対する批評の切り口の域から1mmも出ていないため、古臭さを感じてしまった。また、現代パートの色彩は明らかに2000年代以降のゴダールだ。ゴダールの演出は、あまりに斬新かつ無闇に真似すると、自己満足の臭いがキツくなってしまう。ゴダールの《映画という枠組みを壊してやる》という気概、批評の強調ポイントとしての演出というものを100%理解した上で使い、120%以上のクオリティを出さないと、途端に安易なオマージュになってしまうのだ。本作でのゴダールっぽい色彩で、現代文明の歪さを強調する手法は、かなり安易な演出だったと思った。そもそも、映像美にあれだけ拘っているテレンス・マリックが、《汚》なる映像から美を作り出すのは無理がある気がした。
それにしても…本作の興行収入が微妙だったのか、新作『ソング・トゥ・ソング』が全く公開される気がしない。いつも通りエマニュエル・ルベツキの浮遊感溢れる映像の中で、ライアン・ゴズリングが彷徨う映画なのだが…劇場で観たいぞ!
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