Manodrome(2023)
監督:ジョン・トレンゴーヴ
出演:ジェシー・アイゼンバーグ、エイドリアン・ブロディ、オデッサ・ヤング、サルー・セセイ、フィリップ・エッティンガーetc
評価:90点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
第73回ベルリン国際映画祭で注目していた『Manodrome』を観た。本作はジェシー・アイゼンバーグ演じるジムで身体を鍛えているUber運転手が、怪しげな男性コミュニティに入るといった内容。『タクシードライバー』と『ファイト・クラブ』が2020年代バージョンとして蘇った作品らしく期待して鑑賞した。ここ最近、『バービー』や『Saturn Bowling』と有害な男性らしさを扱った映画に出会うことが増えてきている。本作は、特に『Saturn Bowling』と比較することで面白い見方ができる作品だと感じたので書いていく。
『Manodrome』あらすじ
Conflicted about his girlfriend’s pregnancy, Ralphie’s life spirals out of control when he meets a mysterious family of men.
訳:ガールフレンドの妊娠に葛藤していたラルフィーの人生は、謎めいた男たち一家との出会いによって制御不能に陥る。
ジムでマッチョになれない僕は怪しげなコミュニティに潜入した
まず、本作はジェシー・アイゼンバーグが主役であることに重要な意味があるといえる。彼は実存をめぐる物語において光り輝く俳優だからだ。『嗤う分身』では自分のそっくりさんに、存在を乗っ取られていく中での足掻きを演じている。『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』では、環境活動家としてダムを爆破したものの一般人に危害を加えてしまったことに対して悶々と苦しむ演技をカメラは捉える。『恐怖のセンセイ』では、小物である主人公が自分を強く見せようと怪しげな空手教室に通う。いずれも何者かになるために吹っ切れることができない様を、翳りある顔で表現している。
『Manodrome』も同様である。ジムで鍛えている場面から始まる。彼が演じるラルフィーは、ライドシェアのUberで生計を立てている。パートナーがもうすぐ出産するのだが、少ない給料で家族を養えるのか不安に感じている。現実逃避するようにジムへ通い強くなろうとするのだが、鏡に映る自分に幻滅する。町に出れば、カップルやクリスマスといった家族と結びつくイメージが目につき、嫌な気持ちになる。彼女にそれを隠そうとしつつも、隠しきれないレベルに翳りが広がっている。たとえば、ショッピングセンターで彼女がウキウキ腕を組みながら歩くのだが、ラルフィーは目を合わせようとせず、やる気のない動きをするのだ。そんな彼が、ダン神父が仕切っている怪しげなコミュニティと出会う。強がりながらも観客の目からはイキっているようにしか見えない態度でラルフィーはコミュニティに入る。そこは有害な男らしさが支配するような場所であった。彼はこのコミュニティにいることを彼女にバレてしまうのではないかと不安になりながら、有害な男らしさに染まろうとするのだが、これまた難航してしまう。
『バービー』において、バービーランドに居場所のないケンが人間界にて有害な男らしさを学び、故郷を支配する。支配された場所はハリボテなマッチョさでコーティングされている。これに近い状況が本作でも確認できる。結局、ラルフィーはジムのような男の領域に馴染めず、別の領域を求める中でゆるいコミュニティを見つけるが、そこでも居心地が悪くなってしまう。『バービー』のケンも結局、ハリボテな男らしさの世界に居場所がなくなる。そして両作とも男社会で悩める男を女性が介抱するような着地へと持っていかないのだ。これは2023年映画を語る上で重要なポイントだといえる。
また、フランス映画『Saturn Bowling』と比較しても興味深い。『Saturn Bowling』では、暴力的なネオンとおっさんの不敵な笑みが充満するボウリング場を軸とし、傍観者である主人公や女性がその暴力に取り込まれていき、それがレイプ事件、殺人事件として社会に解き放たれる様子を描いていた。『Manodrome』では、男の空間に馴染めないものが逃げ道を探す中で有害な男らしさに染まっていくが、完全には染まりきれず苦悩として心に沈澱蓄積されていくものとなっていた。
どちらも不快になる陰惨な描写が多く観る人を選ぶのだが、日本公開してほしいものである。