ザ・スクエア 思いやりの聖域(2017)
THE SQUARE(2017)
監督:リューベン・オストルンド
出演:クレス・バング、エリザベス・モス、
ドミニク・ウェストetc
もくじ
評価:75点
昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したスウェーデン映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』が日本上陸した。監督は、『フレンチアルプスで起きたこと
』で一躍有名となったリューベン・オストルンド。個人的に思い入れのある監督だ。というのも、フランス留学中、滞在先のアンジェで映画祭が開催され、オストルンド監督特集が組まれていたのだ。しかしながら、腐ったモヤシを食べて瀕死状態だった私は、一本も観ることができず、監督にインタビューできなかった哀しい思い出がある(『PLAY』観たかったなー)。本作は、そんなオストルンド監督がパルムドールを受賞した作品。パルムドールを獲る作品って個人的に苦手な代物が多いのだが、今回は面白そう。そして実際に鑑賞すると、これがとても面白かった。上映時間が約2時間半と『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー
』級の長尺なのだが、これが全く苦にならない。そして本作は、非常に語りがいのある作品だった。ってことで、今日はネタバレありで、本作について解説していきます。
ポイント1:現代芸術に対する深い洞察力
『ザ・スクエア』を観て、まず感じたことは、オストルンド監督が入念に現代芸術、特にミニマル・アートやコンセプチュアル・アートを研究した上で本作を作っていることだ。石を並べているだけ、空間にものを置いているだけ、キャンバスに一色塗りたくっているだけ。こういった作品って、美術通以外の人にとって「なんでそんなに評価されているの?」と思うことでしょう。ブンブンも最近まで、そう思っていました。しかし、この手のアートは、作品の背景にある哲学や思想が結びついているから評価されているのだ。
これらは、事情を知らない人からすれば、ただの石や亀裂にしか見えないでしょう。しかし、現代美術の世界では、そこに如何に意味をもつかが重要となってくる。その特殊性故に、「作家の自己満足だ」と揶揄されたり、少しでも二番煎じになると途端に陳腐な作品となってしまう。この危うさを土台にオストルンドは、スウェーデン社会のスノビズムを批判した。
この選択は今までありそうでない作品を生み出すこととなった。
ポイント2:スウェーデンって意外と幸福度低い?
スウェーデンは北欧にある国だ。そう聞くと、さぞかし福祉国家、幸福度も高いのだろうと思うかもしれない。実際に2018年の幸福度ランキングでは9位である。日本が54位であることを考えるとさぞかし平和な国なんだろうなと思うかもしれない。しかし、ここ3年の幸福度ランキングの変遷を確認してほしい。
2018年度
1:フィンランド
2:ノルウェー
3:デンマーク
4:アイスランド
5:スイス
6:オランダ
7:カナダ
8:ニュージーランド
9:スウェーデン
10:オーストラリア
(日本は54位)
2017年度
1:ノルウェー
2:デンマーク
3:アイスランド
4:スイス
5:フィンランド
6:オランダ
7:カナダ
8:ニュージーランド
9:オーストラリア
10:スウェーデン
(日本は51位)
2016年度
1:デンマーク
2:スイス
3:アイスランド
4:ノルウェー
5:フィンランド
6:カナダ
7:オランダ
8:ニュージーランド
9:オーストラリア
10:スウェーデン
(日本は53位)
スウェーデンだけ幸福度低い?
