『十艘のカヌー』ロルフ・デ・ヒーアが紐解く槍投げ部族の戦いとは?

十艘のカヌー(2006)
Ten canoes

監督:ロルフ・デ・ヒーア
出演:Crusoe Kurddal 、Jamie Gulpilil、Richard Birrinbirrin etc

評価:70点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

先日、第73 回ベルリン国際映画祭コンペティション部門のラインナップが発表された。『すずめの戸締まり』がまさかまさかの選出。『千と千尋の神隠し』以来21年ぶりに日本のアニメーション作品がコンペティション部門に選出されて、日本のメディアは新海誠一色となっていた。しかし、今回のコンペティションはそれ以外にも面白い作品がたくさん選出されている。私が一番嬉しかったのは、ロルフ・デ・ヒーア新作『The Survival of Kindness』の降臨だ。ロルフ・デ・ヒーア監督といえば、監禁もの『アブノーマル』がカルト的人気を博している。しかし、ロルフ・デ・ヒーア作品を追っていくと、『アブノーマル』はフランク・ダラボンが『ショーシャンクの空に』を撮るくらい異例な作品となっている。異例とはいっても、彼の初期作品は子ども目線の物語を紡ぐ傾向があり、子ども映画『ヒコーキ野郎/スカイ・キッド』、倦怠期夫婦を子ども目線で描いた『クワイエット・ルーム』、そして監禁されて実質精神が子どものまま育ってしまった男を描いた『アブノーマル』といった形で並べると腑に落ちる。丁度、『ショーシャンクの空に』がフランク・ダラボン×スティーヴン・キングで繋がっているように。ゼロ年代以降は、オーストラリア原住民をテーマにした作品を多数作っており『十艘のカヌー』は第59回カンヌ国際映画祭ある視点部門で審査員賞を受賞している。最新作の『The Survival of Kindness』はどうやらコロナ禍を抽象的に描いたような作品らしく、砂漠で死の覚悟ができていない黒人女性が疫病と迫害から逃れるように都市部へと流れ着く物語になっている。ひょっとするとコロナ禍においてオーストラリア先住民が都市部へと流れ着く状況を映画化した作品なのではないだろうか。

閑話休題、今回は『十艘のカヌー』を観てみた。

『十艘のカヌー』あらすじ

In Australia’s Northern Territory, a man tells us a story of his people and his land. It’s about an older man, Minygululu, who has three wives and realizes that his younger brother Dayindi may try to steal away the youngest wife.
訳:オーストラリアのノーザンテリトリーで、ある男が自分の民族と土地についての物語を語ってくれた。3人の妻を持つ年配の男性ミングルーは、弟のダインディが末っ子の妻を奪おうとするかもしれないことに気づきます。

※IMDbより引用

ロルフ・デ・ヒーアが紐解く槍投げ部族の戦いとは?

本作は、誰もいない美しきオーストラリア、アーネム・ランド。語り手が部族の軋轢の話をする。映画は3つの時制を巧みに交差させており、語り手が現在いる場所は美しい自然を前面に押し出したカラーで描かれる。部族の歴史は、白黒パートとカラーパートで分ける。このことで、語り手から見た過去の時制にメリハリが設けられる。この演出に惹かれた。

映画は、文化人類学者が部族の生活に潜入するかのように、低いアングルから村を捉えていく。インタビューをするように、部族の人物の顔を捉えていき、軋轢を紐解いていく。どうやら、部族間での対立を最小限に抑えるために、槍を使って遠距離攻撃することのみ許されているようだ。とはいえ、攻撃ができてしまうため、一触即発の事態になると、相手に刺さる距離感で威嚇を始める。しまいには、ビュンビュン豪速球で槍を投げ始める。すると、ターゲットの方は透明になっていき、槍を回避しはじめる。マジック・リアリズムといえよう独特な動きが現出するのだ、そして映画はそのまま儀式的物語へと発展していく。

『Charlie’s Country』で、都市化する中で失われていく原住民の文化をリアルに描いていた。それを踏まえると、本作はマジック・リアリズムとして部族独特の文化を現実のものとして語り継ぐアプローチを取っており、映画というメディアを使って多角的に文化保存を試みる動きはイヌイット映画監督のザカリアス・クヌクを彷彿とさせる。今年はロルフ・デ・ヒーアを掘っていきたいところだ。

※MUBIより画像引用