【Netflix】『ザ・キラー』殺しは饒舌にやってくる

ザ・キラー(2023)
The Killer

監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:マイケル・ファスベンダー、ティルダ・スウィントン、チャールズ・パーネル、ケリー・オマリー、モニーク・ガンダートンetc

評価:40点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

8年以上休みなく投稿されていたブログが11/15(水)以降ストップしていて心配されていた方、すみません。実は11/14(火)早朝から緊急入院していました。スマホの持ち込みが禁止されている場所に入院していたこともあり、またあまりに急な入院だったため、各種SNSで連絡することもできず音信不通となっていました。11/23(木)の16時頃に退院しました。身体は元気とはいえ、『カッコーの巣の上で』と『ジョニーは戦場へ行った』が悪魔合体した地獄、まさしくダンテ「神曲」のような地獄巡りをしていたので精神的には安静が必要だと思われます。一応、ストックは結構あるので、それを小出しにしていきます。更新頻度が下がる場合があることご了承ください。

『ザ・キラー』あらすじ

「セブン」「ファイト・クラブ」「ソーシャル・ネットワーク」など数多くの名作を生み出した鬼才デビッド・フィンチャー監督が、アカデミー賞10部門にノミネートされた前作「Mank マンク」に続いてNetflixオリジナル映画として手がけた作品で、マイケル・ファスベンダーを主演に迎えて描いたサスペンススリラー。

とあるニアミスによって運命が大きく転換し、岐路に立たされた暗殺者の男が、雇い主や自分自身にも抗いながら、世界を舞台に追跡劇を繰り広げる。アレクシス・ノレントによる同名グラフィックノベルを原作に、「セブン」のアンドリュー・ケビン・ウォーカーが脚本を手がけた。撮影は「Mank マンク」でアカデミー撮影賞を受賞したエリック・メッサーシュミット。音楽を「ソーシャル・ネットワーク」以降のフィンチャー作品に欠かせないトレント・レズナー&アティカス・ロスが担当した。

主人公の暗殺者を演じるファスベンダーのほか、ティルダ・スウィントン、「Mank マンク」のアーリス・ハワード、「トップガン マーヴェリック」のチャールズ・パーネルらが出演。2023年・第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。Netflixで2023年11月10日から配信。それに先立ち10月27日から一部劇場で公開。

映画.comより引用

殺しは饒舌にやってくる

スナイパーがターゲットを射殺し損ね、逃げる過程で愛する人を失う。そして再び殺し屋としてターゲットを追う。実にヒッチコック的プロットだ。見る/見られるの静的運動を追う/追われるの動的運動へ置換してきたヒッチコック映画の本質を突いているからである。故に『裏窓』における窓を通じた緊迫感に留まることなく、『三十九夜』や『見知らぬ乗客』などといった追う者が追われる、つまりベクトルが突如逆転することによる感情の起伏起因の魅力レベルにまでおよんでいる。

また、フィルムノワールにおいてスカした男がその顔を維持したまま確実に窮地へと追いやられていくことを通じ、欲望や葛藤と対峙せざるを得なくなる様を、独白形式で表面化させるユニークな手法を採用している。この手の演出は、まずポール・シュレイダーのことが思い浮かぶ。彼の場合、ロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』をベースとしている。『田舎司祭の日記』において、日記を書く行為が社会と自己との関係性を認知し、思索・苦悩にまで発展していく心理状態を炙り出している。この炙り出しを援用したフィルムノワールを手掛けている。一方で、『ザ・キラー』の場合は異なる。紙やパソコンなどといった媒体を用いず、直接独白として語られるのだ。自問自答は、時として理想とギャップの狭間の中で理想に寄せようとする強き想いが反映される。これは、「感情に惑わされず遂行しろ」と反復して語られる一方で、実際の彼の行動は感情的である矛盾に着目すれば明らかであろう。殺し屋は証拠を残さない。つまり、紙やパソコンに葛藤を残すことはできない。だから自問自答することでしか解消することのできないもどかしさ。プロフェッショナルの映画として適切な独白の捌き方であるとともに、通常の映画や現実では表面化しない強者の狼狽っぷりがオフビートな笑いとして機能しているといえる。

では、デヴィッド・フィンチャーはクラシカルなフィルムノワールを上質に構築できているのだろうか?この点に関しては疑問が残る。焦点は、フィルムノワールのアイコンとして冒頭に引用される『裏窓』と『サムライ』にある。この引用はハッキリと調合ミスであると指摘せざるを得ない。『裏窓』の冒頭における、ジェームズ・スチュアート演じるL・B・ジェフリーズが覗く行為は眼差しを通じた感情の置換を図っている。犬を捉えれば日常的な光景だが、裸の女性を捉えれば官能的な感情が現出する。こうした、凝視によって抽出される感情が重要な演出となっている。しかし、本作ではターゲットを射殺できるか否かのサスペンスに収斂してしまい、そこの描き分けがなかった。 ジャン=ピエール・メルヴィル『サムライ』では、アラン・ドロン演じるジェフ・コステロが静かに車を盗み、目的を達成しようとする様を描いている。そこには独白はない。つまり、『ザ・キラー』における重要な引用が表面的なものとなってしまい必然性が感じられないのである。これにより、主人公同様に出鼻をくじかれたドラマとなり、クラシカルで上質なフィルムノワールは瓦解してしまった。独白をメインにするのであればビリー・ワイルダー『深夜の告白』あたりを引用すべきだったでしょう。独白ながらも饒舌な作品なのでハワード・ホークス作品、例えば『三つ数えろ』も有効なのかもしれない。

※映画.comより画像引用

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