北欧5ヶ国は常にトップ争いを繰り広げているこのランキングだが、スウェーデンだけいつも9,10位を低迷している。実は北欧全体に言えるのだが、福祉国家で幸福度ランキングも高いユートピアな国故に近年、経済移民が大量に流れ込み対処に追われています。ノルウェー、アイスランド、フィンランドは比較的移民問題と折り合いをつけているのだが、デンマークとスウェーデンが数年前から移民問題で荒れている。スウェーデンは2013年からシリア難民を全面受け入れ体制を取り、永住権も難民に付与できるようにした。そこから、移民の受け入れを寛容になった。しかし、ここ数年移民の急増によりスウェーデン経済が混乱し始める。スウェーデン人の職が安い移民に取って代わり、失業率が20%近くまで急増した。なので、確かに幸福度ランキング上は上位ではあるのだが、決して幸福といえない状況に陥っているのだ(ブログサイト 語られる言葉の河へ 【北欧】スウェーデンの社会秩序が揺らぐ ~移民政策促進~が詳しい
)。一方、デンマークは移民についてめちゃくちゃ厳しい。数年前に、移民受け入れ拒否運動をしていた程過激に抵抗し、国際問題となった(大学時代に書いた論文『1970年代デンマークポルノ映画がドグマ95に与えた影響』にデンマークの社会情勢について書きました
)。
さて、話を戻すとすると、本作は現在スウェーデン人が抱く移民に対する差別・冷笑の形が皮肉られている。一見、「自分たちは、助けを求める人には手をさし伸べますよ」と明るく振舞うが、心のそこでは、「あんな奴ケッ」蔑む。他者を思いやると言っておきながら、周りの景色をあえて見ようとしない欺瞞がドス黒い笑いで展開されていく。
ポイント3:コンセプチュアル・アートの陳腐化が導くもの
そのドス黒い皮肉を最大限に引き出すのが、《THE SQUARE》と呼ばれるインスタレーションだ。街中に、四角い空間を作りだす。そこでは誰しもが平等で、もし助けを求める人がいるならば、積極的に助けないといけない。そこで偶発的に起こる体験を通じて、一般人は《思いやり》に気づかせられるという内容。
コロンブスの卵も甚だしいほど、ありきたりでどこかで観たことのありそうな内容。しかし、キュレーターである主人公クリスティアンはこれに惹き込まれ、強い意志で本プロジェクトを成功させようとする。
ただ、クリスティアンの同僚が段々と商業主義に走り、「如何にして注目を浴びるか」を第一に考えるようになってしまう。そして、youtubeで《THE SQUARE》に入った貧しい少女が爆発する過激なCMをアップし、炎上する。
よく映画や絵画、小説などの作品は受け手の元に届いたら、クリエーターのものでなくなると言われる。このケースの場合、炎上によって、膨大な人が火炎瓶を投げつけることで、作品がボロボロズタズタに切り刻まれ陳腐なものとなってしまう。
現代芸術、もといコンセプチュアル・アートが保つ作品価値の不安定さは、まさにスノビズムなスウェーデン社会の脆さを象徴していると言えよう。表向きは清くても、中身は冷淡な風が吹き荒れ、それが少しの刺激で露呈してしまう脆さ。そこにオストルンド監督は警鐘を鳴らしていると言える。
ポイント4:冒頭の会話に注目
さて、この脆く崩れやすい現代アートを、《映画》という形で切り取るには強い意志主張が大切だ。そうでなければ映画自体も陳腐なものへと崩れ去ってしまうからだ。オストルンド監督の強い意志は冒頭の気まずい会話から始まりました。インタビュワーがクリスティアンに対してwebサイトに書かれた理論について質問する。しかしクリスティアンはその理論のことを覚えていない。でもプライドから何か答えねばならない。
そして、物語はまさにその通りことが運んでいく。
ポイント5:日本も他人事ではない見て見ぬ振り文化
ここまで、読んだ方は察しがつくだろう。これって日本も他人事ではないと。今、モリカケ問題やセクハラ問題で政界・芸能界が荒れているが、クリスティアンの行動は、まさに日本そのものだ。そして、総じて明らかになるのは、「私は知らなかった」という意見。いじめ問題が明らかになった際も、「私は関係ない。かわいそうだと思うけれど。」と切り捨てる。本当は見えている筈なのに、問題の渦中からはできるだけ離れていたい。見て見ぬ振りしようとする日本人の振る舞いが遠く離れたスウェーデンで皮肉られていたのだ。
ポイント6:冷笑に注目せよ
そして、その見て見ぬ振り文化を効果的に描くために、オストルンド監督は《冷笑》を巧みに挿入している。例えば、トークセッションの場面。知的障がい者の男が卑猥な言葉を言い放ち会場を乱す。一部の人は、「集中できないわ」と言うが誰も対策を講じようとせず、野放しにする。ただただ哀れな目で笑いながら。こう言うイヤーな笑いを、厭と思う程映画にねじ込む監督の意地悪さに唸らせられた。
ポイント7:SQUAREの意味
