【YIDFF2023】『なみのおと』カタルシスが笑みを生み出す

なみのおと(2011)

監督:酒井耕、濱口竜介

評価:75点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

山形国際ドキュメンタリー映画祭で濱口竜介が酒井耕と共に撮った東日本大震災ドキュメンタリー『なみのおと』を観た。

『なみのおと』概要

本プログラムが始まった2011年の上映作品。津波被害を受けた気仙沼、南三陸、石巻、東松島、新地町と南下しながら、消防団員や議員、夫婦や姉妹など親しい者や時には監督との対話は現代の口承記録となる。監督の酒井と濱口は『なみのこえ』『うたうひと』(いずれも2013、YIDFF 2013)をあわせ東北記録映画三部作を撮った。そして、酒井は「ヤマガタ・ラフカット!」のコーディネーターとなり、濱口は『ドライブ・マイ・カー』(2021)などで国際的な評価を得るに到る。

山形国際ドキュメンタリー映画祭より引用

カタルシスが笑みを生み出す

震災から間もない状況で撮影された本作は実際の津波の映像を用いず、全編「対話」で構成されている。いわゆるクロード・ランズマン方式の映画である。なので、観客は語りを通じて各々の脳裏に凄惨なヴィジョンを思い浮かべることとなる。ただし、ランズマン作品と『なみのおと』では決定的に異なる部分がある。それこそ「対話」である。ランズマン作品の場合は撮影者と被写体、1対1の関係でホロコーストの凄惨さを引き出していた。一方、本作はーもちろんその構図もあるがー夫婦や知り合いを同士といった複数名に震災当時のことを語らせ、そこで生まれる空間を重視している。

ここに濱口竜介らしさが表れている。彼の作品は長い対話の中で温度感が変わる瞬間を捉える作品が多い。ただ『PASSION』や『ハッピーアワー』、『ドライブ・マイ・カー』など多くの作品において、その温度変化は負のベクトルに向いている、つまり修羅場に発展したり、映画に怖さを与える場面でこの演出が使われているのだ。それに対して本作は珍しく正のベクトルに向く「瞬間」を捉えている。

意外なことに「笑い」が生まれる瞬間があるのだ。夫婦のパートがその顕著な例である。最初は震災当時の行動を、曖昧な記憶を探るようにして言語化していく。本来であれば財布などといった重要なものを持って逃げるはずなのに、何故か夫はカメラを持って出てしまったと語る。次々と押し寄せる困難をどのようにして家族で乗り越えていくのかを生々しく語っていく。夫は頭を強打してしまい当時の記憶が曖昧になっているのと、大黒柱としてしっかりしないといけない想いから語りに翳りを感じるのだが、話していくうちに心の重りがストンと落ちて、「みんな(男)って妻にあたるよね」とトンデモ発言をするまでにいたる。ここだけ切り取ってみると男尊女卑がみたいな話になりかねないのだが、一連の流れを見ているとこの夫婦が互いに信頼しあっていることが分かる。信頼しあってはいるものの事件の凄惨さは強烈だ。夫婦が、失われたピースを共同で埋めあっていく中で絆が固く結ばれる瞬間。それがまさしくあの発言にあり、ずっと続いていた緊迫感がスッと抜けるため、観ている我々もカタルシスから笑えてくるのである。

この夫婦パートが凄まじかっただけあって、市議会議員との対話パートにおける取材担当の未熟さは気になった。映画祭でやたらと自分語りしたり、問いまでが長くなってしまう典型的な悪い質問ばかり投げかけていて、さらには相手からの問いに正面から答えていないような気がして気になった。会話パートによってこのようなムラがあったのが玉に瑕な作品といえよう。
※映画.comより画像引用