ポピュラー音楽論のレポート
去年、「ポピュラー音楽論」って授業で書いたレポートが出土したのでここに思い出として残しておきます。ヒップホップの歴史を書いてA+貰った、理系の学部からは激怒モンの内容ですが暇つぶしにどうぞただし、音楽系のレポート課題で剽窃はしないでください…
1.ヒップホップとは
ヒップホップとは1970年代以降アメリカ、ブロンクスから始まった音楽ジャンルである。元々、ヒップホップとはDJ、ラップ、ブレイクダンス、スプレー缶で描く絵などで表現されるグラフィティをまとめた文化用語であった。1970年代、アメリカはヴェトナム戦争の泥沼化、公民権運動、オイルショックによる不景気により経済が悪化していた。人々は社会の不安に対する一抹の安らぎを音楽やダンスに捧げ、マンハッタン島の各地で様々な音楽ジャンルが誕生していた。例えば、ミッドタウンではディスコが、ダウンタウンではパンクが流行していた。上記の流行と同じ時期にシンセサイザーと呼ばれる電子楽器の低価格が進み、DJは音楽を流すだけでなく作ることで技術を向上させていった。ブロンクスでは当時、不況による黒人の失業者が多発し暴動、強奪が多発。人々は治安の悪い地域でのストレスをブロックパーティーで解消していた。そのブロックパーティーでDJを務めていたクール・ハークがある発見をする。
2.クール・ハークの発見
その発見とは来場者が特定の箇所で踊ると盛り上がる現象である。ドラムのソロが挿入される箇所がまさに盛り上がるポイントである。その箇所をリズム・ブレイクと呼ぶ。クール・ハークは短いリズム・ブレイクをいかにして長くするかを考え、レコードを二台のターンテーブルにそれぞれ同じレコードを用意し、交互にリズム・ブレイクを流すループの技術を編み出した。丁度その頃、ミキサーという、ターンテーブルからターンテーブルまで滑らかに音を移せる機械が発明された時期でもあり、DJたちは日々創造的かつ独創的な運用方法開発に熱中していた(注1)が故にヒップホップ創世の勢いを加速させた。そして次第にリズム・ブレイクだけを使って曲が成り立つ理論がDJの間で広まり、彼らは中古レコードという鉱脈から盛り上がるリズム・ブレイクを探すようになった。そして、リズム・ブレイクによる音楽が流行すると共に、音楽中にラップやダンスを競い合い、ヒップホップの四要素が形成されていった。やがてさらに機材が発達し、サンプラと呼ばれる自由に音を抽出できる機材が登場すると、リズム・ブレイク以外の箇所からDJは音を抽出するようになった。そして、DJが作り出す抽出音上でラップを歌い、その詩の抽出した音に乗せられるか、心地よい韻を生み出し観客の賛同を得られるかといったテクニックを競い合う言葉遊びとしてのヒップホップが誕生した。そのネタとして、例えば白人社会への抗議や自分の不幸話があった。
3.超近代的な音楽
ヒップホップが従来の音楽ジャンルと違う点は、受動的か能動的かにある。従来の音楽はアーティストの作った作品を鑑賞する、いわばアーティストの作品を観客が受容するだけであった。例えばビートルズやザ・ローリング・ストーンズは観客に一方的に音楽を提供するだけで、観客は彼らの曲全域を受容するだけであった。それに対し、ヒップホップはアーティストの音楽を解体、再構成し、新たな音楽を作る二次創作色が強い音楽ジャンルであり、従来の音楽の歴史や伝統に対するポストモダン、つまり新しい音楽のあり方を発見した運動と言える。
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