バービー(2023)
Barbie
監督:グレタ・ガーウィグ
出演:マーゴット・ロビー、ライアン・ゴズリング、ウィル・フェレル、エマ・マッキー、シム・リウetc
評価:95点
おはようございます、チェ・ブンブンです。
米国で『オッペンハイマー』と共に盛り上がりを魅せて、“Barbenheimer”というネットミームが生まれたものの、原爆とバービーの世界観をマリアージュした悪ノリに公式が乗ってしまい炎上を引き起こしてしまった『バービー』。明らかに傑作の匂いがしていただけにこの出来事は痛いと思った。公開日初日に観てみると、メディア論映画として大傑作だっただけになおさらこのインシデントは勿体無いなと思ってしまった。子ども向けおもちゃ「バービー」の映画化であるが、テンションは『サウスパーク』であり、内容も哲学的であったりハイレベルなメディア論を語った作品になっているので、今回はネタバレありで考察していく。
『バービー』あらすじ
世界中で愛され続けるアメリカのファッションドール「バービー」を、マーゴット・ロビー&ライアン・ゴズリングの共演で実写映画化。さまざまなバービーたちが暮らす完璧な世界「バービーランド」から人間の世界にやってきたひとりのバービーが、世界の真実に直面しながらも大切なことは何かを見つけていく姿を描く。
ピンクに彩られた夢のような世界「バービーランド」。そこに暮らす住民は、皆が「バービー」であり、皆が「ケン」と呼ばれている。そんなバービーランドで、オシャレ好きなバービーは、ピュアなボーイフレンドのケンとともに、完璧でハッピーな毎日を過ごしていた。ところがある日、彼女の身体に異変が起こる。困った彼女は世界の秘密を知る変わり者のバービーに導かれ、ケンとともに人間の世界へと旅に出る。しかしロサンゼルスにたどり着いたバービーとケンは人間たちから好奇の目を向けられ、思わぬトラブルに見舞われてしまう。
「レディ・バード」「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」のグレタ・ガーウィグが監督を務め、「マリッジ・ストーリー」のノア・バームバックとガーウィグ監督が共同で脚本を手がける。
何者にもなれるは、何者かにならないといけないと表裏一体だった件
荒野の中、子どもたちは赤ちゃん人形でままごとをしている。人形の役割は子どもたちがままごとを通じて寂しさを紛らわせる役割を果たしていた。ただその種類は「赤ちゃん」に限られており、母親の真似事をすることで人間性を磨くしかなかった。それが「バービー人形」の登場で変わった。「バービー」の服装を変えることで、医者や宇宙飛行士と様々な未来像を提示。「母親以外の存在」になれる光を与えたのだ。人形に多様性を与えるため、「バービー」という名はそのままに様々な体形、人種のモデルが販売され、女性たちの息苦しさを解消したかに思われていた。
しかし、実際は異なる。キラキラしたヴィジュアルで医者や宇宙飛行士、フライトアテンダントなどのモデルを提示した結果、「何者かにならないといけない」抑圧が生まれてしまったのだ。全てが完璧で成功者としての眼差しが注がれるバービーは、常に「誰かに選ばれることでしか存在できない」と思っているケンと共に人間界へ降り立つことでこの状況を目の当たりにする。
本作はバービーというメディアを軸に、社会規範とメディアとの関係性を示している。上記の問題と並行して描かれるのが「男性的象徴」だ。人間社会に降り立ったケンは、ジムに通う者、馬、車、札に描かれる偉人と男性的アイコンを目の当たりにしていくうちに男性的への渇望が刺激される。そして図書館で自分のモヤモヤを言語化した彼はバービーランドに戻り、男性的社会を取り戻す。そして、人間界もステレオタイプな男性性の消費時代へ逆戻りしてしまう。ここで鋭いメディア批評が挿入される。ビジネスマンは社会の流れに従い、男性的を全面的に押し出そうとするのは内に秘めている。オフィスの会議では男性同士集まって議論を交わしているが外に向かってはそういったのを出さないようにしている。メディアを並べてみれば、男性的に見えるのだがそれ自体は隠蔽されている。だが、ケンの例のように油断するとすぐさま社会の均衡は崩壊してしまうのである。
メディアとは「あるべき姿」を言語化し流布することで社会規範を決める。逆にいえば、息苦しさを感じている者にとって解消するために必要なことは「言語化」にあるのだが、それは悪用されるリスクを伴っている。では、もし悪用され社会が悪い方向に進んでしまったらどうすれば良いのか?『バービー』では、敵のロジックに従い背後に回ることこそが重要だと語る。ケンが作り出したケンダムこと男性的社会を転覆させるために、バービーたちは「教えて」と歩み寄り男性を癒す中で仲間割れを引き起こす手段を投じるのである。
キラキラした世界観でダジャレマシマシな作品なのだが、やっていることは壮絶なメディア戦争を通じた社会規範の変容をシニカルに捉えようとしているのである。そして、メディア戦争に巻き込まれる「個」が社会に振り回され陰鬱な気分にならないためには「自分はどうありたいのか?」を見つめることが重要だと着地させる。社会によって提示させる「あるべき姿」も人をかつてのバービーのように救いの手となりうるが、それによって抑圧されているのなら別のアプローチがある。これを飄々と映像提示してしまうグレタ・ガーウィグ監督恐るべしだ。オマージュの切れ味も凄まじく冒頭の『2001年宇宙の旅』は、猿人が武器を手にしたことが進化を引き起こすがAIと対峙するきっかけにつながってしまう姿とバービーが人形の役割を決定的に変えたものの脅威として立ち塞がってしまうという物語とシンクロしている。バービーランドは『底抜けもててもてて』の開けた空間造形を応用しており、向かいの家での行動を見せながら、物理法則を無視したドールハウスとしてのイマジネーションを炸裂させている。そしてミュージカルなので、スタンダードな円形バークレーショットでバズビー・バークレーに挑戦することを提示し、後では応用させてみせる。バズビー・バークレー好きも納得なクオリティとなっていた。
また、今回吹き替え版で観たのだが、台詞がダジャレでビートを刻んでいて面白かったことも報告したい。「ケンとケンで喧嘩しないで」「ケンが憲法改正を狙っている」みたいなダジャレが炸裂していてツボであった。癖は強すぎるが、恐らく原語もそんなノリっぽいので名訳だと思う(Kenoughといった造語が使われている)。
『バービー』は若干、経営陣とケンの物語が噛み合っていない気もしたが2023年ベスト候補だ。またマルチバースがテーマとなっている2020年映画業界の中でも重要な作品であることは言うまでもないだろう。次回のアカデミー賞作品賞最有力でもあろう。
P.S.X(旧:Twitter)では、メガネ問題が浮上しているが、吹き替えではサラッとしすぎて把握することができなかった(映画を観る前に知っていたので、画を追っていたのだが目の前を通り過ぎてしまった……)。ただ、アメリカにおいてメガネ=ダサいみたいな感覚があることは『情熱の航路』で描かれていた。メガネをかけるかけないかよりも、メガネに対する他者の眼差しは気にするな、自分はどうありたいかを意識しようとサラッと描いたんじゃないかな。
※映画.comより画像引用