ところで、SQUAREという単語の意味をご存知だろうか。一般的に「正方形」という意味だが、実は「公正に、正々堂々と」という意味も持っている。「公正な思いやり」の場を作ろうとする者が、偏見に満ち溢れ卑怯に逃げ込んでしまうという皮肉がタイトルに込められている。何よりも、このSQUAREって現代アートっぽいタイトル。そう考えると、このインスタレーションを思いつきタイトルに《THE SQUARE》を充てたことは神業といえる。
ポイント8:魔性の女との会話が意味するもの
さて、ここからは場面ごとの考察に入ります。劇中、クリスティアンを惑わす女が登場し、5分近くセックスについてクリスティアンを尋問する場面がある。あれは、スノビズムによるマウントの取り方を移民問題からジェンダーレベルにシフトさせたシーンだ。正直、スウェーデンのセクハラ事情は知らないし、本作の主軸は移民問題に置かれているため、蛇足に感じるシーンではある。しかしながら、実際に行ったセックスについて正面から語れない。自分のゲス心を表に断固として出さないようにする有様を描写するには意外と効果的だったかもしれない。
ポイント9:猿男が象徴するもの
本作、最大の謎は中盤の猿男がディナー会場で大暴れするシーンだろう。10分近く、今までの物語ラインから外れ、ディナー会場で猿のモノマネをした男が暴れるシーンがある。これは、最初観た時、困惑を覚えた。全くもってワケワカメだから。しかし、ここは非常に重要な場面でもある。今まで、《個の欺瞞》について描いてきた作品が、このシーンで露骨に《集団の欺瞞》を描いているのだ。異常事態になっても、ほとんどの人が椅子に鎮座する。猿男が女の髪を掴み、乱暴を振るい、女が助けを求めても、誰も助けようとしない。そして、女がレイプされかけた時、初めて人々は事態の重さに気づき、行動するのだ。そしてその行動に続くように後から援護射撃で人々は猿男に暴力で復讐する。今までシーンと静まり返った空間が突如暴力的になり、立場が急激に変化する様は、ネット炎上の集団心理を具現化している。そう、このシーンは《集団の欺瞞》を描いていたのだ。
ポイント10:結局少年はなんだったのか?
さて、最後に少年の存在について言及する必要がある。クリスティアンが、スリから財布と携帯電話を取り返すために、スラム街の公共住宅のポストに脅迫状を片っ端から投げ込む。そして、それが原因で迷惑を被った少年がクリスティアンを脅す。「あなたはカオスに陥るだろう」と。そしてその通りにクリスティアンは不条理に巻き込まれる。そして終盤、家まで殴り込みに来た少年と対峙し、うっかりクリスティアンは少年を階段から突き落とし、そのまま放置プレイする。夜な夜な、少年の「助けて」という声が建物を木霊し、クリスティアンを困らせるが、建物には少年の姿が見当たらない。そして最後まで少年は見つからないで映画は終わる。
あの少年はなんだったのか?あれは神的存在といえよう。無意識の偽善に取り憑かれているクリスティアンが行った間違い、それを正すチャンスは沢山あった。ただ、自分が犯した過ちを謝ればよかった。それすらプライド故にできなかった彼は、「カオス」の渦に投げ込まれる罰を受ける。しかし、強情にも耐える彼。痺れを切らした神は、直接彼と対峙し、ノイローゼになるぐらいの慟哭を叩きつける。そして、その末にようやくクリスティアンは改心し、謝罪をする。それに対し許しと、そして今後の人生に対する自戒を持たせる為に神は姿を消した。
そう考えると、本作は2時間半かけてプライド高き男が改心する話に見えてくる。プライドが高い人を改心させるには膨大な時間がかかる。故にこの上映時間は妥当だといえよう。
最後に…
いかがでしたでしょうか?本作は、現代アートとう名のフレームワークに、スウェーデン社会が抱える移民問題からくる心理的疫病を描き出し、それを普遍的な形で変換したユニークな作品だ。『フレンチアルプスで起きたこと』同様にドス黒い笑いのキレが鋭く、めちゃくちゃ面白かった。
と同時に切り口が多く、また難解な部分もあり、町山智浩や他の映画ブロガーの考察・解説を読みたくなる一本であった。そして、オストルンド監督の魅力にまた一つ惹かれたので、彼の過去作が猛烈に観たくなった。
おまけ:ガレットリアで『ザ・スクエア』特別メニュー展開中
Bunkamura ル・シネマ奥にあるガレット専門店《ガレットリア》で2018年5月11日(金)まで、本作をイメージしたコラボメニュー《クレープ ザ・スクエア》を楽しむことができます(1300円)。
実際にブンブン、鑑賞後に食べに行きました。入り口には特に宣伝されてないのですが、本当にありました。
サワークリームの中に、コーンフレークやレーズンが入ったさっぱり甘いクレープ。瓦礫をイメージしたクッキーのサクサクした食感と一緒に楽しめます。最近、映画とのコラボメニューが東京のあちこちで楽しめるのだが、まさか、『ザ・スクエア』がコラボされるとは思いもよりませんでした。興味ある方は是非《ガレットリア》へ!
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