『犬は歌わない』生類憐れみの令は反射する
ライカは生存の保証がないまま宇宙に飛ばされ、地球史上初めて地球を周回した動物になった。映画は、そのライカの魂が今のロシアの犬たちに引き継がれているかのようにロシアの野良犬の生活が映し出される。本作はソ連の宇宙開発に関するドキュメンタリーとしてみると肩透かしを食らうことでしょう。
ライカは生存の保証がないまま宇宙に飛ばされ、地球史上初めて地球を周回した動物になった。映画は、そのライカの魂が今のロシアの犬たちに引き継がれているかのようにロシアの野良犬の生活が映し出される。本作はソ連の宇宙開発に関するドキュメンタリーとしてみると肩透かしを食らうことでしょう。
スルプスカ共和国軍がスレブレニツァに侵攻する。市長(Raymond Thiry)は助けを求めて国連が運営する仮設キャンプにやってきて、Karremans大佐(ヨハン・ヘルデンベルグ)と話をするのだが、大佐はどうも頼りない。人々の危機に対して、大した力になってくれない状況に市長は苛立ちを隠せない。そうこうしているうちに、スレブレニツァは戦場となり数千人の人々が国連キャンプを目指してやってくる。だが、キャンプ場のキャパは足りない。国連軍は、機械的に門を閉鎖して、見渡す限り人、人、人の群がキャンプ周辺を覆い尽くしてしまう。
本作は、謎の訪問者クリシャにそのクリシェを纏わせることで、固い絆で結ばれているようで脆い人間の心理を暴き出している。冒頭、5分以上に渡る長回しで、クリシャの帰還が描かれる。車から降り、ブツブツと独り言を発しながらベルを鳴らす。しかし、誰も出ない。どうやら家を間違えたようだ。クルッと振り返ると、目をカッと開いた彼女がカメラの方に向かって歩いてくる。その異様な佇まいから不穏な様子が滲み出る。そして家の中に入るのだが、温かく迎えてくれるようでどこかよそよそしい家族が映し出される。よくよくみると、彼女の右手人差し指には包帯が巻かれている。家族は、家の中で団欒としているが、激密な空間の中で好き勝手に動き回り、騒々しい。息苦しさが漂っている。そんな中、クリシャは独り七面鳥の丸焼きを作り始めるのだ。家族は手伝うよと言いつつも、何も手伝っておらず彼女を放置する。
本作はヒロインいとが全編津軽弁で話す関係で、日本映画でありながら何を話しているのかが非常に分かりにくい作品となっている。大阪アジアン映画祭では英語字幕がついていたものの、劇場公開時では字幕はつかないと思われるので、語尾をはっきりと語らない、いとの意図を汲み取ることが重要になってくる。本作は、津軽弁にコンプレックスを持つ少女がバーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーションの狭間で折衷を図りアイデンティティを確立して行くまでを描いている。ポスタービジュアルから、よくある町興しものかと思うかもしれませんが、テーマに対する鋭い視線が感じられる。
学校にも家にも居場所がなく、タバコを吸ったり酒を飲んだり、口答えしたり不良になろうとしているものの周囲はやんわりそれをスルーしてしまい生き地獄を感じている少女ソラ(円井わん)が、亡くなった祖父が遺した宝箱を手に入れる。そこの中には「鉄腕を埋める」というメッセージが書いてあり、彼女は非現実を求めて深淵の森で宝探しを始める。
一方その頃、町では後ろ向きに歩き続けるホームレス(間瀬英正)が出現する。車通りの多い道路をグルグルと回り始めたりと予測不能な動きをする彼に町人はドン引きする。案の定、自転車に轢かれたりするのだが、それでも後ろ向きに歩き続けるのだ。その二人が邂逅した時、物語は思わぬ方向に走り始める。
『少年の君』は、衝撃的なシーンから始まる。いじめられっ子のフー・シャオディが階段から突き落とされる。校舎から生徒たちがふー・シャオディの姿を見つめる。ある者はスマホでパシャパシャ惨劇を撮る。だが、肝心な死体は観客に提示されない。敢えて提示しないことで、観客の内面にある野次馬根性を引き摺り出す。そして、フー・シャオディの骸に一歩、ニエン(ジョウ・ドンユー)が歩み出ることで、新たな犠牲者を予感させる。
「メイヘム」を描いた伝記的本作は、音楽伝記映画にもかかわらずテンションは一定を保っている。てっきり、ミュージシャンのドラマティックな人生が展開されるのかと思いきや、停滞に停滞を重ね、微かなステージに立つ時だけが盛り上がりの絶頂となっている。予告編でも魅せてくれる教会炎上シーンも、静かで地味だったりする。これはどういうことだろうか?先日観たデヴィッド・クローネンバーグの『クラッシュ』に近いものを感じた。内なる暴力性の静かな爆発に癒しを求める者たちが停滞のモヤモヤの中で自己を解放させる場所を追い求めているのではないだろうか?彼らは満足しない。あまり客がこないレコード屋で駄話をし、部屋の一角で練習をする。一般人の平凡な人生と変わりない。その中で些細な変化を求める者たちのもがきが生々しく描かれている。だから、伝説的ミュージシャンの遠い世界の物語ではなく、我々の物語のようにみえるのだ。今、コロナで閉塞に押し込められ、微かな変化を求めてもがき苦しむ者にとってこの作品は救いの処方箋となることでしょう。
ミミ(Nita-Josee Hanna)とルーク(Owen Myre)は「クレイジーボール」と呼ばれる謎のドッヂボールで遊び狂う活発兄妹。時間があれば外で荒れ狂い、厨二病まっしぐらな二人は庭先で謎の石を掘り起こす。そのせいで宇宙最凶の怪物を復活させてしまうのだ。かつて、銀河を破壊しようとし地球に封印された彼が復活してしまった為、宇宙連合は混乱し、どうやって始末しようか作戦会議が開かれる。
クラブで女(キャリー・マリガン)が泥酔している。そんな彼女を遠くから男たちがニヤニヤと品定めしている。そして男が一人近づいて「家まで送ろうか」と優しい声をかけてタクシーに乗り込む。男は下心があるので、彼女を自宅に呼び込み、度数の高いであろうオレンジ色の酒を飲ませ、さらに泥酔させようとする。そして、彼女が「もう好きにして」とベッドで大の字になっているところに、彼が行為を始める。すると、むっくり彼女は起き上がり、シラフの顔で「テメェ何しているんだ?」と問い詰める。ナイスガイのふりをして近づいていく男の化けの皮が剥がれる瞬間を見計らって問い詰める処刑を人生の生業にしているのだ。そんな彼女の手帳にはびっちりとかつて抹殺してきたであろう男をカウントする線が引かれており、彼もその餌食となった。
ラ・フロール 花(第1部) LA FLOR PART1(2018) 監督:Mariano Llinás 出演:Elisa Carricajo、バレリア・コレア、パイラー・ガンボア、ローラ・パレーズ、エステバン・ラモチェe…